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常州鹿島灘鹿島神宮前・頼義、鞭声粛々、夜河を渡るの事

「ああ、いきなり何言いやがんだよ、土地の者だあ?」


「急いで。漁師でも船渡しでもいい、ここの地形に通暁(つうぎょう)している人です。私は父上に意見具申して参ります」



そう言うと頼義は一人で陣幕に入って行った。一人取り残された金平はボリボリと頭をかきながら



「……しかたねえなあ」



と一言愚痴ると、すぐさま言いつけられた任務に向かった。



半刻ほど陣中をあちこち巡って、金平はようやく頼義の希望していた人物を一人見つけることができた。力づくで引っ張られるのを恐怖の目で必死になって抵抗していたその男は、大将である常陸介(ひたちのすけ)源頼信(みなもとのよりのぶ)・頼義親子の前にいきなり引きずり出され、わけもわからぬままひたすら平身低頭していた。



「金平、ご苦労です。さてそちらの方、急なる呼びつけによる無作法許されよ。お名をなんと言われる?」



頼義が優しく問いかける。男は平伏した頭を上げていいものかどうか迷いながら、視線だけを頼義に向けて



「へへえ、この衣川(きぬがわ)(利根川)で漁師どもを取りまとめておりやす、眞髪高文(まがみのたかふみ)と申しやす、ハイ」


「つかぬ事をお願いしますが、この内海についてお教えいただきたい」


「は?」


「私は見ての通り盲目の身。それゆえに人一倍『音』に関して敏感な耳を持ち合わせております。その耳で今内海を飛ぶ海鳥が海中に身を投じて餌を獲る音を聞き分けていると、場所によって飛び込んだ時の音に微妙な違いを感じまする。これはつまり、飛び込む場所によって海底の高さに違いがあるからではないかと推察されるのですが、違いますか?」


「は?はあ……」


「それを踏まえてその方に尋ねたい事がある。我が家伝によればこの一帯の内海は年を経る程に山より流れ来る土砂が少しずつ溜まって行っているそうであるな?」



これは頼信の言葉である。



「へえ、ウチは代々ここらの魚獲りどもの頭目を務めておりやすが、ご先祖様の時代にはこの内海ももっと広く、深かったと聞いておりやす。今では所々浅瀬が海中に隠れておりやして、ヘタすると座礁する恐れがあるのでここらの漁師はみな喫水線の低い平船を使うのが常でございやす」



頼信は頼義に顔を向ける。頼義は我が意を得たりといった表情で頷いた。



「重ねて問う。その浅瀬の中に()()()()()()()()()()()()?」



眞髪高文と名乗った男は一瞬大将の言っている事が理解できずポカンとした顔を見せたが、しばらく考え込んだ後



「へえ、確かに引き潮の時にゃあ、あちこち浅瀬が出る事がありやす。馬、馬ねえ……。ワシらあが夜漁をする時にゃあ『竜宮門』っつう海路を往復して船を通す事がありやす。ちょうどこちらから香取の岸に向かって堤みてえに浅瀬が伸びていて、その『竜宮門』のとこだけが船の通れる深さになってるってんで……もしかしたら、その『堤』の所ならあるいは馬でも脚がついて進めるかも知んねえ……え、それってまさか……?」



そこまで説明して、この漁師の親分も頼信たちが何を画策しているのかが想像できた。



「その方、その浅瀬を案内(あない)できるか」



頼信が無茶なことを言い出した。眞髪高文はブルブルと頭を左右に激しく降って拒絶する。



「むむむ、無理ですぜ殿さま!そりゃあ満月の大引き潮の夜ならばまあ行けなくもねえでしょうが、それにしたって……」


「時が惜しい、満月を待っていては間に合わぬのだ。今夜決行するためにどうしてもそなたの協力がいる。褒賞は望みのままにとらすぞ、どうか頼まれてくれぬか」


「ひ、ひ、ひ……」



男は口から泡を吹かんばかりに動揺している。無理もない、今の頼信の渡河作戦を聞いて金平も呆れ顔になってしまう。引き潮に合わせて浮かび出た浅瀬を伝って向こう岸まで渡ろうと言うのである。しかも昼日中でなく、月明かりだけが頼りの夜中に。その浅瀬だって実際に馬で渡れるかどうかのどわかったものではない。賭けで言えば四分六分といった、勝ち目の薄い勝負である。しかしこの親子はその一点賭けに乗るようだ。



「先頭はこの頼義が努めまする。私なら暗闇に惑わされず進む事ができましょう。どうか、ご助力を!」



頼義が頭を下げて頼み込む。金平はそれを見て



(お前が行くって事は俺も行くって事じゃねえかよ……)



と心の中で悪態をついたが、同時にこの前代未聞の渡河作戦に向けて全身から沸々(ふつふつ)と闘志が湧いてくるのを抑えられなかった。


すったもんだの挙句、ようやく眞髪高文は渋々水先案内人を務める事を了承した。頼信は直ちに先行部隊を編成し、その指揮を頼義に任せた。


陣幕には煌々(こうこう)と松明を掲げ、敵の目を引きつける。まず頼義率いる先行部隊二百名を進ませ、対岸に着いて踏破路を確保したところで二次、三次と後続部隊を送り出す。先行部隊が向こう岸に着きさえすれば停留している船舶を拿捕してその船を使ってピストン輸送することも可能だろう。全ては頼義たちが河口を渡り切れるかどうかにかかっている。



「明かりは灯すな、音もできるだけ立てぬよう、前後の者との距離を一定に保って。行くぞ!!」



頼義の号令とともに金平が馬の尻に軽く鞭を当てる。合図を受けた馬はゆっくりと川岸に向かって進みだす。水面に(ひづめ)を浸した時に一瞬馬がたじろぎ身を引いたが、辛抱強く促して馬はようやく全身を海中に浸していった。


頼義は慎重に手綱を引いて眞髪高文の言葉に従って馬を進める。爪先が海に浸かり、やがて膝が浸かり、腰まで水に浸かっても海面はまだ底を見せていなかった。とうとう胸上まで海水に浸かり、頼義は焦った。月はまだ満月には少し早い。引き潮も十分に引ききっていない中の行軍である。ついに首にまで水面が迫った時にはさしもの頼義も作戦の無謀を疑った。


が、幸いなるかな、下降線はそこで止まり、辛うじて顔を出せるほどの深さで浅瀬は続いているようだった。全身が海に浸かっているおかげで返って敵の哨戒(しょうかい)からも身を隠す事ができている。時折波に飲まれて顔を海水で洗う事もあったが、これならなんとか行けそうだった。



「進みます。皆慎重に……」



大きく息を一つ()いて、頼義はさらに馬を進めた。

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