総州香取神宮前平忠常本陣・碓井定光、決死の殿を務めるの事
その馬群は地平の彼方からまるで突風のような速度で不意に現れ、瞬く間に撤退の準備を始めかけていた頼信軍の横腹を急襲した。休戦が決まり気勢を削がれていた頼信軍は完全に意表を突かれて、なだれ込んでくる敵襲になすすべも無く総崩れとなった。
「こ、こいつら、何処から出てきやがったんだ!?いやそれより……大殿!!」
奇襲を受けて陣は四散したものの、大将のいる本隊は辛うじて持ちこたえていた。一度は散り散りになった友軍が再び集結して体制を整えようと押し返しにかかるが、一度総崩れとなった頼信軍はそのままジリジリと川べりにまで追い込まれて行った。
「おのれ、一度和議を結んでおいてから不意打ちをかけるとは……!」
頼義は忠常の不義理に歯軋りしながらも、それでもなんとか劣勢を打破しようと敵兵の流れを割くようにして父のいる本隊にまで辿り着こうともがいた。
怒涛のように押し寄せた騎馬隊は第一陣で頼信軍を撃破しそのまま一度離脱したが、敵軍を混乱に陥れたのを確認すると再び踵を返して第二陣に向けて突撃を開始してきた。
後詰めの歩兵部隊と小競り合いをしていた頼信軍の横腹が再度急襲を受ける。
「全軍密集、一塊りとなって自重で馬群を持ちこたえよ!」
頼信の号令で方陣に組んで応戦していた友軍が押し競饅頭のように一塊りに密集して騎馬隊の突撃を押し返そうと構える。
その時、金平も頼信も、兵士たちも向かってくる騎馬隊の正体を始めて視認した。
「こ、こいつら……なんだこいつらはあっ!!」
押し寄せてくる騎馬隊はまるで一つの生き物のように巧みに連携して走り、攻め、囲い込んでいく。それもそのはずである、彼らは本当に文字通り……
人馬一体の化け物だったのだ。
のっぺりした青銅の仮面に鎧と手甲を纏った上半身は屈強な人間のそれだが、その下半身はこれまた屈強な軍馬の躯体が四本の足を駆使してとてつもない速さで駆け巡る。恐るべき練度でもって攻め寄せてくる異形の人馬兵に、頼信軍は見る見るうちに蹴散らされて行った。
「てめえら、その仮面……八束小脛どもかあっ!?」
金平が柄の切り落とされた剣鉾で懸命に頼義を守りながら叫んだ。連中が被っている仮面は間違いなく「八束小脛」のもの……長年に渡る非道な人体改造を経て、彼らはこのような異形の者まで生み出していたのか……!?
「いかにも!俺はあちらの忠常のように甘くはないぞ、獲物を前にしてむざむざ見過ごすものかよ!!」
人馬の一人がその仮面を脱ぎ捨てた。その下から現れた顔は紛れもなく平忠常……千葉小次郎のそれだった。
「千葉小次郎!!ちいっ、テメエもアレか、七つの分身の一人ってわけかよ!?」
「応よ、あちらの俺は見逃しても、この俺は貴様らを逃がしはせん。常陸介、ここで果てるが良い!!」
人馬の小次郎が短槍を本陣に向かって投げつける。轟音を立てながらその槍は一直線に大将である頼信の喉元めがけて飛んで行った。
「父上!!」
頼義の叫びは戦場の怒号の中に掻き消される。頼信は父の消息を求めて必死になって群衆を掻き分けて本陣に辿り着いた。
「父上!!」
頼信は無事だった。その彼の前には、大将を守るために立ちふさがり、小次郎の投げた短槍に肩を貫かれた碓井貞光が立っていた。
「貞光様!!」
「おう、親父殿は無事だぜえ。はは、オジさん大殊勲だろう?」
「なんという無茶なことを……!誰か薬師を……」
「いいから、お前さん方は早く船に乗れ、ここは俺たちが引き受ける。なあに大将さえ生き残ってりゃあこの戦は『勝ち』よ。少なくとも負けたことにはなるめえ」
「なりませぬ!貞光様は客将、あなた様に殿を押し付けるわけには参りませぬ、ここは私が……」
「うるせえ、ごちゃごちゃ抜かしねんじゃねえ!いいからとっとと親子揃ってケツまくってトンズラこきやがれ!戦はここで終わりじゃねえ、次の戦に、その次の戦に、そして最後に勝つためにお前さん方は生きなくちゃならねえんだ。覚悟を決めろ御曹司!!」
「でも……でも……!!」
「コラ、別に俺たちもむざむざ死ににいくんじゃねえわいな。お前さん方がさっさと逃げおおせてくれた方がこちらも好きに動けて生き延びる確率が高くなるんだよ。さあ良いから急げ、おい金平、しっかりお二方をお守りするんだぞ!!」
「言われなくても分かっとるわとっつぁん!おい、どうせ死ぬなら潔く一人でも多く道連れにしていけよ!!」
「バカヤロウお前、そういう時は『死ぬんじゃねえぞ』ぐらい言いやがれクソ餓鬼!!」
貞光は悪態をつきながらニヤリと笑う。一度背中を向きかけた貞光は何かを思い出したようにまた振り向いて
「おっと忘れてた。御曹司、ほらよっ」
貞光が頼義に向かって何かを放り投げた。
「これは……」
「お前さん、『童子切』は頼光に返しちまったんだろう?そいつは倅が受け継ぐはずのものだったんだが、お前さんならそいつを託すのに相応しかろうよ。それでも立派な『鬼斬り』の一種だ。そいつでせいぜい忠常の野郎に冷や汗かかせてやってくれや」
頼義が受け取ったものは鍔のない細身の太刀だった。
「貞光様……」
「その太刀と七星がお前さんを導く。願わくば妙見菩薩のご加護があらん事を。じゃあな」
貞光はそれだけ言って背中を向けた。
「ご武運を……!」
金平に担がれて走る肩の上から、遠のいて行く貞光に向かって頼義が叫ぶ。貞光は振り向きもせず黙って右手を上げて応えた。
「さて、そんじゃあ頼光四天王碓井貞光、最後の大暴れといきましょうかねえ……!」
決死の戦場、その死地において、老将碓井貞光は不敵にも笑い顔を見せながら迫り来る敵陣に向かって行った。