総州某所・大宅光圀、再会するの事
「あなた、あなた……」
誰かが呼んでいる。
「あなた、旦那様、目をお覚ましください。もう、こんなに日も高くなってるというのに。ほら、1Y+Q1YiIもお父上を待っておられますよ……」
父、誰だ?俺のことか……?誰が俺を待っていると?名前がよく聞き取れない。
「あ・な・た。ほら、お敷物をいただきますよ。もう、やっと1Ii62be+1Iu71peo様の下でご仕官が決まられたというのに、そんな調子では07Gv07GQ07GU07Gd様にまたからかわれてしまいます。しっかりしてくださいまし」
ああ、わかった。起きるよ、起きる。そうだな、これからは俺も宮仕えの者としてしっかりお務めを果たさねばな。1Y+Q1YiIのためにも、そなたのためにも……そなた……そなたは、誰だ……?
泥が渦巻くような、夢とも現ともつかぬ異様な感覚が永遠に続くかと思われた大宅光圀の意識が唐突に目覚めた。薄ぼんやりとしていた自我がようやくはっきりと眼を覚ます。
「死ねなかった……のか?俺は……」
意識を取り戻したことで全身に激痛が走る。体はまだ自由に動かせないがどうやら何者かの手によって手当てをされているらしい。傷を負ったと思しき箇所には丁寧に薬草を浸した湿布が貼られ、その上に清潔な包帯が巻かれている。
光圀は何とか起き上がろうとするが、身体中の関節がまるで錆の浮いた蝶番のようにギシギシと音を立てて軋み、思うように動かせない。仕方なくとりあえずは動くことを諦め、天井を見上げていた。
これほど身体が鈍るとは、相当の時間眠っていたものらしい。周囲を目で追ってもここがどこなのかを示す手がかりは見当たらない。
(ここはどこだ?俺はなぜ生きている?誰が俺に手当をしてくれたのだ……?)
光圀には何一つ思い当たる事がない。光圀はゆっくりと一つずつ、ここまでに何があったのかを思い出そうとした。
太守頼信の主命でその息女である頼義を上野国多胡郡まで案内した。そこで「羊太夫」と名乗る多胡氏の長老に会い、「鉄妙見」の秘密とその正体を知った。そして……
「忠常!!」
光圀ががばと起き上がる。再び全身に激痛が走るが、そんな事もお構い無しに光圀は虚空を見つめて歯軋りをする。
(そうだ、俺は、忠常を……!)
ようやく最後の瞬間をはっきりと思い出した。あの時、羊太夫はすでに忠常……千葉小次郎と結託して頼義たちを亡き者にしようと待ち構えていた。どうやら「八束小脛」という連中はもともと羊太夫の配下であったらしい。それを約定によって小次郎が手足として使っていたのだ。
その八束小脛たちに追い詰められ絶体絶命という状況に陥った時、辛うじて柵を破り頼義と金平を外に逃がすことはできた。そして自分は覚悟を決めて、忠常討つべしと無謀にも八束小脛の集団を正面突破してあの者の近くまで迫った。
しかし奇襲は直前の所で食い止められ、自分は全身を鎖で絡め取られたのだった。
(その後、俺はどうした……?)
最後の一部分が思い出せなくて光圀は焦る。興奮で心臓が激しく脈打つのに呼応して左の手首により強い激痛が走った。
(そうだ!俺は……!)
ようやく思い出した光圀は反射的に自分の左手を見る。そうだ、すんでの所で動きを抑えられた自分は小次郎の挑発に我を忘れ……己の左手首を切り落として鎖の縛から逃れ、最後の手段として小次郎の喉笛に食らいつき、その頸動脈を噛みちぎったのだった。
呆然とした顔で血を噴出して倒れる小次郎……忠常の姿を見たのが光圀の記憶の最後だった、それなのに。光圀は自分の左手を見る。そこには
以前と変わらず、左手は手首から指先までちゃんと繋がっていた。
(莫迦な……!あれは夢、だったのか……?)
確認するように光圀は自分の左手を握ったり開いたり繰り返す。何の問題もなく左手は機能した。しかし、どこか妙な「違和感」を感じる。まるで手袋をつけて操作しているような、奇妙な余所余所しさをその感覚の中に感じていた。
光圀は左手に巻かれていた包帯を右手と口で外しにかかる。グルグルと巻かれた包帯が長い巻物のように床板の上に白い線を伸ばす。その下から現れた左手首は、傍目にはごくごく普通の人間の手に見えた。
(ちがう……)
光圀の目には、左手に伸びている自分の手が、自分のものではないことを本能的に察知していた。良く良く観察すれば、手のひらの大きさが違う、指の太さが違う、毛の生え具合も、肌目の色さえも、自分の右手と比べて見れば違うものであるということは一目瞭然だった。その手首、記憶の中で自分が斬り下ろしたその手首の根元には、薄っすらとした線が手首を一周するように走り、その上下ではっきりと肌の色の違いがわかった。
(何だこれは……?これはいったい、誰の手だ!?)
光圀は身に覚えのないうちに自分が何者かによって「何か」をされているという事実に恐怖し、背筋を凍らせた。一刻も早くここを出ねば。ここがどこで、自分を助けてくれたものが何者であろうと、自分は一時でもここにいたくない、早く逃げ出したい……!そんな光圀らしくない恐慌に襲われて我を失っていた。
痛む身体を無理に引き起こして、光圀は立ち上がる。力がまるで入らずまた倒れ込みそうになるのを、大黒柱に身体を押し付けて辛うじて自分を支える。ふらつく足を何とかこらえて部屋の周囲を見回した。
ごく普通の、貴族が使いそうな寝殿造の簡素な屋敷だ。部屋の外にはくの字に曲がった回廊が向こうの部屋にまで続いている。奥の部屋は御簾が下され、人がいるのかもわからない。
光圀は一歩一歩、雪の中を進むような慎重な足取りで進み、部屋の外へ出る。久しぶりに浴びた日の光が光圀の目を焼き、一瞬身じろぐ。その姿を心配するように、どこからか声が聞こえた。
「お目覚めになられたのですね、あなた……」
光圀はその声を聞いて閉じていた目を大きく見開く。その声……つい先ほどまで夢の中で聞いていたあの声……光圀の中で欠落していた最後の記憶が、今完全に蘇った。
「そこに、そこにいるのか、小夜……」
光圀は何年ぶりかに、自分が心から愛おしんだ妻の名を呼んだ。




