第百三十八話 慈悲の対価
結論から言えば、彼等は本当にただの孤児だった。
何かを企てていた訳でも、ましてや襲おうとしていた訳でもない。彼等は俺達の前に現れた瞬間に日本人独自の最終懇願方法である土下座でもって食料を別けてもらえないかと言ってきたのである。
勿論、それをはいどうぞとあげられるだけの余裕を俺達は持ってはいない。手持ちの食料は然程多くは無く、飢餓の状況の彼等に渡せば全てを消費されてしまうだろう。
そうなっては本末転倒だ。彩達は問題無いだろうが、俺が途中で空腹に襲われてしまう。
彩の俺に送る視線は非常に冷ややかだ。こんな連中など捨て置けと語っているのはよく解るもので、彼等の背後を取っているワシズとシミズも既に銃を取り出していた。
俺が首を縦に振るだけで目の前で土下座をする者達は肉塊になるだろう。
仮に生き残らせても俺達にメリットらしいメリットも無い。普通に考えるのならば、彩達の意見の方が正解だ。
しかし、俺もまた人間である。感情を持つ生物である以上は、多少なりとて揺れるものもある。
どうやってか生存への道程を探そうとするものの、少なくとも今目の前に居る者達が何かを持っている気配はない。
完全に着の身着のまま。バッグも何も無く、上着にズボンだけの恰好は旅をする者にはとても見えない。
「年齢は?」
「一番上で十三だ。 下は見た通り一歳で、見た通り何も持っちゃいない」
「つまり、ただで食料を恵んでくれと」
「何でもするッ。荷物運びでも、犯罪行為だってやる!」
「いや……正直に言えばそこまでの事をしてもらわなくても大丈夫だよ」
彼等は犯罪行為に手を出す一歩手前まで追い詰められている。
此処で俺達が助けなければ、彼等はこの周辺を歩いている他の旅人を襲うだろう。これは仮定の話ではなく、確実な話だ。追い詰められた人間は生きる為に悪にも手を出す。
殺されるのだとしても、それでも足掻くのだ。そして、そうなった人間程恐ろしいものはない。
尤も、俺達は最も恐ろしい存在を既に知っている。それに比べてしまえば飢えた人間はそれほど怖くは無い。
さて、どうしたものかと少し悩む。
人数は五人。食糧は一ヶ月分ある。一応の可能性として街に潜入して買い足したお蔭で、今バッグの中身は四割程食料が占拠している状態だ。
それでも、俺一人を想定した分だけである。五人分となれば、食料は一週間持つかどうか程度だろう。
「処分で良いと思いますよ、信次さん。 このまま生かしていても価値など無いでしょうし」
冷ややかな言葉を吐き出す彩は無慈悲だ。利用出来るだけの価値も無いと判断し、さっさと処分して俺の休息を第一と考えているらしい。
彼女が一歩前に出れば、途端に彼等は恐怖に怯える声を漏らす。
当たり前だ。生殺与奪の権利を持ちながらも、彩は処分を選択して殺そうとしている。人間としての感情の揺らぎではなく、デウスとしての損得勘定で考えているからこそ簡単に出せる結論だ。
このまま彼女の自由にさせておけば、合図と共にワシズ達の銃が火を吹くだろう。何も悪い事をしていないにも関わらず、それはあまりにもあまりな末路だ。
「少し待て、彩。 ……一応の確認はしておくが、金は無いんだよな?」
「あ、ああ。 小遣いも全部使っちまった」
「なら、職場を探す熱意はあるか?」
「金を稼げるなら何でも構わない。……けど、今の年齢じゃ働けないんだ」
普通、働けるのは十八を超えてからだ。
それより幼い頃から稼ぐとするなら、親の家業を手伝うか自身の才を磨いて稼ぐ。後は運良く中卒でも募集している職場を見つけるくらいなもの。
そのどれもが無いのであれば、稼げず死ぬだけ。だからこそ此処に居る面々はどんな事でもすると言っているのだ。
選り好みする余裕が無い者特有の思考だ。これが企業であれば扱いやすい相手として下に見られるものだが、俺達は複数の相手を長時間養うだけの資金は皆無。
長時間養うのであれば、資金が発生する流れを構築しなければならない。今回金を手に出来たのはある意味軍との繋がりが結果的に出来ていたからだ。
彼等ぐらいの年齢でそれをしろとするのは酷だ。未だ大人が庇護せねばならず、甘えても許される年齢だけに素直に突っぱねては大人は酷い者ばかりだと偏見を持たれかねん。
彼等が将来的に生還出来るかどうかは運だ。現状は死亡の確率が高く、しかし死ぬと断言するのも難しい。
ならば、此処は捨てる思いで助けるのを俺は選びたいと思う。例え本当に失敗に終わってしまったとしても、そこに悔いを残さないようにすれば良いのだ。
期待をしないこと。それが今を生きる上で一番大事なことである。
それが良い結果になれば運が良かった程度に留め、裏切られてもそうかと思うだけにすれば良い。相手には冷たい風に受け取られるが、本当に誰かに何かをするなら期待をしてはいけないのである。
「――解った、良いだろう」
「信次さんッ!?」
俺の言葉に彩が驚きの声をあげる。普段よりも二割か三割程度高くなった大声は、この夜にはよく響いた。
土下座を行っていた男達も総じて顔をあげて驚きを含んだ顔を向けているものの、次の瞬間には喜びに顔を染める。
漸く生存へのチケットを掴んだのだ。これを絶対に離さない為にも、彼等は如何なる仕事も行うだろう。俺が眠った際に強奪が起きる懸念があるものの、彩達が常時警戒していれば誰も奪う事は出来ない。
では代わりに何をさせるのか。思い付くのは簡単なものだけだ。
「食料は別けよう。 だが、一つやってもらいたいことがある」
「どんなことでしょうか」
顔をあげて正座の体勢となった彼等に告げる内容は、一言で語ればただの流言拡散だ。
今この時勢の中で軍は辛い立ち位置にある。デモも今は落ち着いているものの、遠くない内に再発するのは確定だ。
そうなった時、一番割を食うのは前線で戦うデウス達である。兵士達にも影響は出るが、最も被害が出てしまうのは彼等であるのは言うまでもない。
それを解決するにはどうすべきか。軍の力だけで解決出来ないのならば、民衆の力を追加する以外に無い。
他国に頼ろうにもそちらも自国独自の問題を抱えている。単純なものから複雑なものまで、国が抱える問題は多種多様だ。
勿論日本もそれは同じで、けれども日本人の場合はある程度は疑わずに噂に踊ってしまう。
それが良い訳では無いのだが、今回ばかりはそれで良かった。
流すのは単純。今現在、企業によって再建された街は今後軍から守られない可能性が高い。よって逃げるなら国が再建した街に逃げた方が良い、という情報を彼等が移動した街に噂として流してもらうことだ。
その言葉に孤児達の表情は青くなる。詳しくは解らずとも、国が守らないと言っていると思ったのだろう。
それは今は嘘ではあるが、将来的に嘘ではなくなる可能性が高い。
その時になってからでは国家が民衆を保護するのは難しいだろう。ならば今の内に企業が再建に使用する資金も国家の為に使わせるようにした方が良い。
企業が求めるのは利益だ。そして利益を生むには人が必要不可欠。
ならば移動させてしまえば良いのだ。国家にとって都合が良い方向に動かせば、警察も軍も把握がし易くなる。
そして、そうなった頃には俺達が原因であるとは誰も思わない。目立たず、かつ恩を売るにはこれは中々に良いのではないだろうか。
素人の思考であるが、人数が増えればそれを防ごうとするのも限界がある。加え、今は被害甚大な街が多い状態だ。
誰だって救いが欲しくて軍の近くにも行くだろうよ。デモをしている余裕も次第に無くなってくる。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「礼は良い。 それよりも仕事をきっちり頼むな?」
「はい! 街一つとは言わず、他の街にもどんどん広めていきます!!」
俺の持っている食料の半分。更にアタッシュケースに入っていた札束の一部を彼等にあげた。
今回の結果によってはこのあげた分以上の利益が生まれる。時間は掛かるだろうが、投資とはそういうものだというのを俺は浅い知識ながらも知っていた。
走り去っていく彼等を見て、俺は寝袋へと入る。――その刹那、近寄ってきた彩に耳元で意地悪ですねと囁かれた。
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