第百十三話 逸脱者
人の世には等価交換がある。
何かを得る為に何かを失う。それが必然として存在し、その法則からは逃れられない。
それは生物の構造からも解る。人は考える頭を手にした代わりに、身体そのものは酷く脆い。もしも両方を手にする事が出来るのなら、それは只の都合の良い夢だ。
デウスとてその法則からは逃れられない。人間のような頭脳を持ち、並ぶ者の居ない剛力を持ってはいても、その身にどうしようもない爆弾を抱えている。
植え付けられた本能。制御装置として設定した感情こそがデウスにとって弱点となる。
それをもしも失う事が出来たとしても、デウスは本当の意味では完成しない。人との共存を前提に構築されたボディは、それ故に矛盾を抱えていると言っても過言ではない。
「身体の方はどうだ?」
「少々お待ちください」
訓練の終わった午後二時。
彩の分の修理が完了したとの整備班からの言葉が彼等の部屋に届き、彩は整備班と共に元のボディへとブラックボックスを移動させた。
修理の終わったボディ自体に特に変化は無く、只野が見ても然程の差は感じられない。
元々中身の被害が大きかったが故なのだが、それでも本当に修理が施されたのかは彼には解らないのである。よって彩本人に調子を確かめてもらい、当の本人が微笑みを浮かべて只野を見る事によって無事に修理が終わっている事を示した。
「基本的には壊れている箇所が直っていますが、どうやら私が離れている間に技術が進んだようです。新しいパーツを用いた為に従来よりも出力が上昇し、外部記憶領域を獲得したのでこれまで以上に装備を保存する事が可能になっています」
「そのパーツは本当に安全な代物か?」
「確認は済ませてあります。少々過激な事をしましたが、今後の活動を考えればこれは絶対に行わなければならない事です」
彩の確認とは、即ち武器を用いた脅しである。
ボディが劣化しているとはいえ、それでも彼女の力は強力だ。殴られるだけで生命を終わらせる事が出来る以上、そんな相手が武器を持って確認を行えば整備班も素直にならざるを得ない。
また、本来ならば設置する筈の安全装置は全て除去済みだ。これによって軍から強制的に命令を聞かせる事は不可能となり、名実ともに完全な鎖から解き放たれる事となった。
自由になった彼女はしかし、今もこうして只野の傍だ。自由になっても自らの意志で彼に縛られる事を望み、今も彩は調子を確かめながらも只野と距離を詰めていた。
最初はその行為を只野は解っていなかったが、流石にあまりにも近過ぎてしまっては気付かない筈もない。
「……一先ず、内部に不審なプログラムは入ってはいないようです。外見の変化も特に無いとは思いますが、どうですか?」
「そう、だな。特に変化は無いと思うよ」
互いに立ったまま、彼女は酷く近い距離で彼に対して腕を広げる。
まるでハグする寸前の姿にも見えるが、当の本人はそれ以上の真似はしてこない。そこから先は彼に近付いてもらいたいと思っているのは明白であり、期待の籠った眼差しには出来れば彼も答えたいところである。
しかし、それが出来るとしたら二人っきりの時だけだ。
彩の背後では彼等を半目で睨むワシズとシミズが居る。どちらもその視線の矛先は彩だけであり、甘えるチャンスが出来たと思っている彼女に向かって嫉妬を送っていた。
雰囲気も決して明るいものではなく、何処か黒々とした空気は只野にとっては冷や汗ものである。
なので彩に対して無難な言葉を返しつつも、行動に移す事はしなかった。その点の分別は確りとするべきだという彼の言外の態度である。
そして、彩がそれを理解出来ない筈も無い。
頬を膨らませながらも離れ、冷え冷えとした目を二人に向ける。害意がある者に対する眼差しは相変わらずとも言え、ワシズとシミズも既に慣れたものと半目で睨む。この三人が盛大に暴れればこの基地の設備が全て崩壊するのだが、それを止められる唯一の人間である只野は苦笑するだけだ。
この三名が只野を巻き込んで暴れる事は無い。それは一度でもこのグループと話せば解ることだ。
この基地内でもそれを知らない者は居ないし、同時に迂闊に只野を利用出来ない。もしもそれによって只野が何等かの怪我を負えば、少なくとも三人は暴走が決定されている。
実際にはこの基地内の九割のデウスが暴走するのだが、それについて解っているのは彩くらいなものだ。
「少し外で動いてきます。状態を元に戻さないといけませんので」
「付き合うよ。一応、この中では俺がリーダーだしね。二人はどうする?」
「同伴しまーす!」
「同伴」
これまた相変わらずではあるが、彼が動けば全員が動く。
別れて活動する事は殆ど有り得ず、それこそ戦闘時でもなければ一時でも離れる事は無い。
邪魔をする者として清掃した中庭は、現段階では未だ荒れてはいなかった。しかしこのまま訓練を継続し続ければ、やがては草木の彩が豊富である中庭も荒れてしまうだろう。
長期滞在をしない只野には関係の無い話ではある。そして、彼等はそこまで自然を愛している訳では無い。
あれば雰囲気としては良いと思う程度だ。それだけに何時か荒れてしまう風景に思う事は少ない。
中庭に出た彩は戦闘装束に近い見た目の私服姿のまま、全力で動く。
只野の目ではまったく見えず、音は二重にも三重にも聞こえ、今此処で襲われても反応は不可能だ。
それが出来るとすれば今この場に居るワシズとシミズくらいなもの。その二名も彩の姿は朧気にしか見えていなかった。
性能の差は明確にある。しかしそれ以上のものを二人は感じていた。
解析を進めるものの、それに対する結果は不明の二文字。パーツの力と思う以上に、その急な変化に二人は彩の異常性を認識せざるを得ない。
まるで変質。或いは進化。一段も二段も飛び越えた話ではなく、今の彩は彼女達がこれまで見ていた彩のどんな姿よりも明らかに強くなっていた。
「……どう思う、シミズ」
「異常。不可思議。疑問」
「そうだね、普通じゃないよ。あんなの」
彼女達の生まれも普通ではない。しかしそれは所詮、生まれだ。
性能には直結せず、二人の性能的な部分は他のデウスとそう変わらない。その二名から見ても彩の今の状態が異常であると判断し、その原因であるだろう只野に目を向ける。
その本人は穏やかに眺めるだけ。どれだけ彩が異常性を極め始めているのかを理解出来ないからこそ、只野は何の事も無く見つめ続けている。
本人がまったく見えていないというのも理由としてはあるだろう。そして、知識があっても彼は単純に強くなったのだと喜ぶだけだと二人には簡単に予想が立てられる。
それがどれだけ今のデウス達に衝撃を与えるのかも知らず、二人が脅威に感じているのかも解らず、只野は極めて一般的な感性でもって彩を認識していた。
それは普通の人間であれば有り得ない事だ。陳腐な言葉ではあれども、人はどうしても異常に対して最初に脅威を抱くものである。
それが無いのであれば、残るは好奇心。だが、只野にはその両方が無い。
興味が無いのではなく、喜ばしさが心中を埋め尽くしてしているのだろう。無事に直って良かったと、これでまた一緒に居られると安堵している二つの瞳は、二人が嫉妬の業火を胸に抱いてしまう程暖かみに溢れている。
「私達も、あんな風になれるかな」
ワシズは思う。あの彩の状態になるには、普通のままではいられない。
無意識に至るまで常識という概念を放り捨てなければ、彩とは対等の関係にはなれないのだとワシズは根拠も無く確信した。そして、双子のような存在であるからこそシミズもまた想いは同一だ。
人の想いと、機械の想い。双方合わさり、互いが互いを尊重し、果てにあるのは究極の一。
彩はその領域へと至ろうとしている。完成された真の超越者として、存在としての格を高めようとしているのだ。
物語を作る者、新たな頂に立つ者――――機械仕掛けの神。
「なる。でなければ、放置されるだけ」
シミズの呟きには、力強さが籠っていた。
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