第百八話 未来の秤
リノリウムの廊下を吉崎殿と共に横に並んで進む。
全員の考えを共有し、今後の考えをある程度纏めた俺達は解散となった。俺は吉崎殿の頼みで彩達を紹介する為に自室に向かい、部屋の外で待機していたPM9が現在は護衛として一歩前を歩いている。
この二名は部屋から出た途端にこれまでの指揮官と部下の関係とは思えない自由さを見せ、その間柄は悪友同士のようにも見えてしまう。
互いに罵倒混じりに言葉を吐き、けれども不快には感じずに笑い合う。部下としてではなく、そこには確かに家族のような絆が存在していて、俺達とはまた違うモノを築き上げているのが解った。
そんな者達が居る事実に俺は素直な喜びを感じているし、それを容易く初対面の人間の前で行える豪胆さは非常に心強いと認識せざるを得ない。
俺達でも初対面の人間の前で普段の姿を見せる事はあるが、どうしても彩の方が俺を持ち上げる傾向が強い所為で気にかけてしまう事がある。その観点から見て、PM9と吉崎殿の関係は一種の理想として俺の目には映った。
「ところで、吉崎殿は彩に会った事があるので?」
「殿、なんて硬い言葉は必要無いぜ?……まぁ、コイツが居るしな。それなりの回数は会った事があるよ」
目の前を進むPM9を指差し、俺の疑問にどうしたと視線を寄越す。
俺はまだまだ彼女の軍役時代というものを知らない。話してほしいと言えば教えてくれるかもしれないが、あまり話したがらない姿に無理には聞けないと今まで蓋をしてきた。
されども、やはり彼女の古巣に行けばどうしたって過去の彼女に関する何かが出てくる。それは過去の彼女を知る人物であったり、今この瞬間に働いているデウス達からだ。
知らないままで居る事は出来る。だが、このまま知らないで済ませる訳にはいかないかもしれない。
だから先ずは、本人に聞くのではなく周りから彼女の当時を聞こうと思う。
「当時の彼女はチームプレーを否定していた。常にワンマンプレーを求め、誰かとチームを組んでも単独行動に出る回数が非常に多かったのだ。……厄介なのはそれが全て悪い方向にならなかった事だな」
「アイツの単独行動は全て生存した上での勝利を求めてだからな。絶対に零であった訳じゃないが、これまでのデウス達の被害と比較すればアイツの存在は女神に映っていただろうよ」
PM9も交えての彩の評価は悪いものではない。
軍という共同組織において単独行動は決して褒められたものではないが、それでも明確に結果を引き出してくるのであれば指揮官側は何も言えない。
それをもって人間サイドを黙らせてきたというのであれば、彼女の姿勢は非常に今の軍と合っていない。
その背景にはこれまで彼女が見てきたモノがあったのだろう。無視しても良いモノを無視せず、彼女が彼女なりにデウス達を助けようとしていたのだとすれば、必然的に人間の残虐性も見なければならない。
「俺は直接彼女を見てきた訳ではないが、他の指揮官達からはすこぶる評判が悪かったよ。何かあれば邪魔に入られ、細かい指摘も数多かったそうだ。本部では常に処分願いがあったみたいだが、まぁ彼女のこれまでの成果が成果だ。上も処分する訳にはいかず、意図的に無視する形を取っている」
「……ちなみに、その願い出を提出する指揮官達は」
「察しの通りだ。どいつもこいつもデウスに対して暴虐を行い、容易に悪事に手を染めているような連中だよ。少しでも証拠が出てくれば即座に強制労働施設に招待されるような行動をしているだけに、そこに所属していた彩殿には同情を禁じ得ない」
前を見る俺に彼の感情が本音のものであるかは解らない。
だが、少なくとも彼の出している言葉の端々に同情の念が籠っているようには聞こえる。俺はそれを素直には信じられないが、かといって無条件に嘘であると断じられる程人間不信である訳では無い。
それに彼の言葉は他のデウス達からの言葉とも符合が合致する。人間に嫌われ、デウスに好かれるその性格は、正しくどちらの立ち位置に属しているかで彼女の好悪を変えてしまうだろう。
そんな彼女だからこそ、素直な善意には弱かったのかもしれない。常に一人で戦うと決めている彼女には他に頼ろうとする意識は存在せず、故に俺という存在は珍しく映ったのだろう。
他に少々の雑談を吉崎殿と交わしつつ、やがて自室の近くに到着する。
待機させていた彼女達は十中八九俺に文句を入れるだろうなと思いつつ、別れる前の少々の時間で決めた回数分ノックした。
きっちり三回。それはつまり、俺を含めた複数人がこの部屋に入る事を示している。
俺一人であれば四回。三回以下は全て怪しいものと考えてくれと伝えているのだが、これについてはもう少し話し合った方が良いだろう。
扉が開き、中から先ず最初に彩が出てくる。俺の顔を見ても直ぐ背後に吉崎殿やPM9が居るので表情は固いままだ。
静かに、しかし他者に対して明確に威圧しながら挨拶をする姿は完全に獣も同然。
「どうぞ、生憎とお茶は用意出来ませんが」
「構わないとも。どうせ話そのものは直ぐに終わる」
互いに椅子に座らず、そのまま立った状態で吉崎殿は彩を見る。
彼としては別れてからの彩を見るのはこれが初めてだ。それだけに興味津々なのだろう。少々不躾な視線の向け方であるが、彩自体は然程動じた気配は無い。
普段は柔らかい目元を尖らせているのは最早慣れたものだ。ワシズとシミズも指揮官達を睨んでいるのが珍しいと言えば珍しいが、そこに籠っているのは単なる敵意だ。
「……久方振りになるな、彩殿。問題は無いか」
「はい、お久し振りです。問題らしい問題は現在修理中です」
「そうではない。彼と過ごしていて、何も感じる事は無いのかということだ。――君という存在は、やはり貴重極まりない」
「それは軍属に戻れという意味でしょうか?……だとすれば御断りします」
言葉で明確に示さず、されど真意は相手に伝わるように。
俺には中々出来ない事である。その言葉に彼女は即座に断りを入れ、吉崎指揮官は苦笑した。
最初からそうなるのは解り切っていたということだろう。頬の傷跡を摩りながらその目を優しさに染め、彩というデウスを暖かく見つめている。
強制の意志が無いのは明確だ。出来ればそうなってほしいと願っていて、それでも本人の意志に任せている。
それが解っているからなのだろう。彩も必要以上に悪意を前面に出した言葉を出さず、短い言葉だけに収めた。
「それだけ、彼の隣が良いということか。軍属の頃にも君に味方する者は多かったと思うのだがな」
「確かに、私に対して明確に優しくしようとする者は居ました。けれどもそれは、何時崩れるかもしれない破滅を含んだ優しさです。私が助けた相手が私によって破滅するなどあってはなりませんよ。――――それに、これは単純なものなのかもしれませんが」
数舜、言葉が途切れる。
「惚れた相手の傍に居たいと思うのは、人間でも同じでは?」
「……ッ、ははは!その通りだともッ」
吉崎殿は目を見開き、その後破顔して力強く頷いた。
万雷の拍手が部屋の中を満たし、吉崎殿は純粋に彼女を祝う。それを聞いても彩はまったく表情を変えなかったが、そんなことなど彼にとっては関係無かったのだろう。
誰かを想い、誰かに想われる。愛を覚えた彼女だからこそ、軍に戻りたいと思わない。
「良い理由だ。世辞でも何でも無く、良い理由だとも。――ああ、だから君はそんなに強いのか」
惜し気もない賛辞は、子供のような純粋さに溢れていた。
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