下総香取郡香取神宮・頼義、肉芝仙と取引をするの事
「な、なんでその事を知ってやがるんだテメエ!?」
「バカ、金平……」
反射的に絶叫した金平に頼義が呆れ顔でツッコミを入れる。
「ああ?」
金平は「何が悪い」とても言うような顔で頼義に振り向く。
「それでは『はいそうです』と答えているようなものでしょう」
「あ……」
よく考えてみれば、彼女の中に「八幡大菩薩」の神霊が顕現する「道」が存在し、その「道」を通ってその神霊がこの世に現れるなどと言う突拍子も無い事を常人が聞いても信じはすまい。とぼけてシラを切り通すという手もあったのだ。相手がいかなる目的で近づいているのか知れない以上、こちらからわざわざ手の内を見せる必要性は全くなかった。なのに今の金平の台詞はそれが事実であるという前提で喋っているようなものだ。また一つ金平の短慮のせいで頼義の駆け引きの駒を一つ潰す羽目になってしまった。金平は勝手に自滅した己に幻滅して口を籠らせる。
「にゃははは、カマをかけてみたが、まこと『八幡神』であったか。都でのお前さま方の活躍は聞き及んでおったが、その詳細までは知り得なかったでな。さてはと思って探りを入れてみたが、なるほど、やはりのう」
肉芝仙は何やら一人で納得している。
「さて、頼みたい事とは他でも無い。その『八幡神』のご威光でもってこの地に染み込んだ血の穢れを浄化ちて欲ちいのじゃ。いずれ卑ちからぬ霊格のご神霊ではあろうと踏んではおったが、『おう……』いや『八幡神』ほどのお方であれば問題なくこの地の陰気も見事祓う事もかなおう」
巫女姿の少女がニンマリと笑う。その表情は何か悪いことを思いついたいたずらっ子のようだった。
「無論、タダでコキ使うわけにも参らぬ。恐れ多くも神霊を一柱お招きちゅるわけであるからの。それ相応の謝礼は用意いたそう」
「…………」
肉芝仙の申し出に、頼義は安易に即答はしなかった。確かに己の中にある「道」を通じて「八幡神」を降臨させ、その神威でもってこの地を祓えば、香取神宮にこびりついた「穢れ」を洗い流す事は可能だろう。それ自体は頼義にとっても願っても無い事ではあった。一刻も早くこの「穢れ」を払いのけない事には、この香取の聖域もやがて腐れ落ち、かつての都のように魑魅魍魎どもが下総を蹂躙し、この地を地獄へと変えてしまうだろう。
「ダメだ!そんな事させるわけには行かねえ!!」
金平が頼義を覆い隠すようにして肉芝仙の前に進み出た。金平の目には明らかに肉芝仙への敵意が浮かんでいる。
「ほ、それはなぜかにゃー?」
肉芝仙がふざけているのか真面目なのかわからない言い方で聞き返す。金平は「それは……」と言いかけてすぐに口をつぐんだ。短慮な自分が考え無しに余計な事を口走れば、また無用に手札を相手にさらしかねない。
金平は頼義が鎌倉の森の中で「八幡神」を顕現させた時の事を思い出さずにはいられない。また同じような目にあって今度もまた無事に息を吹き返すとは限らないのだ。そばにいた穂多流は金平が何に激昂しているのかわからず、戻ってきた鳶の残雪と顔を見合わせてポカンとしている。
「金平……」
頼義が金平の旅装の裾を掴む。
「ダメだ。絶対にダメだ。それだけは、あの力を使う事だけは……!」
「……もう、心配性だなあ、金平は」
頼義は金平の大きな背中にコツン、と頭を預ける。服越しに彼女の存在の重みが伝わってくる。金平はその感触に思わず怒鳴り声を引っ込めてしまった。頼義は頭を離すと、再び金平の前に立って肉芝仙に話しかけた。
「……して、事成った暁には、私にどのような報酬が与えられるというので?」
「おい!!」
「…………」
なおも迫る金平を手で制し、頼義もまた肉芝仙へ探りを入れてみる。取り引きに応じるか否かは別として、まずは得られるだけの情報は開示してもらわねば判断のしようもない。
「報酬、報酬のう。そうさなあ……さしあたって、平忠常の『首』あたりではどうじゃ?」
「!!」
「いかがかな。それなら悪い取引ではあるまい?」
この小さな巫女姿の仙人はとんでもない事を言い出した。この香取の地の穢れを祓う報酬として、よりにもよって敵将である忠常の首級を差し出すというのである。
「……あなたは忠常に力をお貸しいているのではないのですか?その彼を裏切って私たちにお味方していただけると?」
「にゃは、確かに私は故あってとある御霊をその子孫に宿らせ、さらに七つの分身を用い、影武者としてかの者に分け与えはちたが、特段私は忠常の味方というわけでもない。先にも言うたが、私は忠常にもそなたにも肩入れなどはせぬよ。この仙人にはもう地上のよしなし事、人間の営みなどからは遠く超越しておる身。私にしてみれば、お前さまも忠常も同じく水面に映った波紋の一筋に過ぎぬよ」
「つまり、忠常にも我らにもお味方いたすことは無く、興味も思い入れることも無いと?」
「さようさなあ。全ての事は夢のまた夢よ。私には遠い彼岸のこと故」
「なるほど、わかりました」
「おい!」
「おとといきやがれってんだ、このクソガキ」
普段の彼女なら決して口にせぬような物言いで、頼義はきっぱりと拒絶した。




