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断章・千葉小次郎、荒ぶるの事

「これだけ……?あれだけ叩いておきながらたったのこれだけだというのか!?」



下半身が馬の姿である「分身」の千葉小次郎(ちばのこじろう)が周囲の同じような人馬の配下に向かって怒鳴りつける。


目の前に積み上げられているのは今回の戦で討ち取った敵兵の死体だった。撤退する頼信軍にトドメを刺そうと「平忠常(たいらのただつね)」からの待機の命令も無視して飛びかかった人馬の千葉小次郎だったが、その行く手を鬼狩りの猛将碓井貞光(うすいのさだみつ)によって阻まれ、惜しくも敵の大将の首は取り損ねてしまった。


貞光の兵は寡兵ながら良く働き、手際よく敵を足止めし、頼信を無事に向こう岸に送り届けた後も果敢に異形の人馬軍相手に奮戦していた。


その人数も少しずつ数を減らし、ついには一人の将兵も見当たらなくなった頃には日も沈み、昨夜よりほんの少しだけ身を太らせた月が夜空を冷たく照らしていた。


これだけの猛攻をしのいだ敵将の首を検分しようと死体を掻き集め積み上げてみたものの、肝心の大将首は見当たらず、討ち取った敵兵の数も驚くほど少なかった事に気づいた。敵将碓井貞光は、利根川の流れを背にして応戦しながら、気づかれぬように少しずつ少しずつ味方の兵を沖に流すようにして逃がして行き、ついには自分自身もドサクサに紛れてうまく逃げおおせてしまったようだった。


そのあまりに巧みな用兵と()()()()()に、人馬の小次郎は思わず歯噛みし、残された兵士の死体をその蹄で怒りにまかせて何度も踏みつけた。



「何をいたしておるか」



まだ怒りが収まらず執拗に敵兵の死体を踏み潰していた人馬の小次郎に、()()の千葉小次郎が呼びかけた。人馬の小次郎が怒りの目のまま振り向き、ヒトの姿をした自分自身の分身と向き合う。



「何を今更ノコノコ出てきおった!?お前らが香取神宮から出て我らと共に奴らを攻めておれば彼奴(きやつ)の首も落とせたであろうに、臆病風にでも吹かれたかこの……」



一気呵成にまくし立てる人馬の小次郎の言葉を最後まで聞くこともなく、人間の方の小次郎は抜き打ちに人馬の胴をひと薙ぎにした。人馬の小次郎は綺麗に「馬」と「人」とに分かれて地面にどうっと音を立てて倒れる。驚愕の表情で虚空を見つめる上半身だけの小次郎の頭を人間の小次郎が容赦なく踏み潰した。



「汚らわしい化け物風情が。貴様が俺と同じ分身であるなどとは身の毛もよだつわ。命令も聞かずに独断専行をするなぞ愚かの極み。義理もあるゆえ、肉芝仙(にくしせん)の戯れにも手を貸してはやったが、所詮は化け物、畜生よ、我らと同じく対等に口を聞くなどおぞましいにもほどがある!」



自分たちの指揮官を情け容赦なく踏み潰されて人馬たちは色めきだったが、その嬌声も小次郎が眼前の人馬を二、三人叩き切った事で恐怖と共に飲み込まざるを得なかった。



「おやおや、随分とご機嫌ななめな事で」



後ろから女の声が聞こえる。小次郎が振り向くとそこには八束小脛(やつかこはぎ)たちに担がれた輿(こし)の上に座した滝夜叉姫(たきやしゃひめ)の姿があった。その脇には意識を失った大宅光圀(おおやけのみつくに)が滝夜叉姫に寄り添うように横たわっており、彼女はその光圀の顔を愛おしそうに何度も撫で回す。



「そのような役立たず、いつまで手元に置いておくつもりですかな()()。あれしきの木偶(でく)の坊も倒せぬとは期待はずれも良いとこだったわ。全く、どこまでもクズはクズよ」



小次郎が辛辣に光圀を責め立てる。滝夜叉姫はそんな小次郎に冷ややかな目を送りながら言った。



「ふん、()()()ごときに容易く身体を明け渡すような間抜けのお前様がどの口を開いてそのような戯言を申すか。ああまったく愉快愉快」



滝夜叉姫の言葉に小次郎が苦い顔を見せる。



「……あやつめ、おとなしくしているかと思えば不意にしゃしゃり出てきては余計な事をしでかしよる。奴が出しゃばらねばこの化け物も言ったように挟み撃ちで頼信を討ち取ることもできたろうに。ただのボンクラかと思いきや意外にも骨のあるところを見せる。どうにも読めぬヤツよ」


「ほ、ほ。曲がりなりにも我が父新皇様の血を引くお子ぞ。そこらの凡夫とはモノが違おうぞ。さて、かくあいなってはいかがいたそう?連中、まことに千葉まで兵を出すものかえ?」


「さて……中央にはたんまりと鼻薬を効かせておる、頼信が押領使(おうりょうし)赴任の願い出をしたところで忠常征討の宣旨(せんじ)などは出るまいよ。これ以上派兵を続ければ国内の荒廃にも拍車がかかろう。奴らが体勢を立て直す間に奥羽の安倍、清原どもを抱き込めば奴らも完全に袋の鼠。慌てることもあるまい」


「ではまたしこたま『鉄妙見(くろがねみょうけん)』様に供物を捧げねばのう。ああ、足りぬ、いくら血を流しても妙見様を満足させるには程遠いなあ」



滝夜叉姫が朱を塗りたくった顔を歪ませて笑う。そして先程から何やら指先でいじり回していた細長い糸束の様なものを目の前に近づけながら再び笑った。



「光圀どのもこれはこれでよう働いてくれた。()()を手にしたならば、また一興、楽しいものが見られるであろうよ。ほほ、ほ……」



そう言って滝夜叉姫は手元にある髪の束……先程光圀が不意打ちにした際に切り落とされたものを拾った、頼義の髪のひと房だった……それを再び指でいじくりまわした。



その姿を無感情に一瞥すると、小次郎は残った兵を率いて「鉄妙見」の安置されている千葉へと向かうために軍団を進めさせた。



「光圀どの、光圀どの……ああ、(わらわ)はなどてかようにそなたに執着する?妾が借り受けておるこの娘の思慕の情か?それとも……妾自身のそれか?わからぬ、わからぬよ光圀どの……はよ目覚めい、目覚めて妾のものとなれい。天下を取るものなど誰でも良い……忠常でも小次郎でも、妾はそなたでも構わぬぞ、否!そなたが良い、そなたが良いぞ光圀どの……」



そう言って滝夜叉姫は愛おしそうに何度も何度も光圀の顔を執拗に舐め回していた。

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