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下総香取郡香取神宮・頼義、神宮を癒すの事

少女の姿をした仙人、肉芝仙(にくしせん)に連れられ、頼義たち一行は香取神宮の境内に立つ一本の杉の木の前までやってきた。金平はその大木を見上げる。先程穂多流(ほたる)が登った「斥候杉(みはりのすぎ)」ほどに大きくも高くもないが、どっしりと構えた古木は、それ自体がまるで一人の「仙人」であるかのような威厳を漂わせていた。



「この子がいま立っておる地点がにゃ、一番龍脈が集まり、霊気が強い場所なので()。言わば『一番杉』とでも言うべき子なので()(わっち)が若木から植えて育てた子の中では一番の霊木なので()



事もなげに肉芝仙が言う。杉の木がどのくらいの年月でこれほどまでに育つのかは知らないが、おそらく十年二十年という規模ではあるまい。頼義たちはこの少女(?)の本当の年齢がどれくらいのものなのか想像もつかなかった。(まこと)にこの少女は自分で言うような「仙人」だというのだろうか。


金平はかつて上野国(かみつけのくに)多胡(たご)郡で羊太夫(ひつじだゆう)という渡来人から「肉芝仙」という人物について、「尸解(しかい)」を経て自らの肉体の拘束から解放された者」というような説明を受けたことを思い出した。


尸解……金平も詳しくは無いが、五穀を断ち、その身を極限にまで精進潔斎して解脱する「仙人」の一種だったと記憶している。確か、生きた身のまま天帝のいる世界へ昇って行った者を「天仙」、崑崙(こんろん)蓬莱(ほうらい)といった名山、霊山を遊行する者を「地仙」、そして一度死んで蝉が脱皮するように己の肉体を棄て、魂だけの存在になった者を「尸解仙(しかいせん)」と呼んだという。金平は昔卜部季春(うらべのすえはる)から聞きかじったうろ覚えの知識をなんとなしに思い起こしていた。



頼義(よりよち)どのが『八幡ちゃま』とやらを呼び出してはくれぬというので、神宮の血の穢れを祓うことはあきらめたで()。もうこの地は二度と聖なる力に恵まれないので()。ぶうぶう」


「喧嘩売ってやがんのかコラ」



肉芝仙があっけらかんとイヤミを言うので金平が思わず身を乗り出して食ってかかる。頼義と穂多流が二人して暴れ馬を抑えるように「どうどう」と声をかけて金平を止める。



「まあ穢れは時が経てばいずれ風化して元の清浄さを取り戻()てくれるでしょう。だからその事はさして心配では無いので()


「なんだよ、お前の力ならここの穢れを祓うくらい屁でもねえんだろう?なんで自分(テメエ)でやらねえんだよ」


「そんな疲れる事するのはめんどうなので()。働いたら負けだと思うので()


「はあ?だってお前、ここが滅んだらお前も都合が悪いんじゃねえのかよ?」


「そうで()ね。香取の霊域が冒されれば大地の霊脈は勢いを(うちな)い、そこから糧を得ている(わっち)もまた時を経ずして消えて無くなるでしょうねえ」


「じゃあなんで自分でやらねえんだよ?お前も死ぬんだろ?」


「その時はその時で()。全ては自然の成り行き任せで()。なすがままに、きゅうりはパパで()


「なんだそりゃあ」



金平には肉芝仙の言っていることがわからない。この地の穢れを払わねば自分も諸共に死ぬというのに、この仙人は疲れるからやらないと言い張る。それで死んでも気にも留めないらしいのだ。そもそも死ぬ事を恐れぬ者がどうして不老不死の「尸解仙」などになっているのか。金平はあらためてこの少女(?)が、普通の人間とは違う「価値観」に準じて存在するのだと認識した。



「穢れは祓わぬ、とはいえ悪霊どもがこの地を狙うという事実に変わりはない。そこでだにゃー、せめて境内の穢れが自然(じねん)と清くなるまでは彼奴(あやつ)らを近づけさせぬ『護り』が必要なので()。そこでこの子の出番というわけなので()



肉芝仙がそう言いながら杉の木の幹を愛おしそうに撫でる。この仙人にとっては人間よりもこの杉の古木の方がよほど愛着があるらしい。



「で、具体的には何をすれば良いので?」



頼義が回りくどいことを言わず直球で聞いた。このあたりの()()()()()()さはいかにも源氏の惣領(そうりょう)といった感じである。



「なに、別に人身御供になれとか処女の生き血を捧げよなんて事は無いので安心(あんちん)するで()。ただこの幹に『文字』を刻んでくれればそれで良いで()


「文字を?それだけ?」


「それだけで()。書く文字は特に決まりごともないで()。なんとなく霊験ありがたそうな文言を書いてくれればそれで十分で()。ただしその文字を刻むのにはただの刃では意味がありま()()()。この古木に霊力を吹き込むにはそれ相応の霊格のある聖剣でも無い事には始まりま()()()。例えば……お前さまが持っておる『七星剣』とか、まさにそんなもので()


「な……!?」



肉芝仙は頼義が碓井貞光(うすいのさだみつ)から宝剣「七星剣」を預かっている事まで看過している。どのようにしてその事を知り得たのか、金平たちは一層この巫女姿の少女に対する不気味さを感じていた。



「天の気を集約した隕鉄の刃にて地の気を集約した大樹に霊力を刻む。うむ、『天陽地陰(てんようちいん)相和(あいわ)する』とはまさにこの事で()。その剣ならばこの地を護る結界を作るに十分足るで()。よくもまあこんなに都合良く持ち合わせていたもので()。むしろ何者かの作為を感じて薄気味悪いで()。くひひ」



肉芝仙が喉の奥を鳴らして変な笑い方をする。まさか貞光公がこの事を予見していたとも思えぬが……でなければもっと「上」の意思、例えばこの世界の運命をも担うような者の意思……がそのように自分たちを動かしているとでもいうのだろうか。



「では頼義(よりよち)どの、いざ参られい」



肉芝仙が大仰な恭しさで頼義を促す。頼義は七星剣を抜き、杉の古木の前に立った。



「どのような文字でも構わぬので?」


「構わないで()。まあ悪口とかいやら()い落書きとかはオススメしないで()かね」


「書くかバカ!!」



金平が怒鳴る。



「そうか、残念」


「書くつもりだったのかよ!!」



頼義が大真面目に残念がるので、金平は彼女が何を書こうとしたのか空恐ろしくなって聞く気にもなれなかった。穂多流が後ろでケタケタと口を開けて笑う。



「では……」



少しの間考え込んだ後、頼義は何を書くか決めたようで、スッと幹の前に立ち、迷い無く七星剣の切っ先で樹皮に文字を刻んで行った。


しばらくの間ガリガリと樹皮を刻む音が続き、ようやく作業を終えた頼義が裾で七星剣の刃を拭うと、その刀身を鞘に収めた。



「これで、いかがなものでしょうか」



頼義が幹から離れて自分の刻んだ文字を見せる。そこには



天下太平 社頭御栄 子孫長久



という文字が彫られていた。

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