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下総千葉郡千葉妙見社・頼義、呪いを受けるの事(その二)

金平も穂多流(ほたる)にも、何が起こったのか理解できなかった。滝夜叉姫(たきやしゃひめ)がクドクドと何かをしゃべっている途中、突然隣にいた主君が狂ったような絶叫を上げてのたうち回ったのだ。頼義は白目を剥き、腹部を押さえながら激しく地面を転げ回る。


金平はその姿を見てようやく思い出した。あの時、鎌倉の平直方(たいらのなおかた)の屋敷に避難した村岡(むらおかの)次郎太夫(じろうだゆう)こと平忠通(たいらのただみち)卿が同じような狂乱の果てに苦しみ暴れていた姿を。


金平が()()()()()滝夜叉姫に向かって振り返る。その手には何やら呪符の上に女の髪の毛らしきものが巻きつけられ、腹に深々と五寸釘の突き刺さった藁人形が握られていた。



「テメエ……!また『丑の刻参り』を!?」



金平が怒りの咆哮をあげる。



「ほほほ、いかにも。『丑』の重ねは満足に至らなんだが、それでも小娘一人呪い落とすには十分じゃ。死ね、死ね、苦しみ、苦しみ苦しみ抜いて地獄へ落ちろ、源氏の子よ!!」



滝夜叉姫がさらに五寸釘を藁人形に打ち込む。頼義は再び絶叫し狂気の叫び声を響かせる。自らの髪をかきむしり、失禁して濡れた裾が泥にまみれて行く。



「くっ、そおおうっ!!」



金平は必死で取り押さえようとするが頼義の苦悶は治らない。その姿を見て小次郎の一人は滝夜叉姫とともに愉悦の笑みを浮かべる。一番奥に立っている光圀はその光景が見えているのかいないのか、何も反応を示さない。



「ほれほれ、しっかり取り押さえろよ木偶(でく)の坊。でなければ舌を噛んで女が死ぬぞ」



小次郎の無情な挑発に金平は焦りを隠せない。頼義の狂乱は治るどころか一層激しさを増して行く。



「あ……ああ、がはっ!!ぐあああああああああ!!」



金平が力任せに押さえつけていた頭を頼義が振り払う。金平の馬鹿力でも押さえきれないとは……!(かせ)を失った頼義が大きく()()()を振る。このままでは……!



「がっ……!!〜〜〜!!!」



咄嗟に穂多流が頼義の大きく開いた口に自分の腕を猿轡(さるぐつわ)がわりとばかりに押し込む。頼義が穂多流の腕に激しく歯を立てた。とりあえず舌を噛むことは免れたが、穂多流の白い細腕から()()()()と血が流れてくる。



「く……ふうっ!!が……は……より、よし……さま……!!」



穂多流も歯を食いしばって痛みに耐える。その細い腕で必死になって頼義を押さえつけようと奮闘する。



「なに……やってんだよ、早く……あの女をお!!」



穂多流が目を見開いて金平に叫ぶ。金平は一瞬躊躇したが、



「いけえっ!!」



涙と鼻水を盛大に流しながら穂多流が叫ぶのを見て、金平は意を決して頼義を穂多流に任せ、本殿の壇上に構えている滝夜叉姫に向かって突き進んだ。



「どこへ行く?ちゃんと主君の世話をしろ下僕が」



二人の小次郎が金平の行く手を阻むべく立ち塞がる。金平は二人には目もくれずに滝夜叉姫だけをめがけて殺到した。途中に転がっている邪魔者を本能的に払いのけようとする。



「!?」



二人の小次郎はその予想外の勢いに金平の一振りを完全に受け止めきれずに後退した。金平は二人にはまったく目にもくれず、ただ滝夜叉姫だけに視線を集中させている。



「舐めた真似を……!!」



小次郎達が同時に斬りかかるが、金平はそれにも顔を向けること無く、反射的に剣鉾を振り回して二人を寄せ付けない。そもそも金平は二人の小次郎の存在にすら気づいていない。彼はただ一直線に滝夜叉姫の元に向かっているだけである。その一点のみにかけた集中力が、金平に無念無想の凄技を剣鉾に宿らせていた。



「こ、こやつ……!?」



初めて小次郎達の表情に焦りの色が浮かぶ。金平は何度斬りつけられてもまるでお構い無しに滝夜叉姫に突進して行く。必殺の一撃はことごとく目も合わせない金平の剣鉾によって弾かれる。小次郎は初めてこの「木偶の坊」の存在に恐怖した。金平は目前に迫った滝夜叉姫に渾身の一撃を振るった。



「…………!?」



その剣鉾を、大宅光圀(おおやけのみつくに)が太刀の鞘の突き一本で足止めした。


金平の剣鉾は滝夜叉姫の鼻先で止まり、力無く下へ向いて下がって行く。光圀の虚ろな瞳が金平と目を合わせる。



「すまぬ。まことに……すまぬ……」


「て……めえ……」



金平の意識が薄らいでいく。



(ダメだ……ここで気を失っちまったら、アイツが……)



完全に意識を失いかけた金平が最後の光景を目に刻みつける。それは……



「!?」



自分を突き落とした太刀の鞘から抜き放たれた光圀の一刀が真後ろにいた滝夜叉姫を斬り裂く所だった。



「あ……?」



斬られた滝夜叉姫の身体からは一滴の血も飛び散らなかった。ただ斬られた傷口から、黒い炭の粉のような粒子が風に乗って宙に散って行くのが見えた。瞬間、池に張った氷が割れるように夜空が砕け散り、元の夕焼けの時刻の空に戻っていった。


気を失いかけた金平だったが、光圀の突然のその行動に驚いて完全に意識を取り戻した。頼義は虚ろに目を半開きにしているが、先ほどのような狂乱はもう見せておらず、静かな呼吸で胸を上下させてその光景を眺めていた。


滝夜叉姫は痛がる様子も見せず、ただ呆然とした目つきで光圀を見ていた。二人の小次郎も凍りついたようにその場で固まったまま動かない。



「そなたが、そなたが(わらわ)を斬る……のか?この(わらわ)を、そなたの、何よりも愛おしい(つま)の身体を持つ(わらわ)を、こんなにも、そなたを……愛している者を!!」


「…………」


「なぜ、なぜ、なぜ……なんでよお!?愛してるのよ、そなたを、こんなにも!!それなのになんでこんな酷い事するの!?そなたが、そなたが欲しい、それだけじゃない!なんでそれすらも(わらわ)には許されない……!?姫として生まれ、望まぬ婚姻にも従い、父の言いつけだけを守り、死に臨んでもなお父の無念を晴らす、それだけのために()()まで来たのに、そなたを手にする事ぐらいいいでしょう!?ねえ、ねえ、ねえ……!!」


「…………」


「初めてなの、初めてだったのよ、(わらわ)が、自分の意思で自由にできるもの……。お願い、(わらわ)から()()を奪わないで……」



滝夜叉姫の身体が少しずつ炭の粉となって崩れ落ちて行く。それを止めることは誰にもできなかった。



「ああ、ならば……せめて……!!」



滝夜叉姫が崩れかけた身体を必死になって食い止めるようにして身を乗り出した。牙の生えた口を大きく広げて光圀の喉笛に食らいつこうと迫る。


だが、その牙が届く前に、光圀は自らの腹に太刀の切っ先を突き立てた。

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