下総常陸国境・紅蓮隊、再び川を渡るの事
頼義は船首に立って堂々と腕を組みながら船の行く先を眺めていた。前回この「衣川」を渡った時は夜中の、それも馬を引いての海中行軍という苦行を強いられたが、今回は大手を振って船を使い、川を渡っている。
これ以上の下総への派兵は財政上不可能との判断を下した常陸介源頼信は、ひとまずこれ以上の諍いは避け、内政の復旧に専念する意思を表明した。長く続いた紛争にようやく蹴りがついたことに、領民たちはホッと胸をなでおろした。依然下総側からの圧力、また東北地方との経済的な軋轢は尾を引いていたが、それでも一家散り散りとなり命の危険にさらされるよりははるかにマシと、人々は新任の国司である頼信の英断を歓迎した。
しかし、だからといってこのまま平忠常こと千葉小次郎の専横を傍観して置き捨てるわけにはいかない。只の暴君であればその選択肢もあろうが、相手は新皇将門の魂を内に秘めた「鬼人」なのである。彼にとって人間などは支配する対象ですらなく、単なる「家畜」「食糧」程度にしか映っていないだろう。
頼義はかつて都を襲った鬼たちの凄まじき生態を思い出す。生きたまま人間の肉を食いちぎり、泣き叫ぶ婦女子を戯れに辱め、且つさらに食らう。彼らの通った後には一片の生命の痕跡すらも残されない。坂東をそのような地獄に落とすわけにはいかない、たとえ朝廷が動かないとしても、自分たち「鬼狩り紅蓮隊」だけででもあの鬼を討伐しなくてはこの遠国の地に未来は無い。
坂田金平もまたかつての自分を思い出していた。京において「鬼狩り」などという汚れ役を仰せつかって、心中腐りながらもそれでも度々押し寄せる邪悪な異界の来訪者を何度も何度も、それこそ数え切れないほどの数を人知れず撃退してきた。あの時いた「鬼狩り」の同志はもう一人も残っていない。誰もが皆将来有望な若者だった。その可能性の塊のよう彼らは、その命の全てを捧げて都を守るために散って行った。
金平は頼義を見る。今「鬼狩り紅蓮隊」は自分と彼女、たった二人だけしかいない。それでも彼女は一言の不満も漏らすことなく、この国から全ての「鬼」を駆逐するまでその命を燃やし尽くすと固く誓った。その言葉に嘘偽りのないことは、ここまで付き合ってきた金平には十分すぎるほど伝わっている。だから金平はせめて自分だけは決して彼女のそばを離れまい、と己もまた自分に固く戒めている。
その感情の根源にあるものを金平は深く胸の内にしまい、表に現す事はない。
二人だけの鬼狩り紅蓮隊……であったが、今回の旅路には一人「妙」な同行人が付いてきていた。金平は空を見上げる。鳶の「残雪」が相変わらず優雅にひょろろ、とひと鳴きして空を旋回している。その姿を眺めてニンマリと笑顔を見せる同行人……穂多流の君に金平は苦々しい顔を見せる。
(なんだってアイツはこのガキを連れて行くなんて言いやがったんだ……?)
金平はいつもの様に長い顎をしゃくるようにして指でいじくりまわす。機嫌が悪い時や考え事をしている時に出る金平の悪い癖だ。
軍を出せない以上、単独行動で忠常を討つと頼義は父である常陸介に申し出た。彼女は単身下総へ乗り込み、忠常をその身一つで討ち果たし、彼が秘蔵している秘宝「鉄妙見」を奪還する、あるいは破壊するというのだ。
常識的に考えれば仮にも国家の要職に就いていた者を正面切って暗殺するなどとは言語道断の所業である。そもそもそのような大それた事は途方もなさすぎて到底現実に実行できるものではない。それでも頼義はこの一見無茶苦茶な作戦に一縷の望みを託していた。
平忠常こと千葉小次郎は正真正銘の「鬼」だった。で、あるならば例え万の軍勢でもって攻めたとしても彼を殺す事はできないだろう。「鬼」を完全に殺すためには、聖別された「鬼斬り」の宝具でもって処断する必要がある。ならば大勢でも少数でも、最後にやる事は同じだろう。
だから頼義が単身下総に赴いて忠常と対決するという案に反対はしない。頼義の叔父である美濃守頼光もまた同じ様に少数でもって鬼の王酒呑童子を討ち取ったという前例もある。しかしその一行に穂多流の君がついて行くという事態になるとは金平は思ってもみなかった。
本人も絶対反対されるだろう、家に帰れと諭されるだろうと覚悟していたので、いかに言を弄して頼義を言いくるめようかと必死になって頭を回転させていたのに、意外にもあっさりと同道を許されたので思わず肩透かしを食らう形になり、その鬱憤をもっぱら金平に八つ当たりすることで晴らしていた。
「鬼狩り」でもない、「鬼斬り」の宝具も持たない、ましてや十かそこらの少年(?)を、むざむざ死地に向かわせる様な事をなぜ許したのか、金平には彼女の真意が窺い知れなかった。いくらあの不思議な能力の持ち主だとはいえ、金平はこれから血で血を洗う死闘に向けて備えねばならない時に思わぬ余計な重荷を背負わされたことに少しだけ恨みがましい気持ちを抱いた。
川面を見つめる頼義は何も言わない。