第百一話 変化
――結局の所、俺と彩の間に不穏なモノは無いということが一応とはいえ認められた。
これからは本格的に協力をするそうで、失った信頼を回復させていく所存だと岐阜の指揮官には言われている。その前に今回の顛末を聞いたので信頼度はゼロからマイナスに突き抜けているのだが、それでも本人は回復出来ると思っているのだろう。
余談であるが、指揮官が語った内容で一番激昂したのは彩である。しかし、彩だけが突出している訳ではない。
意外と言うべきか、シミズが露骨に怒りを込めた目を向けていたのだ。それこそ何時もの無表情めいた顔ではなく、許されるのならば殺してしまおうという殺意を滲ませた歪んだ顔で。
指揮官達にそれを指摘される前に咄嗟に隠しながら服を掴んで意識を俺に向けさせていたものの、少しの油断が即座に大騒ぎになるのは間違いない。
しかしかといってそのまま基地を抜ける事も不可能だ。彩達のメンテナンスをする約束を交わしたので此処に滞在しなければならないし、当然予定に無かったメンテを突然入れれば準備等に時間を必要とする。
敢えて俺は時間が掛かっても良いとは言わなかった。上の人間の勝手な命令によって下の人間が苦労するのは何時ものことである。
その苦労を知っている身として、作業員達に同情してしまったのだ。
メンテ開始日時は二日後。そしてメンテ終了は損耗具合によるが、最大で三日間は掛かる。
つまり最大で五日間。その間は基地の内部で生活する事になり、俺の生活スペースは左官用の部屋を一室宛がわれた。
両隣には彩達が入るのだが、当初は別れるのを全員が拒否した所為で説得するのに時間が掛かったものだ。
最終的には納得してくれたものの、それでも常にスキャンはしているとのこと。また、メンテ中には別のボディに一時的にブラックボックスを移植することで意識の喪失を防ぐようだ。
「それってシステムに異常があった場合はどう対処するんだ?」
「そちらは私の自己検査で調べます。問題が起きていれば外部に頼らざるを得ませんが、現状は何も問題が起きていないので意識の喪失などは起こりません」
異常が起きれば意識を一端ダウンさせ、治療するようだ。
その方法では自己申告制になってしまうが、命令権で強制的にさせれば嘘は吐けない。それに記録も確り取っているようだし、もしも定期的な検査に名前が載っていなければ指揮官命令によって検査されるのだろう。
納得し、彩達と一緒に自室へと歩を進める。
左官クラスの部屋とは言われたが、それがどれくらいの規模の部屋なのかは想像がつかない。低い階級の者であれば一室に何人も居ると想像しているのが俺だ。その認識が間違っていればきっと俺の想像する部屋とは違うだろう。
そして到着した部屋の扉は無機質な白である。やはり軍隊である為か凝った造りの物は無いそうで、それが逆に俺にとって他人である事を示しているようで楽だった。
ドアノブを回して内部を見れば、基本的には全て事務的なモノばかりである。
ただ、決してそれはパイプ椅子であるだとか折り畳み式の机である訳では無い。キャスター付きの背凭れが柔らかい椅子や、スチールの灰色机だ。引き出しは多く、明らかに事務仕事用の机であるのは間違いない。
布団は敷布団で、洋風の開き戸には真っ白の物が一組置かれていた。
明らかに短期滞在用の空間である。カーテンもブラインドであり、その色は白い。全体的に白の多い部屋だが、雨風を防げる今までの空間の中では最上級だろう。
「スキャン致しました。この部屋の中には盗聴器等の類は存在しません」
「解った。お前達も自分の部屋をスキャンしておいてくれ。それが終わったらルート探索をしよう」
「いざという時の脱出経路ですね?了解しました」
三人と別れ、俺は一人で部屋に入る。
机に関しては最初から使うつもりは無い。俺は書類作業なんて苦手であるし、二度としたいとも思っていない。
机は俺が此処に居る限りは一生そのままだろう。故に放置して、早速リュックを降ろして入り口の横に置いておく。
その後に布団を敷き、試しに横になる。久方振りに何の制限も無く横になれた事は嬉しく、布団の柔らかさに一種の感動すら覚えてしまう。
これは布団生活を長期間出来なかった者程強く感じることだろう。
そのまま一気に寝てしまいたいが、それではルート確認が出来ない。名残惜しい気持ちを抑えながらも軽くなった身体を動かして外に出る。
そして、彩達が出てきた後にルート確認へと向かった。
岐阜側からは俺達の立ち寄って良い場所は限られている。行けるのは食堂や運動用グラウンドの端くらいなものだ。
倉庫も訓練風景も見てはいけないし入ってもいけない。正直に言うならば興味があるものの、それでも明確に線引きされてしまっては守るしかないのだ。
此方が破って向こうに大義名分を持たれる訳にはいかない。窮屈な思いはするだろうが、それさえ守れば一応はあちら側は手を出せない筈。また約束を破れば別だが、流石に二度目は絶対に守るだろう。
「まぁ、しかし……この範囲の狭さよ。全体の一割くらいじゃないか?」
「実際は一割以下でしょうね。機密の塊ですからどうしても民間人は歩き回れないですし、私達は一度機密を手にしてしまえば容易に漏洩させられます」
彩の言葉には完全同意である。
俺達がもしも機密を手に入れることに成功すれば、それを未来の脅迫材料にする事も不可能ではない。相手にとっては悪夢も同然であり、迂闊に手を出せば厄介な勢力が加勢しないとも言い切れない。
本来ならば監視の為に他の誰かが傍に付いている筈だ。だというのに、俺達以外にはまったく気配が無い。
煩わしかった身としては居ない方が良いが、それはそれで別の監視方法で見られているから不気味だ。それを調べる事もきっと許されないだろうし、今は兎に角この滞在期間をどのように過ごすか考えねばならない。
ルート確認そのものは歩きながら企てる事が出来る。他に何かあるとすれば、俺の個人的な興味くらいだ。
軍に属しているデウスがどのような日々を過ごしているのかを見てみたい。それは有り触れた小さな興味であり、されど軍属以外にはまったく広まらない情報だ。
彼女達がどのような生活をしているのかは依然として不明のままであり、何度も取材陣が申し込んでも拒否されてきた。それ故に一種のタブーのような認識をされている訳だが、彩の話を聞く限りだと軍の非倫理的な様を見せたくなかったのだろう。
「そういえば、此処のデウスは何処に居るんだろうな」
「そうですね…………反応が多いのは中庭です」
さも今思い付いたように、彩に尋ねる。
それだけで彼女は探してくれ、相手の位置を教えてくれた。しかし中庭だったのは幸いと言える。
その場所は俺が行ける範囲だ。あまり姿を見せてはいけないのだろうが、少なくとも此処のデウスには幾人か見られている。今頃は情報共有も済ませているだろうと認識し、あまり深く考えずに中庭へと向かった。
リノリウムの廊下は酷く懐かしい。独特の足音に少しばかりの喜びを滲ませながら動かしていく。その様子に全員が疑問顔。しかし、それを態々言う事は無い。
これは只の懐かしさなのだから。
嫌な職場だったとは言わないが、決して最高の職場でもなかった当時の工場を思い出す。
勝手に居なくなった事で随分と騒ぎ、迷惑をかけたに違いない。何時か無事に戻れた時には素直に事情を説明して頭を下げる必要があるだろうな。
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