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下総千葉郡千葉妙見社・鬼神怨姫滝夜叉、昇天するの事

滝夜叉姫(たきやしゃひめ)の動きが止まる。その間も全身は炭の粉となって崩れ落ちて行く。



「すまぬ……すまぬ、すまぬ……父の仇も討てず、(そなた)の無念も晴らせず、あまつさえ己が主君に刃を向けるとは、この不忠不孝、こうするより他に詫びることもできぬ。せめて、そなたと共に……!」



突き立てた刃を光圀(みつくに)は横一文字に切り裂こうと力を入れた。


その刀身を、崩れかけた手で滝夜叉姫が止めた。



「!?」



滝夜叉姫の思わぬ行動に光圀は目を見開いた。なおも力を込めて自分の腹を斬り裂こうとするが、滝夜叉姫は渾身の力を込めてそれを押しとどめようとした。



「……め……だめ……」



顔を伏せたまま鬼女が小声で呟いている。金平の所からは距離が遠すぎてその言葉は聞き取れない。ただ頼義だけが、その卓越した聴力でもってその会話の全てを聞いていた。



「死んで、は……だめ……生きて……あなた、は……生き……」



その声は変わらず滝夜叉姫の鬼の声である。だのに、光圀にはその声の中に遠い昔に引き裂かれた己が妻の()()を感じた。



「そなた……は……!?」


「生きて……あなたは……生きて……」


「……俺に、これ以上生き恥を晒せと!?そなたと共に死ぬことすら許されぬと!?」


「もう……私にはわからない……この娘の身体をもらい受けてよりこのかた……私の中に思い起こされる記憶が……思い出がこの娘のものなのか、(わらわ)のものなのか……父の恨みを晴らせと叫ぶ声が聞こえる……ああ、でも、あの子の、小太郎の声が……ぼうや……(わたし)の……」


「……!?さ……よ……小夜、なのか!?」


「お願い……あの子のために……あの子のために生きてください……せめて……わた……」



彼女が最後に何を伝えたかったのか、光圀にも頼義にも聞き取れなかった。滝夜叉姫の鬼の身体はその全てが真っ黒な炭の粉となって光圀の手元で四散した。


沈黙が続いた。その場にいた誰も動くことも、声を発することすらなかった。頼義も、金平も、穂多流も……。


その沈黙を破ったのはやはり千葉小次郎だった。二人いた小次郎のうちの一人が無造作に光圀に近づく。光圀は自分の腹に刃を突き立てたまま硬直していたが、後ろから迫る殺気に本能的に身体を動かしてその剣戟を交わしていた。



「!?」


「ふん、感傷に浸っていたかと思えば、やはり骨の髄まで人斬りよのう。ちゃんと動くではないか」



光圀は反射的に刃を腹から引き抜いて小次郎と相対した。滝夜叉姫に止められたおかげで太刀の切っ先は腹膜まで届かず、致命傷にまでは至らなかったが、それでも腹部から流れる血は止まらないままだった。それでも光圀は気にせずに小次郎に向かって剣を構えた。


小次郎は光圀にはもう目もくれず、先ほどまでそこにあった姉である滝夜叉姫の残骸ともいうべき炭の粉の山を蹴飛ばした。カラン、と乾いた軽い音を立てて炭の山の中から白い塊が転がり出てくる。金平はその塊と()()()()()


それは、洗い立てのように白く輝く、人間の頭蓋骨(されこうべ)だった。



「さても、呆気ない幕切れよのう、姉上。よもやこのような無様な最後を遂げられるとは思わなんだぞ。ふん、まったく……ハナクソほどの役にも立たなかったわこの()()()()女めが!」



小次郎がそう言いながら、かつて「姉」であった者の頭骨を容赦無く叩き潰した。



「……!!テメエ、鬼とはいえ自分の実の姉を……なんて事しやがるんだテメエこの野郎!!」



金平が激昂して小次郎に斬りかかる。小次郎は難なくその一撃をかわし、ひらりと身を翻して言った。



「吠えるな木偶(でく)の坊。たかがゴミ虫一匹踏み潰しただけのことではないか。何をそんなに憤るのか理解に苦しむぞ人間よ」



小次郎……平良門(たいらのよしかど)の怨霊は冷ややかに言い放った。頼義も七星剣を抜いて構える。



千葉小次郎(ちばのこじろう)、いや、良門の怨霊よ。なぜそのような無体をいたす?私は聞いたぞ、もう一人のお前から、何を思い、何のためにその身を外道に落としたのかを」


「…………」


「お前は、先に畜生魔道に身を堕した姉を哀れんで、せめて自分だけでも共にと思い、魔導の道に同道したのであろう。せめて姉上の負う苦しみの半分でも自分が分かち合おうと、その優しさ故にお前は魔界へ身をやつした。そうではなかったのか良門公!?」


「……ふん、余計なことを口走る『俺』もいたものよ。やはり分身などという忌まわしい存在は早々に皆殺しにしておくべきであったわ。のう、()()?」



小次郎はもう一人の方の「千葉小次郎」に「忠常」と呼びかけた。その言葉に「忠常」と呼ばれた方の「小次郎」は無表情ではあったものの、その空気にかすかな動揺を感じさせていた。



「ふふん、今さらごまかす必要もあるまい。いつの間に入れ替わったか知らぬが、という事はもう一人の『俺』はすでに始末済みということか?はは、これは残念。七つの分身(わけみ)も随分と数を減らしたものよのう、残念無念。この坂東を手中に収めた暁には、各々『千葉小次郎』同士でその覇を競い、殺し合うのを楽しみにしていたのになあ」



小次郎は乾いた笑いを響かせる。「忠常」と呼ばれた小次郎は何も言わない。どうやら散々頼義たちを翻弄した忠常の影武者たちはその相当数をすでに失っているようである。あと何人残っているのかは知れない。だが頼義は「忠常」と呼ばれた方の小次郎に顔を向け、あの時肉芝仙が最後に残していった言葉を思い出していた。



()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()



なんとも曖昧な言葉だったが、頼義は確信には至らぬまでも、ある程度の答えを見つけ出していた。



「源氏の小娘。聞いたような風な口をきいてくれたな。俺が、姉上のために魔界へ堕ちたと?姉上を哀れんで共にその苦しみを分かち合うために、その優しさ故に鬼へと身を堕としたと?そうよなあ、事の始まりはそのような動機であったやも知れぬ。ふふふ」



小次郎が皮肉な笑いを浮かべる。



「では源氏の子よ。さていざ俺がめでたく『七星転生』を遂げ、共に生まれ変わった姉上と再会した時、俺が何をしたと思う?泣いたか、感激のあまりに抱き合うたか?否、否、否だ。確かに俺は忠常の身体の中で生まれ変わり、その身一つで姉上の元に駆けつけたさ。そして再会した俺が最初にした事はな……」



鬼が、ニヤリと笑った。



「姉上を裸にひん剥いて、心行くばかりに犯しつくした」

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