上州多胡郡羊太夫邸・紅蓮隊決死の逃避行の事(その二)
「・・・あれ?」
間抜けな声を出して千葉小次郎が首元を押さえる。大宅光圀の最後のひと噛みによって食いちぎられた喉笛からは止めどなく血が脈打って流れ出る。
八束小脛たちが再び鎖と鉤爪でもって光圀を押さえ込んだ時には、すでに小次郎は多量の出血によって昏倒し、そのまま地面に大の字になって倒れた。
それを見届けた光圀も、自ら斬り落とした左手からの出血により意識を失い、白目をむいてその場で崩折れた。それを見て八束小脛たちは主人の仇とばかりに一斉に刃を逆だてて光圀にトドメを刺さんとする。
「待ちやれ」
女の声が響いて小脛たちの凶行を止める。奥の間でうずくまる羊太夫のそのまた奥から、真っ赤に染め上げた髪を燃え立たせ、丹の化粧を塗りたくった滝夜叉姫が現れた。姫は座敷に上がったまま、庭先に倒れ伏している千葉小次郎の断末魔を冷たい目で眺めている。まだ死にきれないのか、小次郎はひゅう、ひゅう、と破れた気管から息を漏らして血走った目で滝夜叉姫を懇願するように見つめる。
「た、たす・・・け・・・あね・・・う・・・」
漏れた息声で必死になって何かを伝えようとする小次郎の頭を何者かが容赦なく踏みつける。小次郎の頭は瓜の実のように爆ぜて勢い良く血と脳漿を地面にぶちまけた。
「・・・一度ならず二度までも此奴にしてやられるとは、これはちと油断したわい。流石にこれ以上の無駄遣いは控えぬとなあ」
そう言って、千葉小次郎を踏み潰した千葉小次郎は酷薄な笑みを浮かべた。
「さて、これをどうする?まさかまだ生かしておくつもりだとでも?」
生きている方の小次郎が気を失った光圀の襟首を引っ掴んで無理やりに引き起こし、その姿を滝夜叉姫に見せつけながら尋ねる。
「無論じゃとも。かような玩具はなかなか手に入るものでもないぞえ。お主を二度までも殺すその力、執念。ふふ、この者が我らと同じう鬼となればさぞかし身の毛もよだつような恐ろしい『鬼』になるであろう。ほほ、失せた左手も付け直してやろう、牙も、角も、おおよそ人が恐れる全ての象徴で飾り付けてやったらさぞ愉快であろうぞ。ほほ、ほほほ・・・」
滝夜叉姫は、血の気を失って白く色抜けした光圀の頬を愛しげに撫で回し、その唇を長い舌でベロリ、と舐めつけると、頭を失った千葉小次郎の死体の左手を柿の実をもぐように易々と引きちぎった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
金平と頼義を乗せた馬が東を目指して疾駆する。上野国はすでに羊太夫の手引きによって千葉小次郎・・・平忠常の手の者が入り込んでいる。とすればもはやこの坂東ではまだ忠常の手の及ばない場所は碓井定光たち「鎌倉党」の押さえる相模国か、父の赴任した常陸国を残して無い。頼義たちは何とかして八束小脛たちの追撃を振り払い、急ぎ父頼信の元へ馳せ参じる必要があった。
小脛たちもまた馬を駆って頼義たちを取り逃がすまいと追いすがる。その数は馬群の地響きによって頼義の耳でも捉えきれない。
「くそっ、なんかアイツらとやりあう時はいつも馬の上にいるって感じだな」
後ろを振り返りながら金平が悪態を吐く。背後には柿色の頭巾を被って仮面を隠した八束小脛たちが乗る馬の立てる土煙が迫って来る。このまま逃げてもいずれ馬が消耗し追いつかれてしまうだろう。
(ここまでか・・・ならば!!)
金平は覚悟を決めて馬を止めてこの場で小脛たちを撃退するために手綱を引こうとした。その直前
「ダメ!このまま進んで、森の奥へ!!」
誰かの声が響いて金平に先に進めと指示する。金平は反射的に馬の速度を落として声の主を探したが姿は見えない。その隙をついて後ろから小脛たちの馬が肉薄する。
(しまった・・・!)
先へ進めるために馬の速度を上げる事も、止まって迎え撃つ準備もできぬ中途半端な速度になってしまった金平はあっという間に追手の馬に追いつかれてしまった。
「くそうっ!!誰だあ、余計なことしやがって!!」
八つ当たりのように金平が叫ぶ。その金平めがけて真正面から一羽の鳶が一直線に向かって来た。
「のわっ!!」
反射的に避けた金平は馬上でバランスを崩してよろめく。鳶は金平たちを素通りして後ろから追って来る八束小脛の集団に突っ込んでいった。
「むっ!?これはっ!?」
矢のような速さで馬群を貫いた鳶は反転して小脛の一人の頭に飛びつき、その鋭い鉤爪で後ろ頭を鷲掴みにした。
「ぎゃっ!!」
という叫び声と共に相手の延髄を掻き潰した鳶がすぐさま飛び上がって上空へ退避する。たった一羽の猛禽の一撃で、百戦錬磨の八束小脛たちが混乱している。
「油断するな、ただの鳶では無い、戦闘用に訓練されたヤツだぞ!!」
鳶は上空で一度大きく旋回すると再び金平の前を通り過ぎ、「ついて来い」とでも言うように金平の馬を先導して飛んでいった。その向こうには天を衝くような杉の古木が両脇に密集する森の中を切り開いた狭い間道だった。
「ええい、クソっ!!」
金平は考える事も放棄して本能的に鳶の後に従って馬を走らせた。混乱から脱出した残りの追手が尚も執拗に追いかけて来る。金平が杉の木立を通り過ぎ、その後を追って小脛たちが通り抜けようとした瞬間、ピーッという指笛の音と共に両脇の杉の木立から無数の梟が音も無く八束小脛たちの馬を襲った。
夜行性で暗闇からの急襲に長けた梟は、羽音一つ立てる事なくまるで影のように低空を飛び、狙う獲物を捕らえる。その梟がなぜか昼日中に現れ、まるで何者かに操られるかのように整然と列を組んで的確に馬を足止めするように攻撃を続けていた。
馬は完全に混乱し、怯え、高く嘶くと前足を大きく上げて乗り手を振り落としたり、恐怖に駆られてあらぬ方向へ疾走して行ったりと完全に統制を失っていた。
「はっはっは、これぞ当家に伝わる秘伝『金烏玉兎操伝の法』なり!!恐れ入ったか土蜘蛛どもめ!!」
どこからかまた声が聞こえる。
「やあやあ我こそは相模国鎌倉郡由比郷太守、さきにょのとにょ・・・失礼、噛みました!前能登守平直方が郎等、名を、名を・・・えーっと、そうだ、『藤原則明』であるぞ!遠からん者は音に聞け、近くば寄って見て・・・あれ、ちょっとお!!」
そこまでいった声は、最後まで言い切らぬうちに声を途切れさせる。すると杉の森の奥から一頭の悍馬が騎手を振り払うような勢いで飛び出して来て、混乱の続く八束小脛たちの間をすり抜け、
「待って待って止まって待って、そっちじゃ無いのよそっちじゃって・・・あ〜れ〜」
という悲鳴と共にそのまま何処か遠くへ消えて行ってしまった。八束小脛たちは混乱を収めるのに必死でその存在に気づいてすらいない。先ほどの口上も誰一人耳も傾けていなかった。上空を先ほどの鳶がノンキにひと鳴きして、走り去って行った暴れ馬の後を追うように杉の木立の向こうへ消えて行った。
何だかよくわからない状況に陥ってしまったが、金平はちゃっかりこの混乱に乗じて馬を走らせてその場から遁走してしまっていた。
「・・・な、何だったのかよくわからなかったが、一応ありゃあ『援軍』だったって事かあ?鎌倉がどうたら言ってたが・・・」
金平が何ともいえぬ微妙な顔をしながら頼義に話しかける。その頼義は金平の前に並んで鞍に座った姿勢のまま
「あの声まさか・・・いやそんな。はは・・・え?ええーっ!?」
と、脂汗をかきながら口をあんぐりと開けて独り言を続けていた。




