相州村岡郷平忠通邸「跡」・頼義、四天王碓井定光と会見するの事
大宅太郎光圀と名乗る若者は、向こう岸までようやく辿り着いた渡し船から降りると再び頼義の足元に膝をついて平伏した。
「光圀どの……多田の大宅左衛門光雅様のご惣領であった光圀どのでございますか?」
金平に手を引かれて船から降りた頼義は足下にひれ伏している人物に問いただした。
「然り。姫若様におかれましてはご健勝であられるご様子。この光圀、祝着の限りにござりまする」
通りの良い美声で朗々と言上する光圀の姿を周囲の人々がジロジロと眺める。船上で一騒ぎ起こした後だ、これ以上悶着を起こすのは得策ではないと見て頼義たちはいったん本道を外れて人気のない場所まで移動した。
「先ほどはご助勢いただき感謝申し上げまする。して、なぜに光圀どのはこのような場所に?てっきり父と一緒に任国へ赴いているものと思っておりましたが」
「はっ、この度大殿のご命令により姫若様の後を追っておりました」
「父の命で?私を?」
「はい」
頼義は父の思惑が推しはかれず、ただ跪く若武者の姿を見下ろしているばかりだった。この光圀は仔細あって長らく浪人の身であった父光雅の死後その家督を受け継ぐと、頼信の家人として仕えるようになった人物である。頼義は幼少の頃より彼を見知ってはいたが、このように直接話しをする機会は一度もなかった。その光圀がわざわざ主君の元を離れて自分を追って来たという。
「実はこの度、我が主君頼信様は上野介の職を辞され、新たに常総追捕使の任にお就きになられました」
光圀から教えられた情報に頼義は軽く驚きの声を上げた。父の上野介としての任期はまだ二年近く残されている。それを任期途中でお役替えするのは珍しい事であった。しかも後任の役職は「追捕使」だという。追捕使とは反乱や暴動が起きた際にその鎮圧と首謀者の捕縛を目的として任命される令外官、つまり非常任の職だった。
「追捕使とは、つまり、いずこかにて動乱の兆しがあると?」
「は、最近常陸国から上総国にかけて不穏の動きあり、事の仔細を詮議すべく我が大殿がその任に推されたとの由。乱平定後、大殿はそのまま常陸介に任ぜられるとの事です」
上総国……そういえば碓井貞光どののご一族も上総国の方面といざこざを起こしていると屋敷の女房が言っていた。それと父の一件とは何か関係があるのだろうか。
「恐らくは左様であるかと。大殿は碓井様の元にも連絡を入れておりましたので」
つまり、貞光どのの「火急の要件」というのも父の動きに連動してここ相模の方面から上総に向けて軍を進めるつもりという事なのだろうか。頼義は光圀に、碓氷峠で貞光どのの助勢を請う言伝を受けてこれから向かう事、都合三度にわたって正体不明の連中による襲撃を受けたことなどを語った。
「なるほど。なれば拙者も同道いたしまする」
光圀の受けた指令は、東海道を東へ下っているであろう頼義一行と合流し、上野の頼信軍に指揮官として参加させるようにというものだった。一足違いで碓氷峠を訪れた光圀は、女房連から昨夜の襲撃の顛末を聞かされ、急ぎ二人に合流すべく馬を走らせたが、途中酒匂川付近で同じように頼義を追っている者の存在に気付き、さては例の襲撃者かと見てその足を阻止するべく機会を伺っていたのだという。
「ああなるほど、さっき川の上であの賊が『一人討ち取られた』みてえな事言ってやがったが、ありゃあアンタの仕業かい?」
金平の質問に光圀は黙って頷いた。金平もそれで合点がいった。酒匂川を脱出する直前に頼義は賊が四人に増えたような事を言っていたが、してみればあの「四人目」とは後を追って来た光圀の事であったらしい。先ほど襲撃者が二人しかいなかったのは、それ以前にすでに光圀の手によって一人討ち取られていたということか。
「それにしても大した腕前だ。あの賊どもだってそう容易く相手にできる連中じゃあ無かった。さっきのあの抜き打ちの一刀は見事な腕前だったぜ。相当なモンだありゃあ」
金平が珍しく絶賛する。それほどまでにあの時光圀が放った一刀は鋭かった。力自慢の戦上手である金平も、いざあれと立ち向かうとなったら苦戦は必至と見たらしい。
「過分な評価にござる。拙者は不器用者ゆえ、この一芸しか出来ぬだけにござります」
光圀はぶっきらぼうに答える。その言葉は捉えようによっては「抜き打ち」という一芸のみに一心修練を重ねて来たとも受け取れる。確かに一件愚直で無器用そうに見える青年だが、頼義も金平もこの人物の奥底に潜む恐るべき「執念」にも似た何かを感じ取っていた。
三人で相談した結果、ひとまずは鎌倉に赴き碓井貞光公と合流した後、彼らの軍と同行して上総国へ向かうか、あるいは単独で上野の頼信軍に合流するかを決めようという結論に達した。目的地の定まった一行は急ぎ足で馬を進めた。茅ヶ崎郷を抜けていよいよ村岡郷が近づく。この村岡の地に一行が尋ねるべく向かっている屋敷があるはずだった。
一番最初に異変に気付いたのはやはり頼義だった。進む先から物の焼ける焦げ臭い匂いがするという彼女の言葉に胸騒ぎを覚えた金平と光圀はさらに馬を急がせた。二人の鼻にも焼け焦げた煙たい匂いが明らかになって来た頃には林の向こうの高台から黒煙がもうもうと立ち込めている姿が確認できた。
現場に辿り着いて、金平も光圀も呆然とした。
目的地であったはずの屋敷は一面の焦土と化し、焼け落ちた柱からは残り火と煙がブスブスと音を立てて揺らめき、炎の余熱は陽炎となって周囲の空気を歪ませていた。
「これは、いったい……」
光圀が絶句する。金平は懐に乗せた頼義が煙を吸わないように袖で口元を隠しながら顔をしかめた。
「これもあの連中の仕業か?碓井のとっつぁんは、まさか……」
辺りを見回すがどこにも人が倒れている様子はない。屋敷にいた者たちは無事に逃げおおせたという事だろうか。どこかに生存者が残ってはいまいか、三人は大声をあげて周囲を探索した。返事はすぐさま返ってきた。
「おう、ここだここ」
一枚だけ焼け落ちずに残った土壁の向こうから声がする。三人が急ぎその壁の裏手へ回ると、焼け落ちた梁にどっかと胡座をかいて、こんな状況だというのに呑気にチビチビと酒を酌み交わす二人の武将の姿があった。
「なんだ金平じゃねえか。相変わらずでかい図体だな」
まるで散歩の途中で親戚の子供に会ったかのような気安さで二人の武将のうちの一人、碓井貞光はニヤリと笑みを見せた。