第百三十三話 君に想いを
会議という名の彩の一方通告は、誰にとっても今後の未来を悪くさせたと認識されている。
欲しいものだけを選び、要らないものを拒む彼女の姿勢は社会であれば生活出来ない不適合者も同然だ。
辛うじて只野というストッパーが居たお蔭でこれまでの間は生きてこれたが、今回は彼が自由にした結果として最悪の終わりを見せてしまった。
しかし、その選択に彩を抱いていない。只野に怒られるとも考えず、普段と変わらぬ様子で他のデウス達をこの日も鍛えていた。
参加者の数は以前にも増して多い。あの彩の姿を何処からか見つけ出した岐阜基地のデウス達が殺到し、一時間をかけて何とか整理したところである。
明日は参加出来なかった者達を優先して参加させ、全体の技量を上げるつもりだ。
今も彩には無数の視線が注がれている。
感情の種類は羨望と僅かな嫉妬。その嫉妬と羨望は、しかして彩にとっては極めて都合の良いものだ。
彩のようになれればと思う羨望に、差を感じたことによる嫉妬は燃料になる。その燃料を燃やして技量を磨く事に注力すれば、彩程とは言わないまでも強くはなるだろう。
同時に、そうして鍛錬に集中してくれることで只野に余計な視線を向けることは無くなってくれる。
彩にとっては後者の方が有難いことで、変な絡まれ方をした只野を助ける事は彼女にとって日常茶飯事だった。
けれども、その只野の姿は今は無い。日課分は参加したものの、普段なら休んでいる場所から姿を消している。
「信次、何処?」
「指揮官の所だ。どうやら私に聞くのではなく、あの人に聞くつもりなのだろうよ」
舌打ちを一つ。
表情の一切を無にして鍛錬風景を見ていた彩は、隣に居たシミズの声に眉を寄せる。
只野が居ないのは伊藤指揮官に呼ばれたからだ。理由は先に彩が告げた通り、只野の口から彩のあの状態についての説明を行ってもらおうと考えたからである。
伊藤指揮官は只野がそれを知っているかどうかは知らない筈であるが、あちら側は彩が説明する相手は只野以外居ないと推測しているのだ。
その推測は間違ってはいない。実際に彩は真っ先に只野の疑問に答え、説明を行っている。
彩が話さなかった以上は他から情報を入手するしかない。故に只野を利用するのは間違いではなく、されどそんな真似をする伊藤指揮官に彩は不快を感じていた。
「良いの?信次、話すかも」
「構わないさ。話しても話さなくても、何も変わらない。私達が異常である限り、説明したところで誰も到達出来んよ――それに、あの人の選択を極力否定したくはない」
「……正妻の余裕?」
「ま、そういうことだ。お前もワシズもさっさと到達しろよ?」
シミズの言葉に彩は軽く返す。
これまでの厳しい口調ばかりだった時よりも、その声音は只野と接する時に近かった。
その代わりとばかりにワシズ達に突き付けた内容は過酷も過酷。一生辿り着けるかどうかも解らない内容に、しかしてシミズは迷わずに首肯する。
そもそも、只野に向ける愛をシミズもワシズも一切捨ててはいない。深度は彩程ではないものの、到達した者の姿を見れば何れはその深度にまで到達するだろう。
問題なのは只野が彩に向けるような愛をシミズ達にも向けてくれるか。
それが無ければ同じ場所には立てない。そして、シミズ達は最初のボディから躓いていた。
シミズは自身の胸を触る。そこにあるのはまな板も同然の胸に、見るからに幼い姿。
彩もかなり若い見た目とはいえ、恋愛を行う事に不足は無い。所謂ロリコンであればシミズと真剣に恋愛を行うだろうが、現段階では只野はまったくのノーマルだ。
「夜這い……」
「それをしてもあの人が惚れるとは思わんぞ。後、それをしたら私が殺す」
シミズが考えた案を彩は即座に却下した。最後の部分には殺意を込めて贈り、シミズも正論だと頷く。
そんな真似をしても芽生えるのは恐怖か、良くて責任感だけである。恋愛に発展するには余程精神的に追い詰める必要があり、そうする前に彩が破壊しに来るだろう。
選択肢としては悪手も悪手。真っ先に切り捨てるべきものである。
だとすればどうやって只野を落とすべきか。シミズは空を眺めながら、浮かび上がる無数の案を吟味していた。
「――どうだ、彼女の様子は」
「今の所変化はありませんよ。極めて平常運転です」
場所は変わり、執務室。
対面に座りながら気楽に語り掛ける伊藤指揮官に只野も笑みを見せながら無難に返す。
机の上にはコーヒーが二つとみたらし団子が十本。普段とはまるで違う軽い雰囲気に違和感を覚えながらも只野は出された物を三本消化した。
部屋の中に他の人影は居ない。完全な二人きりの状況だが、既に只野は慣れてしまった。
普通であれば緊張を覚えるものだろう。けれども、こんな状況になるのも最早数えきれない。緊張を覚えるのはよっぽどの状況くらいなものだ。
「先に言っておきますが、彩のあれを教えるつもりはありません。彼女がそれを選択したのなら、俺が口を出すことではありませんから」
「やはりそう言うか。予想通りだな、まったく」
先制攻撃。
只野はそれだけ告げ、コーヒーを喉に通す。
伊藤指揮官もそれは予想の範囲内なのだろう。苦笑しながら同様にコーヒーで喉を潤し、怒る素振りも見せずに寧ろ心配気な眼差しで只野を見つめた。
言いたい事は只野にも解っている。このままでは更なる厄介事を生み出すだろうと。
今度の厄介事の相手は軍だ。敵ではない分その質は非常に悪いし、只野達のやっていた事を思い返せば埃は無数に存在する。
それは只野自身が被害者であるという事を加味してもなお足りない埃だ。普通ならばこのまま軍の牢屋の中で暮らしていても不思議ではなく、故にこそ此処で軍が敵になっても今更ではある。
「一先ず、偽の情報を流す事は止めた方が良いでしょうね」
「だろうな。今回の一件で軍の信用度は落ちた。その回復の為にも彩のあのシステムを手にして領土奪還を狙いたい筈。その為に無数のデウスが実験によって死ぬのであれば、偽の情報を流すのは直接自身の兵を失わせるようなものだ」
「かといって、それで沈黙を貫けば拷問が始まると」
「彩には精神的に、君には肉体的な拷問が始まるだろうな。軍ではよく聞く話だ」
只野達を犯罪者と定め、拷問を行う正当性を手にするのが最初のスタートだ。
その後に只野達を捕まえ、情報を手にするまで拷問を繰り返す。彩の場合は記憶領域を直接覗くという方法があるが、時間が掛かる上に彩がロックすればそう簡単には覗けない。
であれば、彩にとって掛け替えの無い存在である只野の拷問風景を見せれば解決だ。精神的に責め続け、自身から提供すれば最早只野も彩も不要となる。
後は適当に処分されるのが関の山。容易に想像出来てしまう顛末に、只野は溜息を吐いた。
「これって前提条件として彩に勝つ必要があるんですよね」
「そうだな。彩の無力化を行うのが前提にあるが、以前に話した通り君を人質にする方法も有る。彩を抑える事が不可能だと判断すれば、今度は君が標的にされるだろうな」
「……俺はお荷物って訳ですね」
「端的に言ってしまえばな。だが、そもそも投入される戦力はデウスになるだろうからあまり差はあるまいよ。――そちらが求める一番最適な解決方法は、もう一人彩のような存在を用意することだろうな」
誰にも情報を渡したくはない。そして、攻められて跳ね返せる力が欲しい。
どちらも解決するには、やはり複数人彩と同等の存在が必要がある。何も知らない伊藤指揮官はそう零し、只野はそれに対して頭を抱えることになった。
よろしければ評価お願いします。




