第百二十二話 法
爆発音の中を走り回ればどうしたとしても戦闘には発展する。
開始から既に三十分も経過していれば街中のありとあらゆる箇所で戦闘が発生するのも自然だ。
重大なのは、その戦闘によってどちらの被害の方が甚大であるかである。軍側が被害を出していればそれは普通であり、逆に追い詰められていれば異常だ。
仮にそのどちらでもない拮抗になったとしても、そもそもそうなる事が異常である。
これまでの道理を示すのであれば、軍側が優勢でなければならない。
そして、前進基地を築き上げたデウス達の後に無数の兵士が降り立ち、戦闘音が鳴る場所を双眼鏡で覗き見る。
その結果を見つめ、各々の基地に居る指揮官に対して声を大にして報告を始めた。
「報告します!此方岐阜の第三小隊より、相手の戦力は健在です!!」
その声に、降りてきたばかりの兵士達は驚きを込めて確認の為に双眼鏡を覗く。
道路には無数の死体の山が出来上がっていた。その殆どが各々の基地の人間ではなく、敵側の人間だ。
服装は各々違う。完全に私服の者も居れば、日本の何処の部隊にも当て嵌まらない赤の制服を纏う者も居る。多いのは主に私服の者達であり、制服を着ている者達の死体は僅かに数体しか存在しない。
持っている装備にも明確な差が存在し、私服側の装備はデウスを相手にするのであれば非常に貧弱だ。アサルトライフル一丁に手榴弾が三つ。中にはグレネードランチャーも見受けられたものの、それだけではデウスの装甲を貫通させる事は不可能だ。
まるで捨て駒も同然のような装備。そして実際、この者達は捨て駒なのだろう。
今もデウスからは報告の声が上がるものの、その殆どが私服を着た者達だ。制服を着ている者達を発見する事は出来ず、一度制圧したと思われる箇所にも警戒しなければならない。
だが、その時点で兵士の殆どが疑問に思う。デウスの探知は戦場に居る時点で最大だ。
数百のデウスが活動すればカバー出来ない範囲など存在せず、それでも発見出来ていないのだとすれば――相手の目的は軍の裏を掻くことだろう。
これだけの数だ。連隊の時でもそうであるが、正面からの突破は不可能だと誰でも考える。
「――まず一」
建物の影から、まるで最初からそこに居るかの如く兵士の背後に黒い人影が現れる。
出現位置は拠点として定めた高層ビルの屋上。即ち、兵士達の着地エリア。
無数の目がある筈のその場所で、背後に現れた人影は目の前の兵士の首にナイフを突き立てた。突然の攻撃によって兵士は何も考える間も無く死に、それを見ていた者達は絶叫をあげながらハンドガンを向ける。
未だ夕闇にも届かない時刻。相手の姿はよく見える筈だが、兵士達には困惑が広がっていた。
「なんだ、狙いが……」
「くっそ……なんでブレて見えるんだよ」
全員が全員、相手の姿が正確に捉えられない。
幽鬼の如く、陽炎の如く、人を人として捉える事も定かに非ず。纏っている黒のフード付きコートによってか顔も身体の線も解らない。像のサイズによって成人と同程度であるとまでは解るものの、かといってそれ以上の情報を見つけることは出来なかった。
手には大型のナイフ。頑丈さを求めた肉厚の近接武器もまた、二重三重にと揺らめいている。
フードの中から覗く瞳には殺意しか存在しない。この場に居る者全てを殺し尽くしてみせると言わんばかりの鋭さに、今までデウスの任せ続けていた兵士の一部は数歩後退った。
「どうした、俺は一人。お前達は一人ではない。攻撃すれば殺せるだろうに、何もしないのか」
影が動く。
それを察した兵士達は手に持つ武器を向け、そのまま我武者羅に引き金を押した。
途端に広がる無数の弾痕と硝煙。砕けたコンクリートが宙を舞い、影を狙った攻撃はあまりにも過剰な域だ。
荒い息を吐き、目を見開きながら弾切れになっても引き金を押す指は止まらない。リロードの事も頭から離れ、別のビルに居た者からの怒声混じりの声で我に返った。
「どうした! 何があった!!」
『ひ、人影を発見しました……い、今この場に居る全員で攻撃をしましたが――――』
「……おい! どうした!! ……っチ、通信が切れた。どうなってやがる」
怒声をあげる兵士の声は突然の通信切断によって届く事は無かった。
舌打ちをしながら腰に下げた双眼鏡で音の方向へと目を向ける。先程の銃声の結果として硝煙がビルの屋上を覆い隠し、目を凝らしてもまったく見ることは出来ない。
晴れるのを待つ他に無く、されど異常が起きているのは事実だ。無線で一部のデウスを戻してもらうよう自身の指揮官に声を掛け、攻撃よりも防御に集中するように他の兵士にも声を掛けていく。
普段であればそれに反感を抱く兵士も一部居るのだが、此処は何が起こるか解らない場所だ。少しでも生存性を高める為には何か異変を察知した者達で固まっていた方が良いと素直に聞いた。
やがて煙が晴れ、ビルの屋上が露になる。
もう一度確認した時に見えた屋上の光景は――全てが死体というものだった。
死んでいるのは全て同種の死体。即ち敵側の死体は一つも存在せず、あるのは味方側の死体のみだ。
装備が引き剥がされている気配は無い。拡大を最大にして死因を確認し、その全てが首からの一閃である事が判明した。
相手は隠密系。チャンスがあれば即座に行動に移す、危険極まる相手だ。
デウスを相手にするような者達の時点でまともではないとは考えていた。それでも、デウスが傍に居れば何とかなるのだと漠然とした希望も感じていた。
けれどもそれは、この場において灰燼に帰している。
生き残るのならば仲間達と道を切り開け。
「それが出来るのならばな」
「……ッ、何ィ!?」
兵士の足元で声がした。
その声に籠った暗い感情で、兵士は半ば無意識に銃だけを下に動かす。己の足がどうなるかすらも考えず、驚きの声を漏らしながらも足元に向かって引き金を押し込んだ。
瞬間、他のビルと同様に硝煙が発生する。彼を見ていた他の兵士は引き金を押さずに周辺に意識を向け、再度出現した際には迷うことなく撃ち抜くと集中していた。
「良いな。一回逃したぞ」
「右ッ!」
耳から入った声に脳味噌を通す前に脊髄反射で叫ぶ。
同時に全員が生き残る為に銃を向け、しかしてその姿は何処にも居なかった。
兵士も自分の本能に従った声に間違いがあるとは思わない。にも関わらずに姿が見えず、一瞬だけ思考が停止する。
そして、相手はそのチャンスを見逃さない。
最初に一回、骨を断つ音がビルに響く。兵士の一人が倒れ、その屋上を自身の血で染め上げた。
今度は全員が左を向く。しかしそこには誰も居ない。一切の痕跡も残さず消えるその姿はさながら透明にでもなったかのようで――だからこそ今回の異常の正体に即座に辿り着いた。
「指揮官に報告!」
「――遅い」
その正体が自身の考えるものと同一であれば、自分達ではまず勝てない。
であるからこそ兵士は無線を即座に指揮官に告げ、何かを発する前にその首をナイフで断つ。
口封じの為に放たれた一撃は容易に人間の首と胴体を切り離し、そのまま宙を舞った。胴体はそのまま倒れ、首は眼下の地面に向かって落下していく。
その刹那、意識が喪失する瞬間に兵士は見た。
僅かに発生していた人影の中に潜っていく人間の姿を。比喩でも何でもなく、身体をそのまま沈み込ませる姿を。
超能力者。その姿を兵士は初めて見た。
理不尽を成す力。法則を無視する人間。超越の体現者。
その力は正しく、戦場という環境において脅威としか言えない恐ろしさを秘めていた。
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