総州手下浦源頼信陣幕・頼義、上州に向かうの事
結局、平忠常と頼信率いる追捕使軍との会見は何の諍いも起こる事なく円満に終了した。これで公式上は忠常は「上総介」の役職を返上して一浪人として隠遁する事になる。坂東海域で続いていた海賊行為もこれで収まる事になるのだろう。
忠常の一行は頼信や調停士たちに見送られながら悠々と輿に乗って帰って行く。その足を止める大義名分も頼義たちにはなかった。
「……くそっ、敵の大将を目の前にしてみすみす見逃すとは腹立たしいな」
金平が列外から忠常たちの行列を眺めて毒づいた。
「金平、まだ忠常どのが『千葉小次郎』であるという確証があるわけではありませんよ」
頼義は忠常たちの行く先には見向きもせずにまだ考え事をしていた。
「どう見たってあの野郎が小次郎に決まってんじゃねえかよう。どんな小細工かましてんのか知らねえが、絶対化けの皮を剥がしてやる。追っかけるんだろ、後を?」
金平は息巻いているが、頼義は次に打つべき手をどうするべきかまだ思案の途中だった。
「金平はどう思いますか。忠常どのは間違いなくあの『千葉小次郎』であると?」
「あったりめえだ。確かにあの野郎とは雰囲気はどうも違う。どう見ても女好きのボンクラ貴族にしか見えねえがあの顔は野郎のに間違いはねえ、直接相対した俺にはわかる。理屈じゃあねえ」
金平は自信満々だがまるで根拠が無い。
「なんだよ、まだうじうじ考え込んでやがんのか?こんなのはなあ、とりあえず一発ぶちかまして、それから後の事を考えりゃあいいんだ」
「物騒な事言うなあ。それで忠常どのをぶちかまして、その後別に千葉小次郎が現れたらどうするのですか」
「簡単だ、そいつもぶちかましてやりゃあいい」
「うわああ、お前に相談した私がバカだった」
「なんだとこのガキんちょ!!」
「ガキんちょ言うなデカちん!!」
「デカちん言うな!」
「ガキんちょ言うな!」
大の大人二人がなんともレベルの低いところで言い争いを始める。
「いえ、その案に賛成ですな、姫若」
なんの前触れもなく大宅太郎光圀が二人の間に割って入る。
「うわああああああ」
金平と頼義は二人して声を上げる。
「いきなり入ってくんなよおっさん!たださえおっさん影が薄いんだからよう!!」
「おっさん……」
そう言われて地味に傷ついたらしい光圀は、大真面目に自分の顔を手でさすりながら悩み始める。
「み、光圀どの、賛成とはいったい……」
頼義が気を取り直して光圀に聞く。
「……忠常を討つ。これこそがこの坂東で起こっている騒動を収める最良の手です。否、忠常を討たぬ限りこの坂東に平和は訪れない」
光圀は断言した。
「では、光圀どのはやはりあの忠常どのが『千葉小次郎』であると?」
「然り。先日豊島駅で出会った千葉小次郎こそ平忠常、そして今我らが目にした平忠常こそ千葉小次郎」
「根拠は、確たる証拠があるのですか」
「ありませぬ。ですがこれは長年朋輩として同じ職場で顔を合わせた者としての直感でござる。理屈ではござらん」
「そうですか、光圀どのがそうまで言われるのであれば、やはりそうなのか……」
「おいまて、俺と同じ事言ってるのになんだこの扱いの差は!?」
金平が何か吠えているが頼義は無視して
「では光圀どのもこのまま忠常どのの後を追って彼を討伐せよと?」
「拙者としては今すぐにでもそうしたい所でござるが、じつは大殿に『鉄妙見』の存在をお話し申し上げました」
「父上に?そしてなんと?」
「驚いた事に、頼信様はあの『鉄妙見』の事をすでにご存知でおいででした。なんでも、やはり昔あの鉄鋳仏を巡って上野国と武蔵国の秩父郡との間で小競り合いがあったのだとか。その際に碓井定光様より仔細を聞いていたご様子で」
なるほど、確か鎌倉で平忠通卿より「鉄妙見」の由縁を聞いた時、あの鉄鋳仏が上野の七星山息災寺からあちこちと場所を移して最終的に鎌倉に落ち着いたと説明していた。その中に「秩父」と言う地名も耳にした覚えがある。とするとそこでも「鉄妙見」の所有を巡って争いがあったと見える。
金を生む仏像……将門公の隠し財宝の在処が示されていると言う伝説、まさか本当なのだろうか?
「実はその件について、大殿よりとある密命を仰せつかってございます」
「密命?」
「はっ。これより頼義様を伴い急ぎ上野国へ戻り、多胡郡の『羊太夫』なる人物を訪ねよ。との事」
「ひつじ……太夫?何者ですか?」
「詳しくは存じませぬが、多胡郡という地は古来より土着した渡来人たちの住まう領域でござります。さすれば大陸から渡ってきた部族の長の一人かと。大殿が言うには、その『羊太夫』こそが『鉄妙見』を作り、最初の所有者となった者なのだそうです」
「鉄妙見を……作った!?」
「はっ、その者にあの鉄鋳仏についての秘密を聞けば、忠常の勢いを止める手立ても見つかるやも知れませぬ」
「父上は、これからいかがされると?」
「大殿はこのまま常陸国の茨城にある国庁へ赴き、国司としての任務の引き継ぎを終え次第再び軍備を整えて下総からの進軍に備える由にござりまする」
「!?では父上は初めから忠常どのと対決するおつもりで?」
「然り。恐れながら、大殿におかれましては、家人時代から忠常の事を信用しておりませなんだ。家中においても、忠常の本性について見抜いておったのは拙者と大殿のみでござった」
「なんでえそりゃあ!?それじゃあ大殿は最初から相手を『敵』と認識してながらあんなに友好的な態度を取ってやがったのかよ!?うちの殿さんをダシに使ってまで。朝廷から派遣された代理人が目の前にいたからとはいえ、とんだ狸親父だな」
金平は呆れて口をあんぐりさせる。頼義も父の韜晦ぶりに呆れつつも、中央において権謀術数の中を泳ぎ切るにはそれ相応のしたたかさを身につけなければ生き残れないのだという事をつくづく思い知らされた。
「当家に伺候していた頃の忠常どのは、とりたてて目立つ所のないお方だった印象がありますが、父と貴方にはそのようには映っていなかったと?」
「は……」
「その……これをお尋ねするのはいささか憚られる所があるのですが、光圀どのは忠常どのと何かご遺恨が……?」
「……はい」
「差し支えなくば、いかような……?」
「…………あの者は、拙者の父を殺し、我が妻を攫っていった仇敵でござります」