第百九話 天下
夕闇の時刻に執務室には二人の影があった。
服装は双方共に黒の軍服。帽子を目深に被り、互いに視線の向きを定かにさせようとはしていない。
部屋の端には二体のデウス。特徴的な髪色と瞳を持つその姿は、しかし今この部屋では脇役として壁に寄りかかっている。
我関せずというよりも、主役であるのは二人の男性なのだろう。
片方は執務机の椅子に座り、もう片方は急造のソファに座り込んでいる。机と硝子のテーブルの上には飲み終わった茶器が置かれたまま。
暫くの間この二名が話し込んでいたのは明白だ。新しく注ぎ足されていない所からもこれが秘密の会話であるのは一目瞭然であると言える。
「して、この集まりの本当の理由は何だ?」
ソファに座り込んだ男――吉崎は椅子に座った伊藤に対して尋ねる。
互いに表情を見せず、真意を覚らせず、そこには話し合いと称した先程までの姿とは一変していた。これが彼等にとっての素であるかまでは不明なものの、さりとて不穏な気配の所為で明らかに善意の籠った内容であるとは誰も認識しない。
現にこの光景を見て、吉崎の部下であるPM9は僅かに眉を寄せている。
この雰囲気が彼女の気質に合っていないが故に、また内容が想像出来てしまうだけにまったく楽しいものではないのだ。こんな場所に居るくらいならば彩達と共にふざけ合いでもしていた方が万倍楽であると思うまでに、彼女は彼女で不快感を抱いていた。
その姿を見ていたZ44は彼女の表情に微笑ましいものを見るような眼差しを向けている。その顔は普段のものと変わらず、内心も別段何かを感じている訳ではない。
彼にとってこれは当たり前の光景だ。人間の暗躍もデウスの暗躍も基本的な部分が変わらないからこそ、自身の上司達の姿を何の不快にも思わず見ていられる。――ただし、胸にある秘めている感想は別だ。
デウスに感情があって如何に人間のように振舞おうとも、ロボットの側面があるのは事実。なるべく効率的な処理を求めるのはデウスであっても避けられず、故にこの話し合いを彼は無駄と断じていた。
そうするくらいならばさっさと行動に移した方がずっと速い。相手は既に行動しているのだから、此方が後手を踏み続ける状態は出来れば早急に脱したいのだ。
「状況は刻々と変化している。僅か数ヶ月前には発生していなかった出来事が新しく発生し、我々には新しい選択肢が与えられている」
伊藤の語る新しい選択肢は言うまでも無く、只野・信次だ。
彼はデウスを愛し、そして愛され、可能性の芽を育て続けている。今はまだその芽は小さく、手折ろうとすれば簡単に出来てしまうだろう。
しかし何れ、その芽は巨大な大木となる。無数のデウスが彼に協力するのは避けられない未来だ。
軍よりも今の彼の方が余程魅力に映っているデウスは既にこの岐阜基地内に存在している。多少話す程度でも彼に興味を引かれ、その興味がやがて変化するのは明白。十席同盟もまた彼の事について調べている節が見受けられ、当初怒り狂っていたPM9が友好的になっている事実は驚嘆すべき情報だろう。
「本人は自覚していないのだろうが、彼は非常に稀有な才能を持っている。それがデウスにとってプラスに働いているのは明らかだ」
「前に出る時に必ず前に出る……成程、確かにそれは稀有な才能だ」
普通の人間は保護した相手がデウスであったと知った時点でどんな事情があろうとも軍に電話するものだ。
それは己の保身から来るものであり、同時に管理がしきれないという問題を抱えているから。常識的な話になるが、デウスは本来軍の内部にしか居ないものだ。
パーツそのものが販売されている訳でもないし、ましてや本人を直接買える事も不可能。見つければ即座に軍に伝えるのは間違ったものではなく、更に秘密裏な情報を聞いてしまえば尚更軍に連絡する筈だ。
勿論、只野にはそうするだけの余裕が無かった。事が判明したのは既に追い詰められている時であり、このまま素直に彩を渡しても秘密を知っていると予想された時点で消されるのは当然の結末である。
しかし、彼はその思考はしても行動として表に出していない。
デウスが好きであるのは明白だ。そして彼のその愛は、彩という一個人を簡単に動かしてみせた。あの一匹狼気質の彼女が常に行動を共にしようとする時点で前に進むその揺るがない精神の強さは脱帽ものである。
そんな真似は軍の者でも中々に出来ない。命令によって嫌々前に進む事はあっても、自分で地獄に飛び込もうとする者は酷く稀有だ。
「これからは彼がデウスに与える影響に注意しなければならない。これから起こる激流を乗りこなすには――彼を支援しながらも同時に監視する事も必要だ」
伊藤が危惧するのは時代の変化によって起こる騒乱だ。
何が失われ、何が新しく誕生するのか。それは今を生きる者達には解らず、故にその最中に無数の争いが起きるだろう。それは国内だけの話に留まらず、国外にまで拡大するのは間違いない。
果てには化け物との闘争に影響を与える事を考慮して、その騒ぎを上から傍観する立場にならねばならないのだ。
これまでは縛り、上位者の命令によってデウスを操作した。しかして、これからはそうはならない。
伊藤の語る内容の真意を飲み込みながら、吉崎は厳かに語る目の前の男を見る。
伊藤の語る内容は真実だろう。実際に吉崎は彩と会い、少々ではあれど言葉を交わした。あの彼女の言葉が嘘であるとはとても思えず、それを成した彼が何かを起こすのは頷けるものだ。
だが、とも吉崎は口は開く。
「その方法では、我等は殺されるだろうな」
「……その真意は?」
「簡単な話だ。そんな打算だけで行動すれば、何れ全てが気付かれる。……支援するのは賛成であるし、監視するのも彼の特質を見れば確かに必要であるが、そこに何も告げぬ打算が含まれているのならば食い殺されのは明白」
既に伊藤は一度失敗している。
それにより発生した不信は彼等軍に属する者達が考える以上に大きい。それが真実であるかは実際に吉崎が確かめた訳では無いが、彩の言葉だけで容易にその内心を汲み取る事は可能だ。
彼女の軍に向ける不信感は相当に大きい。それは決して自身が害されたからではなく、唯一の人間である只野が害されたからこそ規模を大きくしている。
軍役の頃からの不信、そして今回の失敗。二つの情報を加味すれば、打算ありきで行う全ての策は無駄に終わる。
「ナイン。お前ならどう予想を立てる」
「十中八九失敗に終わるだろうな。利用されている事を予想するなんてのは存外簡単なものさ。……それに、彩はその辺に妙に鋭い。監視しようとして食われるのは、まぁ当たり前だよな?」
PM9と彩の関りは深い。
互いにどんな性格をしているかを知っているからこそ、彼女の言葉は真実になるだろうという説得力がある。
Z44も同様に首肯し、伊藤の方法では最悪の結果に終わるだろうと同意した。
その一人と二体の意見を聞き、成程と伊藤は理解を示す。強硬に進める事も不可能ではないものの、それでは現在の関係性が完全に崩壊してしまうだろう。
破滅を招く事だけは彼だってしたくはない。時には譲らない事も必要であるが、今は素直に彼等の言葉を受け入れるべきだと自身の案を廃棄した。
本当にそれをするのであれば事前に説明が必要だろう。互いにとってwin&winの関係を築けば、その範囲内において監視する事も可能となる。
「私は何としても生き残りたい。生きて、この後の世の中を見てみたいのだ。平和になるのならば良し、ならずに今のままを続けるようであれば――」
伊藤の独白は最後まで続かなかった。
だが、彼の力強い眼差しが告げている。信念を持った者特有の瞳には、二つの文字が容易に読み取れた。
即ち、天下。
吉崎は伊藤のその瞳に何も言わずに黙って退室するのみだった。
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