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総州香取神宮前平忠常本陣・平忠常、陣を退くの事

頼信軍側の兵士たちから歓声が上がった。そこかしこで勝鬨(かちどき)の声が響く。そんな声もまるで気にもとめず、金平は頼義の元に戻って来た。



「死んだのですか、光圀どのは……」



打ち沈んだ表情で頼義が金平に問いただす。



「あたぼうよ。殺すつもりで打ち込まなきゃあ、おっさんに太刀打ちできるわきゃあねえからな。それなのに……」



金平が後ろを振り返る。見ると、完全に昏倒していたかと思われた大宅光圀(おおやけのみつくに)が全身を震わせながらそれでも何とか立ち上がろうと足掻(あが)いていた。



「あれで生きてやがるんだから、おっさんも相当のバケモンだなありゃあ」



光圀が血反吐を吐く。鼻も耳も、あらゆる箇所から鮮血を吹き出しながらも、光圀はなおも憎しみの眼差しでもって金平を睨みつけていた。



「ただつね……忠常(ただつね)ぇぇ!!貴様だけは、貴様だけは……!」



あらん限りの呪詛の言葉を吐きながら光圀は幽鬼のように金平たちに近づいて来る。その足を止めたのは側にいた敵軍の大将、千葉小次郎(ちばのこじろう)こと平忠常(たいらのただつね)だった。忠常は光圀を抱きかかえるように抑えると、光圀は魔法が解けたように意識を再び失い、その身体を忠常に預けた。



「光圀、それ程までにこの私が憎いか。私は、私は……」



忠常は何かを言いかけようとしたが、それ以上は何も言わず、黙って光圀の身体を抱き上げたまま頼信軍に向かって口上を述べた。



「認めよう、此度の一騎打ちは当方の負けである。我が軍は香取の杜より撤退しよう。元よりお社を焼くは我が本意にあらず、願わくば引き退きの間暫時(ざんじ)お見守りいただきたい」


「はぁ!?ふざけたこと抜かすな!テメエらが逃げ出す間手を出すなとか調子のいい事言ってんじゃねえぞコラ!大体何が『焼くのは本意では無い』だテメエ!初めっから皆殺しにして焼き尽くす気満々だったろうがよお!!」



金平が頼義に肩の傷を手当てされながら吠える。忠常は冷ややかな目で金平を見据えながら



「それは千葉小次郎が言葉であろう。これは『()()()』としての本心である。どうか斟酌(しんしゃく)いただきたい」



金平の顔に怪訝(けげん)な表情が浮かぶ。目の前にいる男は間違いなく「千葉小次郎」だ。平将門(たいらのまさかど)の魂を宿していると言うこの男が今「平忠常」として喋っているという事か?「将門の魂」では無く、「忠常の魂」がその言葉を発していると?金平には何が何だかわからなくなって来た。



「お申し出の件、あいわかった、貴殿の軍勢が香取神宮をこれ以上傷つけずに撤退してくれるならばありがたい事です」


「おい!」


「ただし!」



金平の横槍を制するようにさらに大きな声で頼義は言葉を継いだ。



「条件が一つあります」


「……?条件とは」


「貴殿が秘蔵している『鉄妙見(くろがねみょうけん)』の引き渡しです。(すみ)やかに当方への譲渡がなされない場合は即座に進撃を開始します」


「!?」


「お、おい」


「さあ、返答やいかに!?」



唐突に敵の核心を(えぐ)るような要求を突きつける頼義に、金平はらしくも無い動揺を見せた。コイツはいつもそうだ、穏便な性分と裏腹に、駆け引きの場においては一切の容赦なく敵の懐に飛び込んで行く大胆不敵な所が彼女の内にはある。



「さて、鉄妙見とは……」


韜晦(とうかい)は無用。貴殿が卑劣にも相模(さがみ)平忠通(たいらのただみち)公の屋敷を襲って簒奪(さんだつ)した将門公の秘宝でもって血を生贄に多額の金銀を精製していることは当方の知る所です。何人殺した?その穢れた財宝を手に入れるためにどれほどの犠牲を強いたのだ平忠常!!いかに貴殿が粛々たる態度を見せたとして、この頼義には通ぜぬ、貴殿は我欲のために民草の命を(ないがし)ろにする悪鬼羅刹よ。そのような者に、そのようなモノを持たせるわけにはいかぬ。さあおとなしく差し出すが良い、さもなくば貴殿の軍勢、このお社ごと灰燼(かいじん)に帰す!!」



想像をはるかに超える頼義の鬼気迫る言葉に忠常は思わず絶句した。光圀に斬られ、血を流し青い顔を見せながらも、少女はそれこそ羅刹のごとき気迫でもって彼を追い詰めていた。


「……つい今しがた、神宮を焼こうとする我らを畜生外道と罵った御身(おんみ)が自らこの地を灰燼に帰すると、そうおっしゃられるか……!?」


「なめるなよ平家。我ら源氏一党、目的のためならば鬼と呼ばれようと邪と呼ばれようとその道を完遂するためならばいかなる神罰も悪名をも恐れる事無し!お疑いならば今ここでその『覚悟』をお見せいたそう」



そう言って頼義は右手を上げて父である大将頼信に「進軍」の合図を送ろうとする。忠常は慌ててそれを制そうとする。



「ま、まて、『鉄妙見』はここには無い!それは貴公も重々承知しておろう、何故かような無茶をおっしゃられる!?」


「無論、ここに無い事は十分予見しておりましたとも。さればその真の隠し場所をお教えいただこう。我ら常陸(ひたち)国軍、その時こそそなたを朝廷に対する反逆者としてその場にて誅戮(ちゅうりく)いたしまする」



忠常の顳顬(こめかみ)に青筋が走る。怒りと、動揺と、焦りと、様々な感情がないまぜになって今忠常の体内を駆け巡っている事だろう。頼義は黙って返答を待つ。



「……かくなる上は致し方無し。『鉄妙見』は『千葉群(ちばのこおり)』に新しく設けた社に安置しておる。だが我が一族にとってもあの仏像は将門公より伝えられし家宝、みすみすお渡しするわけにはまいらぬ。どうしても欲しいと申すならば、この忠常一命をかけてお上と一戦合間見える所存である。お覚悟のほどを」


「下総千葉……あいわかった。ならばこのまま引かれるが良い。次会う時は千葉の地にて。我らも常陸国へ一度帰参いたしましょう」



お互い、無言のまま睨み合いを続けた後。両者はくるりと互いに背を向けてそれぞれの陣営に戻って行った。


馬に乗せられ、ようやく人ひと心地ついたのか、頼義は後ろで手綱を引く金平の大きな身体にふわりと体重を預けた。そのあまりの軽さに金平は心臓を躍らせながらも


「まったく、無茶な事を言いやがるぜウチの若殿様はよう。ホントに神宮を焼き討ちするつもりだったのかい?」


「そんなことできるわけないでしょ!もう……あれで向こうに『おう上等だやれるもんならやってみろやコラ』とか言って来られたら、こちらが困る所だったわ。はあ」



頼義が微かに笑いながら深くため息をついた。まったく、この姫若君のクソ度胸には驚き呆れさせられる。何処(どこ)でこのような駆け引きを覚えたものなのか、金平はこの少女の末恐ろしい天分(てんぶ)の将才に思わず笑みがこぼれてしまった。


金平が後ろを振り返る。香取神宮の境内ではすでに撤収の作業が始まったのか、慌ただしく人や物が行き来しているのが見える。あれを見る限りこちらが川を再び渡って常陸国へ撤収する際にも無粋な後追いなどは仕掛けてくる気配はなさそうだった。命がけの行軍の割にはほとんど得るもののなかった今回の遠征だったが、これでようやく一息つけると思うと金平も少し気が楽になった。


その気が緩んだ隙をつかれたがために、利根川の沿岸を伝って騎馬隊が急襲してきたのを金平たちが気づくのにわずかな時間の遅れを擁してしまった。

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