第百四十二話 静止する時の中で
民衆は考えない。
ただ救われる事を望んで、欲しい物を手に入れられる未来だけを想像して、果てにある絶望から目を逸らす。
自身の出せる全力で走っている人間は三百人にまで膨れ上がり、方向は各々別だ。計画した事ではない故に誰もが己と己の家族の利益のみしか追求せず、だからこそ事前に予想していれば対策は容易だった。
境界線に設置された重機関銃の群れの前に、明らかに一般人とは違う者達が立つ。彼等は金で雇われた武装組織であり、設置されている装備は全て雇い主側が用意した物である。
治安維持の範囲を超えた過剰装備は明らかに殺傷を目的としたものであり、数発でも命中すれば人体としての形を保つのは不可能となるだろう。
武装組織側もその意識は一緒だ。
仕事内容も一切隠さず伝えられ、彼等は遠目に見える者達を殺す為にこの場に立っている。
報酬は常よりも多い。これが一般的に世間に批判される内容だからこそ、それだけの報酬が用意されているのだろう。それを受けてしまった以上は彼等も今後の生活に何らかの影響が出る。
それでも受けたのは、単純に目先の報酬が莫大に過ぎたからだ。複数の企業が協力して用意したとしか思えぬ額は、彼等の目を眩ませるには十分な威力を持っていた。
彼等の口元は弧を描く。その目には民衆の姿ではなく、その先の報酬だけが浮かんでいた。
この武装組織と街の間には何の繋がりも無い。家族が居る訳でも、恩がある者が居る訳でも無いのである。
だからこそ、容赦をする必要は無い。
トリガーに指を当て、今か今かと蹂躙が始まるのを無言で待ち続ける。この街には軍隊も居るのだが、武装組織にはその辺の心配は一切無い。通常であれば警戒すべき対象であるが、今此処には全てを承知済みの人間しかいない。
即ち、軍側もこの事は承知済みなのである。企業が裏で手を回して協力してもらうように打診し、滋賀基地の指揮官の首を縦に振らせた。
一体どのように交渉したのかを武装組織達は一瞬頭に過らせたが、その点について深く詮索しては生き残れない。
即座に詮索を打ち切り、浅い位置に居続ける事で身の安全を守ることを優先した。
彼等のとってこれはただの一仕事。武器を持ち、目標の相手を殺すだけという何時もの仕事を行うだけだ。
――だからこそ、そこに乱入された存在に最初は気付けなかった。
「……っフ、!」
短い呼気と同時にミニガンの一つが後方へと蹴り飛ばされる。
男の顔面ごとミニガン本体は彼等の後ろへと飛ばされ、その生命を強制的に断ち切った。直撃を受けた男の顔面は無数のミニガンの破片に襲われ、首は無理矢理圧し折られる。
断末魔の一つもあげる余地を残さず、一人の人間がこの世から消えた。
その突然の事態に一瞬だけ武装組織達は思考を停止させる。その停止した瞬間に、今度は二つの重機関銃が吹き飛ばされた。
同様に首が重機関銃本体の直撃を受けて折れ、僅かに言葉を発する余裕を与えない。
姿を視認させず、そして的確に相手を潰していく様は暗殺者そのもの。
「……ッ、全員弾ばら撒けェ!!」
その被害から漸く意識を取り戻した一人の男は全員に告げ、普段から持ち歩いているサブマシンガンを味方に命中しないようにしながら適当に撃ち続ける。
その行動に他の者達も真似を始め、やがて一ヶ所から金属を弾き返す音が鳴った。
そちらに全員が顔を向ける。重力に身を任せたまま落下するその姿は、小柄な人間のものだ。パーカーによって顔を隠し、しかし体型を隠すものではなかったので武装組織達は直ぐにその人間が女性であると気付く。
されど、そうであったからと言って慢心をする余地は何処にも無い。
「お嬢ちゃん……テメェ一体何者だ。 まかり間違ってもただの人間なんて口じゃねぇだろ」
「……教える道理は無いよ」
「違いねぇ。 ……だが、一つだけ言わせてもらうぜ。 テメェ、デウスだな?」
最初の乱射を指示した男が、断言するように少女に告げる。
その言葉に殆どの者は息を呑んだ。中には全身を震わせる者すら存在し、ゆっくりと近くの仲間の元にまで移動を開始していた。
今回の仕事は走って来る人間達を始末するだけ。にも関わらずに膨大な報酬があった時点で、他に問題が発生する事は解り切っていた。その中でも最悪中の最悪は、デウスの登場だ。
軍が動いてくれている時点でその可能性は低いと周りの仲間達は想定していたが、彼を含めて他の少数はデウスの出現を予め想定している。
だが、想定したとしても彼等には経験が無かった。様々な情報からデウスの戦闘力を予測し、どれだけ対処可能かを推察する事しか彼等には出来なかったのである。
それだけデウスが表で暴れる事が無かったとも言えるが、彼等が然程企業にとって貴重ではないのも関与しているだろう。
此処でデウスが登場し、武装組織を倒しても次を呼べば良い。
イレギュラーの出現は何回もは続かないもの。例えこの一回が成功したとしても、去った後に同様の展開を用意すれば求めた結末に到達する事は出来る。
知らぬはデウスと武装組織だけ。必死に生き残ろうとする武装組織はデウスと断じた相手に対して、先ずはレーダー関連を封じる為に数人がワシズに向かって手榴弾を投げ付ける。
しかし、その手の基本装備は全て無駄だ。彼女達を潰すにはまったく足りず、しかし衣服の損傷を防ぐ為にワシズは回避を選択。
通常の物よりも遥かに爆発規模の小さいその手榴弾の中には鉄片が多く含まれ、それが戦闘エリアに満遍なく広がっていく。
その間に生き残った者達は建物の内部へと移動を開始。
設置された武器の数々は放棄し、己の持つ武装だけで彼女とぶつかり合わねばならなくなる。
ワシズは空気中に撒かれた無数の鉄片によってレーダーにエラーが走っている事を理解した。基本的な数や位置を隠したいと考えての行動であろうが、そんな事はワシズにとってどうでも良い。
何処までも走り回り、発見次第射殺する。それが今の彼女の原動力だ。このまま武装組織を放置したままでは弱者が死んでしまい、隔離させた者達が満足してしまう。
それでは駄目なのだ。人間は協力して難事を突破するものであり、こうして排斥し続ける者達など同じ人間であるとは言えない。
彼女が実際に世界を見てから、もう何度も人間の醜悪性というものを見てきた。
見てきたからこそ、デウスの誕生理由にも既に疑問が生じている。
一体デウスは何を守るのか。人間を守ったとして、その結果がデウスにとって満足するものになるのか。
現状において、デウスが求める未来に人間は辿り着けない。仲良く手を結んで、滅亡から脱する事などまったくの望み薄だ。
未だ混迷の時代の最中で選別する必要がある。
それがワシズが内心で生まれた最終結論。明るく朗らかで、太陽のような少女から生まれたとは思えない結論に世界の闇がある。
「先ずは……此処の人達」
弱者は救済されねばならない。
それこそが世界の選択だ。デウスが生まれた理由もそこに収束している。
人間を害する強者を潰し、人によって住み易い世の中に変えるのだ。その結果として人を害する人が居れば、それもまた滅亡への要因として処分する必要がある。
最終的にはデウスに縋る形にすれば良い。――そこまでの結論に辿り着いた時、彼女の側頭部から衝撃を受けた。
身体が宙に浮き、建物へと叩きつけられる。
いきなりの出来事に混乱を抱きながらもその発生源へと目を付け、目を限界まで開く。
「まったく、お前には重要な事を任せていた筈なんだがな」
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