総州利根川路・頼義、上州に向かうの事
「お父上を殺され、その上嫁御どのを拐かされた……と?」
「…………」
「おいおい本当かよ!?そうしたらあの野郎はマジもんの『お尋ね者』って事じゃあねえか!?」
「拙者も俄かには信じがたかった。それまでは拙者も他の者たちと同じように、彼奴のことを平凡な気のいい友人としか思っておりませなんだ。そも、我が妻は将門公の弟君であらせられる相馬五郎将為公の曾孫に当たり、忠常にとっては遠縁にあたる者。妻との馴れ初めも忠常を介してのものでござった」
「その忠常が奥方に懸想していらぬ手出しをしたと……」
「ん?将門の弟の曾孫って事は、忠常の野郎は確か母方の祖父様が将門だったよな?つまりあいつは自分のいとこの娘に横恋慕したって事かよ?」
金平があけすけに問い質す。光圀は苦虫を噛み潰したような渋面を作って小さくうなづく。
「ケッ、生っちょろい文官野郎みてえな見てくれしてやがるくせに、中身は盛りのついたケダモノって事かよ胸糞悪い。そういや女好きそうな下品な面してやがったぜ」
ここぞとばかりに金平は忠常の事をボロクソに言う。先の頼義とのやりとりを側で聞いていて、よほど面白くなかったものらしい。
「お父上を殺した下手人が忠常どのであるとういのは真実で?」
「真実も何も、父は拙者の目の前であやつに斬り殺されました」
「…………!」
「……拙者が国衙での所用を済ませ帰宅した所、まさに妻を抱えて悠々と正門から出でくる忠常と居合わせ申した。その足元にはすでに一刀を受けて息も絶え絶えの父が横たわっていた」
光圀は淡々と当時の様子を語り始める。
「『よお光圀、今日はあいにくの雨だったなあ』と、まるで日頃の挨拶をするかのような口ぶりで、やつはそのまま足元の父の喉笛を踏みつけた。元々病を患い弱り果てていた父はその一撃であっけなく死んだ。拙者は一瞬事の次第がわからなくなって棒立ちになってしまったが、本能的に忠常に抜き打ちの一刀を浴びせており申した」
文字通りの電光石火の光圀の抜き打ちである。並の者なら瞬きをするまもなく胴を両断されているだろう。
「その拙者の太刀より早く忠常は斬り返した。片手に妻を抱き上げたまま、片手一刀でな」
「マジか!?アンタの抜き打ちより後手で抜いて、それでアンタより早く斬っただと!?しかも片手で!?」
信じられぬという金平の顔を見て、光圀は自分の襟合わせをはだける。そこには肩から胸下まで袈裟懸けに走った古い傷痕が痛々しく刻まれていた。
金平は息を飲んだ。光圀の剣の腕は自分の知る限り古今無双と言っていい。あの碓井貞景をしてようやく「五分」というのが金平の見立てだった。自分がこの男と対決することになるとしたら、たとえ負けぬにしても、決して五体満足ではいられないだろう。その男に対してそこまでの実力差をあの男が持ち得ているとは……!
「思うに、あれが『千葉小次郎』であったのでござろう。あれが忠常の本性なのか、あるいは……」
「忠常と同じ顔をした別人……と?」
「……結局、拙者にはその辺りは見抜けませなんだ。以来、拙者はずっと逐電した忠常と妻の行方を追っておりました。次に彼奴の噂を聞いたのは、上総介にまで登り詰めて一国の権力を掌握したという話だった……」
「…………」
「妻の行方は以前知れませぬ。聞けば今奴が侍らせている愛人は妻とは違う名であるとのこと、すでに打ち捨てられたか、あるいは……」
「なるほど、仔細あい承りました。辛いお話をさせてしまって申し訳ござりませぬ」
「…………」
「光圀どの、そのお話を踏まえて、あえてお頼み申す。この頼義、忠常どのはこのまま看過するわけには参らぬ『仇敵』と認じております。かの者の人品はどうあれ、かような横暴を見過ごしてはこの坂東の将来にもなりませぬ。どうか我が軍下に収まり、忠常誅略のためにお力をお貸しくださりませ」
「……拙者に『鬼狩り』になれと?」
「……千葉小次郎の放つ鬼気はまさしく『鬼』のそれでございます。このままでは坂東は鬼の支配する魔境となりましょう、どうか……」
「……おそれながら、拙者には武士として主君に使えるという大義がござる。上野まではご案内いたし申す、が、その後は拙者は別行動にて忠常を追いまする、御免」
「……そうですか、では仕方ありません、上野までの道中案内、よろしくお願いいたします」
頼義が頭を下げる。光圀も深々と頭を下げてプイとそのまま先行していく。その後を追いながら金平が頼義に言うでも無しに呟いた。
「わからねえなあ、そんなに俺たちの仲間扱いされるのが嫌かねえ。なんというか、疎外感?」
「お前の言ってる事の方がわからないですよ、もう。『鬼狩り』はどちらかと言えば日陰のお役目、表立って表彰されるようなものでもありません。それを嫌がる人だっているでしょう」
「ケッ、結局は人に褒めそやされたいってか。案外俗物だな」
「もう、またそうやって悪態をつくんだから……光圀どのの場合、本人の望みというより、そうしなければならないという『使命感』みたいな必死さを感じます。光圀どのには光圀どののご事情があるのでしょう」
「ふーん」
金平は先を行く光圀の馬を眺めながら長い顎をしゃくってさするいつもの癖をする。またぞろ得意でもない考え事にふけっているらしい。その気配を察して頼義はクスリと笑みを浮かべる。口では光圀に対して散々に悪態をつく彼だったが、その実心底あの剣の腕を買っていて、ぜひとも仲間として加わって欲しいと望んでいるのがありありと見える。
利根川を遡って二頭の馬が進む。上空には彼らを見守るように一匹の鳶が弧を描いて飛び、ひょろろろ、と唄うようにひと鳴きした。
その鳶がどこかへ向かって急降下する。鳶は地上すれすれで翼を広げて落下速度を殺すと、軽くひと舞いしてから何者かの左腕にふわりと着陸した。