第百五話 誘いの声
彩達が実際に全ての動作に慣れるまでに掛かった時間は一日だ。
最初はあらゆる全ての行動に違和感を覚え、時には転ぶ事もあった。内部のパーツ配置や重量そのものが違う為に何処にどうバランスを置けば良いのか解らず、彼女達が最初に掴まなければならなかったのはどの箇所にどの程度の重量が掛かっているかを調べる事であったのだ。
しかしながら、彼女達は根本的に人間とは異なる。一度の失敗が次の成功になるのは自明の理で、逆に二度も失敗するような事は一度として発生していない。
その姿に僅かに嫉妬を覚えてしまったものの、それを胸に収めて努めて笑顔で彼女達に接した。
最初は転んでも次には転ばず、片足立ちが失敗しても同じく次には片足立ちを十分以上続ける。時間は掛かったものの、それでも人間目線で見れば圧倒的な速度で彼女達は元の状態へと戻っていった。
そんな中で俺が何をしていたかと言えば、基本的には彼女達のサポートだ。
転がった状態から起き上がろうにも最初の時点では起き上がる事も難しく、俺の手を取って立ち上がる事があった。それに他のデウスからの情報収集も忘れず行い、今のこの基地がどのような立ち位置であるかも判明している。
それはデウスとしての目線ではあるが、蚊帳の外に置かれているからこそ解る姿もあるのだ。善意で接近してくるデウスに此方は好意を全力で前に出しながら話続け、ある程度は話せるだけの関係になった。
今の軍の状況。装備の説明。基地内外の噂話に至るまで、集められるだけの情報を集め、自分の中で覚えきれない情報は全て小型端末に文章として保管している。
思い切り情報漏洩なのだが、件のデウス達は気にした様子も無い。寧ろこの情報によって軍が不利になれと言わんばかりであり、相変わらず恨みは続いている。
「診断の内容はどうでしたか?」
「……あまり良いものじゃないな」
彩達が慣熟訓練をしている間、俺は整備士から直接彩達のボディの状態を聞いた。
一言で纏めるのならば、彩達の状態は酷いレベルでパーツの損耗が進んでいたそうだ。関節部分は擦り減り、神経系は一部の被膜が無くなり、動力供給を行う際の各端子は軒並み罅が走っていた。
追加で言えば皮膚装甲も表面上は無事な形を保っていたものの、薄皮一枚剥いだ先は全体の四割が割れていたそうで、後少し高所からの着地等を繰り返していれば一気に内側から割れていただろうとのこと。
つまるところ、崖っぷちで何とか助かったという事である。それを初めて聞いた時はあまりの限界状態に胸に暗いものが込み上げてきたものだ。
だからこそこの自室で普段のように状態を尋ねた彩にデコピンを送る事は止めなかった。
一応は一日の最後に全てを伝えようとしていたのだが、自分だけが重く捉えている事実が非常に馬鹿馬鹿しく感じられてしまったのだ。当の本人はデコピンを食らって額を抑えながら此方を可愛く睨むが、睨みたいのは此方である。
ワシズ達は突然の俺の行動に最初は驚いていたものの、直ぐに納得と首を縦に振っていた。しかしこの二名も二名で結果に対して過度に緊張している気配は無い。
総じて、彼女達は全員自身の状態について非常に軽く見ていた。
重く見ていたのは俺だけである。片手に持っていた彼女達の診断表を机に置き、俺は溜息を吐きながら椅子に座り込んだ。
「状態から言えば最悪も最悪だ。一から新しく作った方が早いと言われた程だぞ」
「成程、確かにこの損耗は危険でしたね。内部スキャンである程度は掴めていたのですが、それ以上のレベルです。……修理に要する時間は一週間ですか?」
「一人一週間だ。つまり、三人で三週間分は必要になる。かなりの長時間滞在だ。流石に予想外も予想外過ぎる」
「……此処の指揮官から別の仕事が来る可能性がありますね」
「働かざる者食うべからず。相手は此方に対して借りがある筈だが、それでも三週間は長いと感じるだろう。彩の言う通り、別に仕事がやってくる可能性は極めて高い」
三週間。
それは今の俺達にとってとても長く、恐ろしい時間だ。
相手は未だ此方に対して借りを抱いているものの、それが何時までも続く訳では無い。そう長くない内に困り、何等かの仕事を行わせようとするだろう。
彩達は修理中なので戦闘行為は先ず有り得ない。俺が戦力として頼りないのも向こうは解っている。
考えられるとしたら運搬系だろうか。それとも彩の経験を買って訓練官としてデウスを鍛えるかもしれない。此処には既にもう一人十席同盟の一員が居るが、話を聞く限りでは彩より強いとは思えなかった。
予想の範囲内ならば幾らでも浮かぶ。その上で現実的に選びそうな線は、やはり後に残る結果だ。
俺達を只の運搬役として活用するのはあまりにも利益にはならない。俺個人を人質にして彩達を自由に動かすといった方法は取れるだろうが、それをした時点で彩の怒りは爆発だ。
考えている間に、扉を誰かが叩いた。彩達はその接近に気付かなかったようで、今初めてと言わんばかりに顔を扉に向けている。
その時点で明らかにスキャン性能は前よりも遥かに落ちているのが解った。
下手をすればこの壁一枚を貫通出来ない程に弱いかもしれない。そして、そうであれば今後脱出経路を探すのは不可能だ。
「――おーい、来たぜぇ!」
果たして、やって来たのはPM9だ。
小柄な体躯を陽気に動かしながら部屋の中に入り、俺の目の前に立つ。
顔には深い笑みがある。此方を見つめて口角をつり上げる姿は獲物を発見した肉食動物も同然であり、その深紅の目に敵意が籠っていなければ即座に彩に静止させるよう頼んだだろう。
彼女の雰囲気は非常に明るい。何か良い事があったというのは一目瞭然である。
「どうかしたか、PM9。こっちは今後の滞在計画について考えていたんだが」
「うん?何を考えているんだよ。別に修理が終わるまでの間のんびりしていれば良いじゃないか。あの指揮官はそういうつもりみたいだぜ」
「信用出来ないな。三週間も掛かるんだぞ、絶対に何かをやらせようとするだろ」
信用度で言えば零を突き抜けて既にマイナスである。
あの指揮官の言葉よりも十席同盟の言葉の方が余程信用出来ると言えば、その度合いも解るだろう。
それこそ今此処に居るPM9の言葉の方が信が置ける。本人には言えないし、言ってしまえば確実に二方向から面倒な感情を向けられるのだろうが。
俺の態度にPM9は胸を張る。何か用があるのは表情から解ったが、それがどんなものであるかは解らない。
こうなっては下手に考えるのは悪手だ。素直に降参すべきだと両手を挙げ、彼女に何だと告げた。
「もう少し粘れよ。そんなんじゃこの先やってけねぇぞ」
「面倒事は嫌いなんでね。解らないならさっさと知っている誰かに尋ねた方が早い。それで惚けられたら、今度こそ頭を悩ませるさ」
「効率的だなぁ。まぁ、私もそっちの方が色々助かるよ。変に頭を使うのは苦手なんだ――で、要件なんだが。暇してるならちょっと私に付きあえよ」
扉を親指で示しながら彼女は喜びを隠しもしない態度で俺を誘った。
その目には彩達は映っていない。これは彩達が彼女の視界に入っていないのではなく、敢えて認識から外している。
つまり完全に俺だけに用があるのだ。それが示す理由はまったく不明で、だからこそ護衛の無い誘いは警戒して然るべきである。
彼女の言葉だけで素直に頷ける道理は無く、彩達も全員PM9が態と認識を外している事に気付いて敵意を見せ始めた。決して広いとはいえない部屋の中でもしも戦いが始まれば余波を受けるのは確実だ。
此処は俺が矢面に立つしかない。こういった場面での苦労を背負うのは俺の役目だ。
「一先ず内容を言え」
「――もうすぐウチの馬鹿野郎が来る。それに合わせて此処の指揮官が長野の指揮官を呼んだ。何やら話し合いが起きるみたいだぜ?」
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