第百二十九話 焔
――視界に映る一枚のモニター。その中に立つ男の姿を、彩は一度として見た覚えが無い。
白衣を着込み、体格は酷く細い状態だ。黒髪の中には一部白髪が見え、掛けた眼鏡は黒く太い縁のデザイン。
頬も常人と比較して痩せている。そして、その瞳には穏やかな輝きが宿っていた。
モニターの周りは一面白に囲まれている。白い天井に、白い壁に、白い床と一面全てを一色で染められた空間の中で男はカメラに向かって顔を向けていた。
腕を後ろで組む男の映像は、どれだけ過去を漁っても彩には一度も撮っていないものだ。
他に誰かから動画を提供される事はあっても、事前にチェック等は済ませていた。何よりも、彩は動画を見る事を選択した覚えはまったく無い。
『この映像は特定の事象が発生した場合にのみ自動的に流れるようになっている。僕の名前は柴田・亮。君達に一番解り易く説明するのなら、デウスの生みの親だ』
男の発した言葉に、彩は周りを気にせず目を見開く。
デウスの生みの親は既に死亡している。その情報は軍から出された正式声明であり、研究所も彼に関する声明には一切の否定を挟まなかった。
彼の死が発表されてから、既に技術は停滞を見せ始めている。今はまだゆっくりと進んでいるものの、爆発的な進歩はまるで起きてはいなかった。
そんな男から送られた突然の動画。仕掛けを施され、発動するには現在の彩のような状態にならなくてはならない。
その時点で柴田はデウスの誰もに何かを施しているのは明白だ。
それが一体何なのか。彩は鋭く見つめながら、柴田の言葉を待つ。
『この動画はブラックボックスの深奥に潜ませておいたものだ。私以外の者には発見されないようにしたのだが、もしかしたら誰かがこの動画を発見しているかもしれない。その時はすまないね』
唇に人差し指を当て、軽くカメラにウインクを送る。
『さて、ふざけた言葉はこの辺で。君は恐らく、デウスの中では一等特殊な状況に立っている筈だ。具体的には、人間との間に愛を育んでいるだろうね。それはデウスとしては当たり前になってほしいことなんだけど、現在の情勢や人の性質がそれを許さないだろう』
愛の言葉に、場違いながらも彩は頬を僅かに染める。
実際に彩と只野の関係は明確にしていないながらも恋人も同然だ。愛を伝え合い、互いに意識もしている。
優先度も比較的彩の方に比重が寄っていると彼女も自覚していて、それでも他者に指摘されると羞恥が騒ぐ。
同時に、無視出来ない問題もある。柴田が語っているのは、つまりデウスと人間の間に愛が生まれるのは必然であるということだ。
それは彼女が断固として有り得ないと宣言する未来であり、その部分を柴田自身も肯定している。
今の情勢では人との間に愛は生まれ辛い。自身という例がある限り絶対ではないものの、極めて確率は低いだろう。
『僕はね、とある発見をした。それはこうして動画に残せる情報ではないし、信頼出来る者に対してか物に対してでしか残せない情報だ。出来ることなら、これが使われないことを切に願うくらいには重大な情報なんだよ』
彩のブラックボックスに突如としてインストールが始まる。
視界の端に映る情報を彩は慌てて止めようとするが、一切の指示を無視してインストールは急速に進んだ。
次々に展開される内容に目を通しながらも動画にも意識を傾けるのを忘れない。もしもウィルスであれば被害を限りなくゼロになるよう急がねばならないし、動画の情報そのものも重要だ。
あらゆる通信回線は今沈黙している。明らかに動画に関連するプログラムが勝手に動き出し、あらゆる情報漏洩を防がんと此方の指示を一切無視していた。
『だが、それではあの穴から出現する怪物達を打倒出来ない。加え、僕自身が人との愛を否定することになる。だからこそ、特定の条件と専用のツールを用意した。今正に君にインストールされているツールは僕が出来れば封印したままでいてほしかったものだ。それを使って――愛を守れ』
世界を守る為に作ったデウスに対して、柴田は世界を守れとは言わなかった。
守るべきは愛。己にとって最も大切な者を守る為に、一つの盾になれと彼は語っている。その為の手段として、開発者である柴田が危惧したツールが今インストールを完了した。
彩の視界に浮かび上がる一枚の盾のエンブレム。凝った作りのものではなく、中世の王家が使っているイメージを抱かせる銀の盾がそこにはある。
内部情報は動画と共に理解した。同時に、彩も柴田と同じ感想を抱く。
これは早々簡単に使ってはならない。真に追い詰められた時にこそ使うべきであり、文字通り愛の結晶だ。
動画は愛を守れと言った直後に終了し、何時の間にか勝手に削除されていた。
記録には残っているものの、それだけだ。誰にも伝えてほしくないという願いが動画には込められており、彩はその願いを素直に受け入れた。
愛を守る。その純粋な願いを否定などさせはしない。
「……貴様、今何をした」
気付けば、周囲の声が恐ろしく鮮明に聞こえた。
周囲を見渡せば普段よりも相手の姿を鮮明に見る事が出来てしまい、思わず調整する必要が出てしまった程だ。
身体を簡単にスキャンする。一瞬だけ走った光のラインは今まで起きなかった事で、一瞬でスキャンすら終わった。
そこから解るのは、明らかな性能向上。
これまでの他の人間が生み出したパーツが時代錯誤に思えてしまう程に彩の全身が他とは違い過ぎた。
これまでのエネルギー供給率を十とすれば、現在は二十。負傷した手足は全て元通りを超えて強化され、装備に至ってはメモリに入れていた分も含めて別物になっていた。
試しにと自身の専用装備を取り出す。
アサルトライフルは一度溶けたような痕を残しつつ、その中心に一筋の青白いラインを走らせていた。
握った瞬間に彼女の視界には武器の詳細が伝えられ、此方も完全に変質していると理解する。
何も反応を示さない彩に、超能力者は舌打ちをしてパワードスーツに指示を送った。途端に武器が彩の方向へと動き、一斉に攻撃を開始する。
回避も防御も行う素振りを見せず、彩はそのまま弾丸の嵐と激突した。
『彩!』
切れていた回線が復旧する。
彩からの視覚情報が送られた瞬間に、只野は叫んだ。恥も何もかもを捨てて、自分が家族だと断じる女に向かって心から心配の念を送ったのだ。
声を送っただけで何かが変わる訳では無い。劇的に性能が変わる訳でも、味方が増える事も無い。
だが、愛があったのだ。人と違う種族に対して、彼は愛を抱いている。
それだけで十分だった。彩にとっても、柴田にとっても、真実それだけで構わなかった。
ならば、総じて燃え尽きろ。愛は全てを凌駕する故に。
小規模の弾幕が消える。無数の弾丸が外に弾ける事も無く、全てが本人に命中しただろう。
先程の被害だけでも既に危険な状態だったのだ。その数倍を受けるのであれば、破壊されても不思議ではない。
だというのに、何故だろうか。
誰もが皆、身体を震わせる。人間である超能力者は別として、デウスの身体にそのような機能は無い筈なのに。
パワードスーツも自身の身体を軋ませながら震えている。あらゆる制限を飛び越えて、脳味噌が恐怖を抱いているのだ。
煙が徐々に晴れていく。
上から消えていく中で、それは居た。
「転送、完了」
黒色の装飾されていない無骨な盾。
その足元に無数の弾丸が潰れたまま転がり、盾に一つも傷を付けていない。
盾はそのまま彼女の周囲を回るように三つに別れて浮遊を開始する。同時に彩の手には出した時以上の光を放つ専用装備が存在し、体中が蒼い炎に包まれていた。
ともすれば、そのまま全身が燃え尽きてしまいそうなその炎は、彩を燃やす気配を見せない。
他へと炎が移る事も無く、彼女だけをその炎は燃やしていた。
よろしければ評価お願いします。




