下総香取郡香取神宮・頼義、肉芝仙と取引をするの事(その二)
頼義の口から出た思わぬ言葉に金平は目を丸くした。穂多流は彼女の思わぬ野卑な口調に頬に両手を当てながらあんぐりと口を開けていた。
肉芝仙は例のいたずらっ子っぽい微笑のまま表情を変えていない。
「語るに落ちたな肉芝仙。我らにも忠常にも、この世の尽くに心を傾ける事のないお前ならば、この香取神宮の惨状も心にかけることなどあるまいよ。おおかた、てい良くおだてて私の中にいる『八幡さま』を引きずり出してあわよくばその力の一片でも掠め取ろうとでもいうのがお前の本音であろう。仙人よ、違うか?」
肉芝仙は表情を変えることなく沈黙を続ける。
「そのような頑是ない幼女の姿であるならば私が心を許すとでも思うたか?付け入る隙もあろうと?生憎だったな、いかにお前が小細工を弄しようとも、私の耳に届くお前の声は俗世の欲にまみれた怪生のそれにしか聞こえぬぞ肉芝仙!」
頼義が少女に向かって一喝する。自らを超越者と称する少女はそれでも表情を崩さない。
「さても、これは酷い言いようでつ。私ちょっと泣きそうでつ」
などと言う割には涙をこぼす気配など微塵も見せない。
「源氏の惣領たるお前ちゃまの顔を立てて下手に申ち出たと言うに、その心配りを踏みにじるとは不遜にも程があろう。私がその気になればお前ちゃまの首をねじ切ってその臓腑を引きずり出ちて無理矢理『道』をこじ開ける事も容易いぞ。その事を想像せなんだか?」
肉芝仙の不穏な言葉に金平と穂多流は身構える。頼義は二人を制しながら言った。
「できるでしょうね。お前のその神通力であれば」
「なれば何故そのような態度を取る?私に少しでも敵う見込みでもあるか?死ぬのが怖くないか?」
「だって、お前はしないでしょう、そのようなめんどくさい事は」
「にゃあ?」
「お前は求道者だ。常に新たな『力』を求めてその探求をやめない研学の徒だ。だがお前は目的のためにあらゆる努力を厭わない、という性分の者では無い。お前の求めるところは常に『最小限の労力で最大限の利益を得る』事。その一点のみを極めたことによって仙人の座にまで登りつめたのでしょう肉芝仙よ。そのお前がなんの見返りもなく戯れに我々を殺すような無駄な事などいたしますまい。本当はこの神宮の浄化とてお前一人でも難なく祓えるのでしょう。だがそれでは労力の割には自分に何の利もない。そこで都合よく通りかかった私の力を利用し、私の力を手中にしつつ神宮のお祓いも行えればまさに一石二鳥、己は少しの労もかけずに最大の結果を得られると、そういう目論見だったのでしょう?」
そこまで彼女の言葉を聞いて、肉芝仙は初めて表情を変えた。
「何を根拠にそのような口をきく?お前さまごとき若僧に私の何がわかると?」
「根拠なぞ何も。ただ私はお前の声を聞き、お前の言葉を聞いた。その上でのお前の評価です」
「……まったく、源氏のこわっぱという奴らはどいつもこいつも小憎たらしい悪童ぞろいよな。ここまで信用されておらぬとは私も少々自分に自信がなくなったでつ」
そう言って呵呵と笑った。
「初対面で声を聞いただけで良くもまあそこまで人の本質とか言い放つものでつ。その観察眼、いや『観察耳』か?その若さでたいちたものでつ。えらいえらい」
「あとその口調ももういいです。聞いてて疲れます」
「にゃんだとお!?せっかく警戒心を解こうと涙ぐまちい努力をちてこんなに可愛い仕草をちて見せていると言うのにあんまりな言いようでつ!!人でなし!鬼!悪魔!わーんわーん」
今度は本気で泣いているようである。どうもこの少女(?)がどこまで本気なのか冗談なのか、その心のうちがさっぱり読み取れない。頼義は相手にするのもそれこそめんどくさい気分になってきた。
「よお、もうひと思いに殺っちまおうぜ。なんだかめんどくさくなってきたぞオイ」
金平も同じ心境だったようである。
「ほほう、この私と殺り合うというでつか?もう許ちませんよう、全員蕎麦の実に姿を変えて粉にして蕎麦がきにして食ってやるでつバーカバーカ!!」
「回りくどいいじめ方だなオイ」
金平は思わず反射的に突っ込んでしまった。その金平を再び手で制して頼義が言った。
「肉芝仙どの、見ての通り私の部下は過保護が過ぎましてな。私が『八幡さま』を招来しようとするとこうして泣いてすがって止めにかかるのです。なので悪いがこの場で『八幡さま』をお呼びたてするわけには参りませぬ。そのお力を披露する事も」
「泣いてねえよ!!」
金平は不満げに反論する。それを聴きながら肉芝仙は不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らす。
「……ですが、この香取神宮の穢れを祓うお手伝いはいたしましょう。『八幡神』ではなく、『源頼義』個人として」
「ふんふん、ふーんだ。たかが人間のお前さまに何ができると言うんでつ?」
「さて……せめて祈る事くらいなら……」
「にょほほほ、お前さま一人くらいがいくら祈った所で境内の掃き掃除程度のお祓いにもならないでつ」
「他に何かできることがあるなら、なんなりと」
「ボクもボクも、ボクも手伝うよー!お掃除大好きー、残雪ったらいつもお庭にいっぱいウンチするんだー。だからお庭はいっつも残雪のウンチで真っ白なの。あははは」
穂多流が屈託無く笑いながら言う。その言葉に反応するように鳶の残雪が「ぴぃ」と小さく鳴いた。その鳴き声を聞いて、頼義も金平も、なぜかその鳴き声だけは「言いがかりだ」と主張しているのが聞いて取れた。
「おい、俺はやらねえぞ。こいつのために働く義理なんてねえからなあ」
金平が拗ねたようにそっぽを向く。
「金平、お願い、私の顔を立てると思って協力してください」
そう言って頼義は金平の裾をつまむ。
「……チッ、仕方ねえなあ。主人がやるってえんなら、配下の俺も手伝わねえわけには行かねえじゃねえか。掃除洗濯は苦手だが力仕事関係なら任せてくれや。なんなら今からそのチミモーリョーどもを蹴散らしてきてやろうかあ?」
そう言って金平も袖をまくる。
「……あれ?もしかしてこのにいちゃんチョロくない?」
「にゃあ」
穂多流と肉芝仙はなぜか互いに顔を合わせてうなずきあった。
「ふむ……」
肉芝仙は三人をかわるがわるキョロキョロと見回しながら、意外な申し出に少し考え込み、やがて
「ふん、まあ落とち所としては妥当なところでしょう。正直言うと、確かにお前さまの言う通り私は人間どもが百人死のうが血で大地が汚されようが興味などないでつ。なれど私はこの下総という土地に深く根を下ろちているでな。香取の宮が滅んでこの土地の霊気が衰退するのは私にとっても嬉ちい事はないのだ。なので、お三方のそのお言葉、ありがたく頂戴するといたちましょう」
どうやらお互いに妥協点を見出すことができ、無事平和的に取引が成立したようだ。
「で、俺たちは何をすりゃあいい?」
金平が聞く。肉芝仙はまたニンマリといたずらっ子っぽい笑顔を浮かべて、
「そうさなあ、では……」