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総州手下浦源頼信陣幕・頼義、忠常と相対するの事

「そん、な……!!」



金平は思わず身を乗り出して声に出してしまう。頼義が慌てて手を引いて金平を引き戻す。幸い周囲には怪しまれなかったが、金平はそれでも目を大きく見開いたまま、頭の被り物を外した平忠常(たいらのただつね)を凝視していた。



目の前にいる「平忠常」と名乗る男は間違いなくあの「千葉小次郎(ちばのこじろう)」とそっくり同じ顔をしていた。なのに、その額、先だって邂逅した折に大宅光圀(おおやけのみつくに)が抜き打ちの一刀で傷を追わせた額には


一筋ほどの傷跡も無かった。



「…………!?」



頼信のそばで同じく忠常の傷跡を確かめようとしていた光圀も、同じく黙ったまま目を見開いて驚愕していた。



「ああ、やはりこうして余計なものを被らないでいるのは良いものですな。この寒空とはいえこの様なものを延々と被り続けていては頭が蒸れて烏帽子(えぼし)の内側が半蔀(はじとみ)の露のようになってしまう」



忠常の軽口に一同がドッと笑う。頼義と金平、光圀、そして頼信だけがニコリともせずに忠恒の額に視線を集中していた。


やがて酒器と膳が運び込まれ、酒宴の支度が整った。警護の者たちはは退出し、それに合わせて頼義たちも一旦退がる。二人はすぐさま鎧を脱ぎ捨て、何気ない顔で酒宴の席にまた紛れ込んだ。肝心の調停の場には姿を現さず、酒の席になった途端顔を出す源氏の跡取りを見て、宴席にいた者たちは


(とんだ(ほう)け者よ……)


とさぞ侮った事であろう。そんな周囲の視線を気にも止めず、頼義はしれっと父の隣に座った。



「どういう事だ、忠常どのの額には傷などないが」


「ありませぬな」


「ではそなたたちの思い違いであったか」


「いえ、あの人物は紛れも無く『千葉小次郎』本人。声も容貌も到底別人とは思えませぬ」


「ではこれはいかがなことか」


「わかりませぬ……」


「ふむ……」



二人は目を合わせることもなくお互い独り言の様に小声でやり取りをしている。後ろに控える金平は一挙手一投足逃すこと無く忠常を目で追っている。その姿、その声やはりどう見てもあの「千葉小次郎」である事は間違いない。額の傷があった場所も化粧でごましたという様なこともなく、全くの無傷である。



(わからん……こりゃあ一体どいうことだ……!?)



頼義も膳のものに手もつけずに考え込んでいる。声を聞く限りでは間違いはない、忠常は千葉小次郎本人だ。だが二人が「同一人物」であるという事にやはりどこか「違和感」がある。その「違和感」がどこから来るものなのか、それが頼義にはわからなかった。


そうこうしているうちに、挨拶回りをしていた忠常が頼義たちの前にやってきた。



「お久しゅうござる『すゞ子』様……あ、いや今は『頼義』どのでござるか。これは失礼。しかし異なものですな、あの様に可愛らしい姫君であったお方が、かようなご立派なご惣領(そうりょう)となられるとは……いえ、神功皇后(じんぐうこうごう)ほか女性の帝も歴代に多くおわします。武家の棟梁(とうりょう)女人(にょにん)がいてなんの不都合がござりましょう。聞けば頼義どのは大層な弓の名手であるとか。私なぞは十間も矢を飛ばせぬ非力で、武家の一門としてはお恥ずかしい限りでござる」



事さらに「姫」だの「女」だのと強調する物言いが金平には鼻についたが、本人は決して悪意あってそう言っているつもりもないらしく、殊更に頼義の女性としての美しさを褒めそやす。



(なるほど、()()()()()という事なのか……)



要するに単なる女好きであると、金平は勝手に結論づけた。そういえばここに来るまでの忠常の人となりとして「政務にもさほど精を出すでもなく、始終愛人の()()()()いう姫の元に足繁く通っている」みたいな事も聞いていた。顔は瓜二つだが、千葉小次郎のような精悍さも血煙が匂い立つ様な殺気も感じられない。何よりこの男からは


鬼の気配がしなかった。



(読めねえ……何なんだコイツ。本当に別人なのか……?)



金平の中でも迷いが生じた。見た目は間違いなく同一人物だ。しかしその人なりを観察するに、どうしてもあの「千葉小次郎」と像が重ならない。金平にはこれ以上の判断はもうつきかねていた。



「……ところで忠常様、大宅光圀どのとはもうお会いになられましたか?なんでも父の従者であった頃よりのご親友であられたとか」



さりげなく頼義が大宅光圀の話題を降り出す。親友だったかどうかは知らないがこの二人の間にはなにがしかの「因縁」めいたものがあるに違いない、と頼義も金平も光圀の忠常に対する言い草から察していた。人間よほどの遺恨でもなければあれほど他人に対して辛辣な言葉で評したりはするまい。その様な人物の名前を出せば、何らかの反応を引き出せるだろうというのが頼義の狙いだった。



「ほう、光圀がおるのですか!?それは嬉しい。私と光圀は同じ歳で常陸介(ひたちのすけ)様にお仕え申しておりましてな、京に上り立ててで知人のいない当時の私の良き朋輩(ほうばい)でありました。彼もこの場に来ておるのですか?」



心底嬉しそうにそう語る忠常は周囲を見回す。そういえば宴席が始まってから彼の姿はまた()()()と見えなくなっていた。



「光圀どのとは昵懇(じっこん)の間柄だったそうで。二人してよく悪さもしたとか」



頼義がにこやかに話を盛る。


(そんな話いつの間に光圀から聞いたんだよお前……)


と金平は心の中で突っ込んだ。



「ははは、若気の至りというやつです。色々無茶もしました、お恥ずかしい限りです、よく近所の木から果物を盗んでは二人で食したりしていたものです」


「まあ、それは。柿とか無花果(いちじく)とか?」


「ええ」


「それと……『鉄妙見(くろがねみょうけん)』とか?」



唐突に核心をぶち込んできた頼義の奇襲に、忠常の笑顔が一瞬固まった様に見えた。

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