第百十四話 いざ、鉄の時代を切り開け
光があれば闇もある。
それは古今東西使い古された言葉だ。メリットデメリットの関係も同様の意味を持ち、何処の世代の中でもその真実は続いている。
絶望的な世界でもそれは一緒だ。やがては平和になるかもしれない社会の中で、それでも人間の欲望は消えてはくれない。一定数の善人が生まれれば、同時に一定数の悪人もまた生まれるのだ。
暗夜に閉ざされた世界の中に、それはある。
耳に痛い程の騒音の数々。無数に蠢く機械の腕。ベルトコンベアーが縦横無尽に広がり、人の足が入れる余地は残されてはいない。
騒音の種類は機械の駆動音と――人の悲鳴。
蠢く機械の腕が持つのは人体であり、中には人間の一部だけを持つ腕もある。ベルトコンベアーの上には拘束された人間が何処かへと流され、その顔は苦痛と恐怖に歪んでいた。
その場所を端的に表すのであれば人間工場。
人間を用いて何かを生産する。その目的の為に設計された施設は、著しく人間の道理からは反していた。
その空間を見守る数台の監視カメラ。一定の間隔で動くカメラに人間の意志は存在せず、そのカメラが映している映像は別の部屋に出力している。
監視部屋の中には無数のモニターが並ぶ。他のモニターにも似たり寄ったりな光景が見え、今も人間が途絶える気配を見せない。
モニターの前に設置された椅子には一人の人間が座っていた。白衣を纏い、その下には黒のワイシャツに青のネクタイを巻いている。濃緑のズボンはお洒落とは縁の無い恰好であり、故にこそこの場の雰囲気に適しているとも言えるだろう。
「――出来はまずまず。予定とは遅れていますな」
されど、その顔は穏やかな老人のものだ。
地獄のような光景を見つめている筈だが、この老人の顔には慈愛が籠っている。まるで今この瞬間に尊厳を剥奪されている人間を愛しているかの如く。
その表情は絶望的なまでに現在の状況とは違い過ぎた。少なくとも、誰もがこの老人を常識のある人間だとは思わないだろう。
そして、件の老人は誰も居ない空間に誰かへと言葉を送る。
それに対する言葉は無い。響く老人の声だけが虚しく響くだけだ。しかし、当の本人も返ってくるとは思っていない。
両手を組み合わせ、モニターの一角を見る。
画面に表示されている内容は三つの円錐のカプセルだ。縦に設置されたカプセルはガラス材質であり、内部は緑の液体で満たされている。中には人間の脳だけが残され、他の部位は見受けられない。
カプセルの周りには数台の工業用パワードスーツがあり、全身の数ヶ所に改造が施されている。
特に目立つのは両腕だろう。本来であれば工具を装着する事が出来る筈のアームには一門のマシンガンが付けられ、全身の色も警戒色である黄色から緑に塗装されていた。
「このような玩具で試さなければならないとは……。非常に失礼極まりない」
我が身の努力が足らん証拠ですなぁ。
呟く老人の声音には、確かに脳に対する謝罪の意があった。それが脳に直接届く事は無く、そもそもこの脳だけでは何の行動も起こせない。老人の謝意は只の独り言も同然であり、誰かに聞かせるつもりもないのだろう。
モニターに映る脳が浮いたカプセルが動く。部屋の両端からアームが出現し、先端は半円のガラスを掴んでいる。
内部はカプセルと同様に緑の液体に満たされ、アームが近付くに合わせてカプセルの側面が開く。一部分のみが開いたカプセルからは緑の液体が溢れ出すものの、それを無視して二つのアームは内部の脳を半円のガラスの中に収めた。
そのままアームはカプセルから離れ、改造されたパワードスーツに近付く。
遠隔操作をされているのか、パワードスーツは自動的に搭乗部分を展開させた。中には複数のコード露出し、少なくとも実際に入り込んで操作する事は不可能だ。
操作用のレバーやスイッチも無く、外を見る為の内部モニターも存在していない。このまま人を乗せたとしても閉じ込められるだけとなり、使い道はまったく存在しないだろう。
だが、こうなっているからこそこの場では意味を持つ。ガラスの半円は人間の頭部と思われる位置に設置され、自動的にコードがガラスに接続されていく。
最後に搭乗部分は閉ざされ、立ち続けていた無人の筈のパワードスーツは一人でに起動した。
脳が収められている部分を中心に、まるで人間のように頭部に相当する部位が左右のアームを見る。そして緩やかに後ろへと足を動かし、そのまま壁に身体を激突させた。
その仕草の全てが人間臭く、真実を知る老人は満足気に息を吐く。
これで良し、準備は整った。老人は組んでいた手を離し、目の前のキーボードで何かを入力する。
その直後にパワードスーツは壁にぶつけていた身体を直立させる。そのまま足だけを動かし、監視カメラの外へと移動していった。
カメラに取り付けられたマイクからは新しい駆動音が聞こえ、同時にサイレンが鳴っている。
駆動音は次第に何処かへと消えていき、最後にはまた元の音だけとなった。
「では早速、始めるとしようかね。要求された数のゴーレムは既に所定の位置に向かわせた。後はこのまま、吉報が入る事を祈るのみだ」
――――まぁ、失敗に終わるだろうがね。
呟く老人の声は最後まで誰も聞く事は無かった。そして、同時刻。
隠蔽された工場からは先程までの騒音の数々はまるで聞こえていない。静かな森の中には動物が潜み、工場の周りには他の建築物は見受けられなかった。
動物達にとってその工場はただの風景でしかないのだろう。人間の目から見れば違和感の強い風景であるが、無音である限り動物には気にする事は何も無い。
だからこそ、突然響いた重低音の数々に動物は一気に姿を消した。
大規模なシャッターが開かれ、中から数台のパワードスーツが姿を現す。ゆっくりと歩を進む様に監視カメラで映っていた人間らしさは無く、足を動かす素振りは機械的だ。
数台が目指す先は決まっているのか、全員が一定の距離を取りながら一直線に進んでいる。
動物も草木も気にせず、邪魔する障害物は足で踏み潰してでも突破した。大木のみは回避しているものの、突撃する猪や犬の群れはマシンガンによって駆逐される。
一台の怪物と化した存在に、自然はまったく太刀打ち出来ない。破壊出来るとすれば震災クラスの攻撃が必要であり、それだけのものを用意すれば周囲への被害も当然大きい。
紛れも無い悲劇によって完成された兵器は、その誕生理由だけにまっとうに使われる事は無いだろう。
それを老人自身も承知している。そもそも、そうなる事を前提にして作っていなければあのパワードスーツは完成されないだろう。
「……始まったな。さて、お手並み拝見といこうか」
森を踏破するパワードスーツ達を双眼鏡越しに見つめる影が居る。
暗闇に紛れている故に姿は視認出来ず、唯一声音から喜悦を抱いている事だけが解った。その影の周りには更に複数人の気配があり、言葉を発する事は無い。
騒動の種は生まれた。後は撒かれ、人々に認知されるのみ。
世界の認識はこれより変わる。数年という短い歴史を終わらせ、元の時代へと還っていくのだ。
――幻想が終わり、現実が帰ってくる。確かな決意を胸に秘め、双眼鏡で覗いていた影は他の気配を引き連れてその場から離れていく。
その数日後、各地から無数の火の手が上がり始める。
最初は小さな灯が、最後は紅蓮の焔になるように。村から始まる惨劇は、皆殺しという形となって軍にも伝わっていく。
いざ、鉄の時代を切り開け。
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