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上州多胡郡羊太夫邸・紅蓮隊決死の逃避行の事

「テメエ……!始めっからグルだったのか!?」



金平が怒声をあげる。羊太夫(ひつじだゆう)は奥まった目を大きく見開いて



「いかにも、我欲に(まみ)れていたずらに『鉄妙見(くろがねみょうけん)』に手を出す不届き者には誅罰(ちゅうばつ)を!いわんや朝廷の餓鬼ども、その首魁(しゅかい)たる一世源氏経基(つねもと)の子孫、我が一族を尽く虐殺したその恨み忘れでおくべきか!!我が一族が受けた屈辱同様、貴様らも七つの輿(こし)に押し込んで土中に埋めてくれよう!!」



羊太夫が血を吐くような叫び声で呪いの言葉を吐く。その姿を見て千葉小次郎(ちばのこじろう)は愉悦の表情を浮かべて笑う。



「そうだ、恨め!呪え!その力こそが我が糧、何にも勝る最高の美酒(アムリタ)よ。源氏も帝も全てを弑虐(しいぎゃく)し、この『新皇』の作る新たなる王国の供物となれい!!」



小次郎の言葉を合図に周囲にいた八束小脛(やつかこはぎ)が頼義たちに殺到する。金平は本能的に八束小脛ではなく、羊太夫本人に向かって殴りつけた。本気で殺す気で打ちかかった金平の拳は直前で小脛の一人に防がれた。だがその隙を突いて光圀(みつくに)が頼義の手を引っ張り庭先に転がり出す。囲みから抜け出すことには成功したものの、柵を背にして未だ追い詰められた状況であることに変わりはなかった。


頼義は安綱(やすつな)の懐剣を抜いて逆手に構える。光圀は無手だ。光圀の太刀も金平の剣鉾も馬の鞍に引っ掛けたままにしてあり手元に無い。金平は小脛たちに二、三度斬りつけられ浅手を負ったが、力任せに小脛の一人を掴んで投げ飛ばし、羊太夫を守るために生じた囲みの隙間を突破して頼義たちの元に合流する。



「小次郎……いや、忠常(ただつね)え!!」



光圀が小次郎に向かって憎悪の目を向けて吠える。



「お、()()()の忠常に会うたか?どうだ、()はなかなかに美形であったろう?」



小次郎は愉快そうにそう語る。その額には光圀がつけたはずの刀傷が無い。やはりこの目の前にいる男は先日相馬御厨(そうまみくりや)で会見した平忠常本人なのか?



「ああ、額の傷が気になるか?光圀よ、お前の大層な腕前のおかげで()()()()()()()()()()()ぞ。まったく、げに恐るべきはその抜刀術よなあ」



何を言っている?頼義たちには小次郎の言葉の意味がよくわからない。



「実に惜しい。俺としてはお前もそこの源氏のガキも殺すにはもったいない器量と高く買ってやっていたのだがな。まあ『羊』との約定もある。小脛どもを借り受けている以上はジジイの望みもちゃんと叶えてやらんとなあ」



小次郎が皮肉な顔で残念がると、片手を高く掲げる。すると空を舞っていた(とび)が数羽急降下して地上へ舞い降りて来た。と思うや否や、鳶たちはクルリと背を丸めると脇から鳶色の羽毛を伸ばした八束小脛に変身した。



「な、何だこいつら!?こんなことまでできるのか!?」



あっという間に敵勢がが増えたのを見て金平が驚愕する。そう言っている間にも空から鳶は次々と舞い降りて八束小脛に姿を変える。気が付けば庭は小脛たちで埋めつくされ、頼義たちは高い柵を背に張り付いたまま絶体絶命の危機に陥っていた。



「さて、良いのか羊太夫、このまま(なます)切りにしてやって。自分の手で親族の仇を打たせてやってもいいぞ?」



小次郎が奥の間でただ見ているだけの羊太夫に聞く。



「無用。ひと思いに殺すが良い」



老人はうつむいたままそれだけ言った。



「ふん、あくまでも自分の手は汚さぬか。その名の如く羊のような軟弱さよ。まあいい」



小次郎が再び頼義たちに目をやる。上空を飛んでいた最後の一羽が舞い降りて来る。



「やれ」



その言葉と同時に八束小脛が殺到する。金平と光圀は覚悟を決めて頼義の盾となるため前に乗り出す。その二人の足元に


ガチャリと音を立てて光圀の太刀と金平の剣鉾(けんほこ)が落ちて来た。



「!?」



一瞬二人は何が起こったのかわからなかった。だが次の瞬間には二人は武士(もののふ)の本能で各々の愛刀を手に掴み、迫り来る敵に向かって抜き放った。


血飛沫を上げて先頭の小脛が吹き飛ぶ。絶対的有利な状況にあったはずの自分たちが思わぬ反撃に会ったことで足を止めた小脛たちは、金平の横薙ぎに押されてさらに一歩二歩と後ろに引き下がった。



「ああ?」



千葉小次郎が怪訝(けげん)な顔をして空を見上げる。上空には一羽だけ取り残された鳶が弧を描いて飛んでいる。



「なんだあ?いつの間にやら鼠が一匹空飛んで紛れ込んでおったか。小賢しい。おい!」



小次郎が号令すると、そばにいた八束小脛の数名が再び鳶の姿に変身して上空の鳶を追撃しに舞い上がった。まさか、あの鳶が自分たちの武器を届けてくれたと言うのか?金平も光圀も予想外の「援軍」に戸惑いつつも、辛うじて見いだしたわずかな勝機を必死になって手繰り寄せようと奮闘する。


しかし、三人は壁に追い詰められたままの圧倒的不利であることに未だ変わりはなかった。



「金平、厩舎(うまや)までの道筋は覚えているか?」


「ああん?何言ってやがんだこんな時に」


「俺が逃げ道を作る。お前は姫若どのをお連れして何とかして厩舎まで辿りつけ。後は任せた」



そう言うや否や、光圀は背後の庭柵に斬りつける。柵の横木が一刀の元に両断され、孤立した立木を光圀が蹴り飛ばして人が通れる幅を作る。



「行け!!」


「光圀どの!?」


「良いから行かれよ!!我が仇敵千葉小次郎、いや将門の怨霊よ、逃しはせん、ここで決着(ケリ)を着ける!!」



足で蹴るようにして二人を隙間へ押し込んで外へ追い出すと、光圀は周囲の八束小脛には目もくれず一直線に千葉小次郎に向かって突撃する。



「光圀どの!!」


「行け!!」



小次郎を守らんと八束小脛たちが光圀を斬りつける。見る間に光圀の全身が(あけ)(あけ)に染まっていく。それでも光圀は止まらない。


金平は意を決して頼義を担ぎ上げて厩舎に向かって疾走する。



「だめ、金平、光圀どのが……!」


「うるせえ!舌噛むから黙ってろ!!アイツの覚悟を無駄にすんな!!」


「そんな、そんな……!!」



金平は暴れる頼義を力づくで押さえつけながら隣りの棟にある厩舎まで駆け込み、休ませていた乗り馬の引き綱を剣鉾で叩き斬るとそのままの勢いで馬に乗り上げ駆け出した。途中行く手を塞ぐ小脛の連中を何人か踏み倒しながら、二人を乗せた馬は羊太夫の屋敷を背に飛び出して行く。



「ただ、つねえええええええ!!!!」



血まみれの光圀が千葉小次郎目掛けて剣を振るう。その手が、肩が、全身が(かぎ)のついた鎖によって絡め取られる。小次郎の喉元まであと一歩という所で光圀は完全にその動きを封じられてしまった。



「ふん、呆れた猪武者よ。だからお前はダメなのだ。何の支度も仕掛けも考えずにただ突っ込むだけ。方便にへつらう事も根回しもできずにただただ正論を押し付けるだけ。だからお前は出世もできずにこのような所で朽ち果てる。まったく、要領の悪い不器用者よなあ、お前は昔から」



小馬鹿にするように小次郎が光圀の頬をペチペチと叩く。後ろ手に回された両腕を光圀は何とか動かそうと足掻く。それでも刀を手放さずにいるのがやっとでそれ以上は動かしようがなかった。



「そうそう、お前の女房なあ。あれは、そうだなあ、実に……()()()()()()



その一言で光圀の中から全ての理性が吹き飛んだ。彼は最後の力を振り絞り、右手に握った太刀で自らの左手首を力任せにねじり斬った。気を失いかねん激痛と引き換えに半身だけ僅かに自由になった光圀は手首を失った左腕で小次郎の首を抱え込み


その頸動脈を渾身の力を込めて噛みちぎった。

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