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総州某所・大宅光圀、再会するの事(その二)

「生きておったのか、そなた……」



大宅光圀(おおやけのみつくに)は辛うじてそれだけを口にする。それ以上の言葉を紡ぐことができなかった。女の声の出元は奥の部屋の御簾(みす)の向こうか。見れば、降り切った御簾のほんの僅かに空いた床との隙間から女人の手らしき影が「垣間見(かいまみ)」える。彼女を失ってから何年、どれ程の時間を過ごしたのだろう。その間光圀はひたすらに消えた妻を求め、求め、求め続けた。


その妻が御簾越しに座っている。手を伸ばせば届くその距離に……



「なりませぬ、あなた……!」



御簾に手をかけようとする光圀を声が止める。



「お願いです……どうか、私めの事は……もう……」


「何を言う。この幾年、そなただけを追い求めて俺はこの国中を駆け回った。大殿の隠密として、汚れ役を負ってでも国から国へと渡り歩いてそなたの消息を追った。それが今ようやくにして再び相見えることがかなったのだ、何をためらうことがある……!?」


「お忘れ下さいまし、小夜(さよ)はもう死にました。あなた様が想い慕って下さった汚れなき貞淑な小夜は、もう、忠常様に……」


「言うな!俺は気にせぬ、忘れる。そなたも忘れよ、忠常(ただつね)はもう討った。そなたを縛る(くびき)はもう存在しない。だから……」


「いいえ!いいえ、忠常様は如何様(いかよう)な目に会っても死なれる事はござりませぬ。あのお方は不死、不死身の御身。仮令(たとい)傷つけることが叶うとも、あのお方を殺すことなどできませぬ」


「……?どういう事だ?そなた、忠常の事を何か知っておるのか?何故奴は死なぬ?俺は覚えのある限り二度、奴を殺したはずだ。だのに何故あやつは生きていると言うのか?何故だ!?」


「ああ、どうか、どうか……お願い、これ以上私を苦しめないで……私、私は……」


「小夜!!」


「お立ち去り下さい!今なら家の者はおりませぬ、どうかあなた様だけでもお幸せに……!」


「……俺一人、俺とそなたとの間だけの事であれば、俺もあるいは覚悟を決めてこの場も()ねよう。だがしかしな……息子は、小太郎は今も母の事を恋しく思うておるぞ……!」


「!!……ああ、そんな……ひどい、そのような事を言われては……」


「小太郎はそなたに会いたがっておる。俺のことは忘れても構わぬ、だから、小太郎のために戻ってこい、小夜!」


「私だって、私だってあの子に会いたい……!でも、でも……」


「小夜!!」



光圀はついに御簾を上げる。勢い余って吊り紐が外れてザラザラと音を立てて御簾が床板に落ちる。部屋の中にいた女人は(うちき)の袖で顔を必死に隠す。



「なりませぬ、なりませぬ……!どうか……!」


「止まらぬ!この一千日(いっせんじつ)、片時とてそなたを想わぬ日は無かった。汚泥(おでい)(まみ)れても、死に瀕したその瞬間にさえもそなたを求めた……小夜!」



それでもなお抵抗しようとする女に、光圀は力づくで振り向かせようとする。か弱い力でささやかながらにも抵抗しようと試みるが、それでも少しずつ、顔から袖が離れて行く。



「ああ……何故かような無体を……そうまでなされなければ、なされなければ……」



とうとう袖が引き離され、女の顔が(あか)らかになる。



「かように恐ろしい目にも会わずに済んだろうに」



真っ赤な()で染まった滝夜叉姫(たきやしゃひめ)の顔が邪悪に歪んで光圀を嘲笑った。



「!!??うおっ!!うわあああああああああ!!!!!!」



滝夜叉姫と目を合わせた光圀はその瞬間狂気の悲鳴を上げた。



「さ、小夜!?そんな、今の声は確かに……そんな、そんな、そんな……!!」



驚愕の表情で滝夜叉姫を見る彼の姿を、鬼の姫君は高らかに笑い飛ばした。



「ほ、ほ、ほ。何を驚きやる?(わらわ)は妾ぞ。お主の愛おしい『お小夜』じゃ。どうじゃ、覚えがあろう、この唇、この乳房(ちち)



滝夜叉姫は挑発するように自ら襟の合わせをはだけて剥き出しになった乳房をしどけなく揉みしだく。



「良い、良いのう若い女子の肢体(からだ)は。芯の奥からとめどなく蜜があふれ出るようじゃ」



さらに挑発するように太腿をはだけ、素足を撫で回しながら下腹部へと指を這わす。真っ赤に染め上げられた唇からは粘度の濃い(よだれ)が滴り落ちる。



「やめろ、やめろ……やめろおおおおおおおおお!!!!!!!!」



悪夢を振り払うかのように光圀が両手で空中を足掻(あが)く。それを見て滝夜叉姫がさらに高笑いを重ねる。



「そなたの妻の肉体(からだ)、実に具合が良いぞ。うむ、実によく妾に馴染む。血縁としては薄い方であったが、思わぬ収穫であったぞよ。褒めてつかわすわ忠常よ」


「これはお褒めに預かり光栄至極……ふふ、なかなかに面白き座興であったぞ光圀」



光圀は惚けた表情で後ろを振り返る。そこには三度「復活」を果たした千葉小次郎(ちばのこじろう)こと平忠常の姿があった。



「た、ただ……つね……」



「ふん、まだわからぬか阿呆め。羊太夫(ひつじだゆう)に散々説明してもらったであろう?『七星転生(しちせいてんしょう)』よ!肉芝仙(にくしせん)より授かった血脈輪廻の呪法(ずほう)によってそなたの妻の中に生まれ変わって顕現した者こそ、かの新皇将門(まさかど)の愛し子である皇女滝夜叉姫よ!」


「あ……ああ、ああああああ……!!」


「悟ったか?何故俺が別段好みでも無い、小便臭い(アマ)を貴様からわざわざ貰い受けるような真似をしたかを。欲しいのはその人格にあらず。肉体そのものよ。我が姫滝夜叉をこの世に呼び戻すための『器』としての存在よ!!」


「き……さま……」


「ああ父親については謝る。すまなんだ。俺とて無用な殺生は避けたいところであったがなにぶんあの暴れようであったからなあ。嫁御どのをむざむざ連れ去らせはせぬと、それはまあご立派なお姿であられたぞお父上は。まあ俺のひと突きで呆気なく()うなったがな。ははははははは!!」



それ以上の暴言に光圀は聞く耳を持たなかった。獣の咆哮を上げて忠常に向かって飛びかかる。もはや理性も人格も消失していた。ただ目の前の男を殺す、殺す、殺す!それだけがこの男の中にある全てだった。


だがそれも忠常のひと蹴りで全てが霧散した。


光圀は無様に壁に叩きつけられ、身動き一つ取れなくなった。薄れ行く意識の中で光圀は、自分を嘲笑いながら忠常とかつて自分の妻だった女の姿をした滝夜叉姫が貪るように唇を重ね合うのを見た。

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