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総州手下浦源頼信陣幕・平忠常、被り物を脱ぐの事

静かに物音一つ立てずに入場してきた上総介(かずさのすけ)平忠常(たいらのただつね)正絹(しょうけん)狩衣(かりぎぬ)(きら)びやかに輝かせながら柔和な笑顔で追捕(ついぶ)将軍源頼信(みなもとのよりのぶ)に向かって(うやうや)しく挨拶をする。


「お久しゅうござりまする上野介(かみつけのすけ)様。再びお目にかかれてこの忠常、恐悦至極にござります」


「ご挨拶痛み入る忠常どの。貴公の目覚ましいご活躍ぶりは京の都にまで聞き及んでおりますぞ。旧知の者としては鼻の高い心持ちでござる」


「これもみな若輩の折に上野介様のご薫陶をいただいたおかげでござります。此度は私めの不徳のためにご足労をおかけいたしまして、まことにかたじけのうござります。仇敵は御仏のご加護も相まって無事にその首級(みしるし)を上げることができ申した。後は天下の沙汰(さた)を待つのみにござりまする。どうか上野介様、この忠常の身、如何様(いかよう)にもご処断下さりませ」



そう言って深々と頭を下げる。その声、その顔、間違いなく先日「千葉小次郎(ちばのこじろう)」と名乗った八束小脛(やつかこはぎ)の頭目に相違なかった。坂東八洲を武力でもって制圧し、奥羽と結んで一大王国を作り上げるとうそぶいた夷狄(いてき)の棟梁が、大胆不敵にも我らの眼前で平然と言葉を交わしている。


金平は忠常の姿を凝視する。光圀もまた獲物を追う猟犬のように目をすぼめて様子を伺う。衣冠束帯姿の忠常は頭に太巻きの烏帽子(えぼし)を被っている。眉にかかるほどやや不自然に目深に被ったその縁取りは額を完全に隠しており、忠常が「千葉小次郎」たる証拠である額の傷を確かめることができない。二人が焦る中、引き渡しの儀式は淡々と進められていく。



「では、こちらが常州、および上総下総(しもふさ)両国の国璽(こくじ)大蔵(おおくら)の鍵となります。調停士どの、お確かめ下さいませ」



忠常に促されて調停士の男が勿体(もったい)ぶってそれぞれを鑑定する。



「確かに。いずれも偽りなく常陸国、上総下総両国の印鑰(いんやく)である事はこの藤原典行(ふじわらのすけゆき)が保証いたそう。では頼信どの、常州の印鑰はそなたにお預け申す。これによりそなたは晴れて『常陸介(ひたちのすけ)』と相成った。以後も変わらず忠勤に励む事を期待いたしますぞ」


「勿体無いお言葉、恐懼(きょうく)の限りにござりまする。この頼信、常陸介として帝の御名を汚さぬよう、一層の忠勤をあい努めまする」


「うむ。では此度の印鑰引き渡しの儀、事つつがなく終了せし事をここに宣言いたす。双方これにて、以降は互いに相克(そうこく)無きよう、共に相和(あいわ)して帝に忠誠を尽くすが良い」



金平たちはなんら手を講じる事も叶わず。儀式は終了してしまった。



「調停士様におかれましては遠路はるばるのご足労、誠に恐れ入りまする。これなるはせめてもの路銀の足しに、どうかお納めくださいませ」



そう言って忠常は従者に目配せをする。従者が持ってきたのは一抱えもあるほどの袱紗(ふくさ)に包まれた何かの塊だった。錦の敷かれた小机の上にそれを置き、結び目を解いてそれを広げる。



「お……おおおおっ!!」



そこにいた一同が皆同じように目を見開いて驚きの声をあげた。袱紗の中から出てきたのは(まばゆ)いばかりの黄金の延べ板だった。それが幾重にも積み重なり、金色の塊となって見る者の目を焼き付けている。それだけでも驚きだが、忠常は反物、刀剣、金器銀器と次々に貢物を調停士の前に並べ立てる。これらを全てこの官人一人に差し出すというのか。調停士の男は()()()を垂らさんばかりに鼻の下を伸ばし、目を輝かせている。


そんな姿の調停士を見て金平は呆れかえると同時に、交渉ごとが全て終わってからこういった献納物を見せびらかす忠常の、機微(きび)を捉える巧さに敵ながら感心してしまう。もちろん交渉前にこれらを差し出せば「賄賂(まいない)」として非難の的にもなろう。それを後から出す事でそのような意図は無いという事のアピールにもなり、同時に今後この者を通じて宮中においても忠常の莫大な財力が喧伝(けんでん)される事となるだろう。しかし、忠常にこれほどの財力があろうとは……



(やはり『鉄妙見(くろがねみょうけん)』の魔力……という事なのか?)



鎌倉で平忠通(たいらのただみち)卿が語っていた、金を生み出す菩薩像の事を思い出す。にわかには信じ難かったが、今こうして彼の莫大な資金力を目の当たりにすると、その話も(あなが)ち間違いでは無いのでは……?という疑心にかられる。



「頼信様におかれましても、僭越(せんえつ)ながらここ相馬の地で育てた駿馬(しゅんめ)五頭を常陸介様名義で内裏(だいり)に奉納してございます。これもぜひ頼信様のお手柄にして下さりませ」


「これは、ご厚意かたじけのうござる」



頼信はホクホク顔の調停士とは対照的に冷めた表情で返礼する。



「では上野……いえ、これよりは常陸介様、私めはこのまま下総に戻り隠遁生活に入ることといたします。どうか末長くご栄花賜りますよう……」


「あいや待たれよ忠常どの」



頼信が退出しようとする忠常を呼び止める。



「折角の折じゃ。このまま久闊(きゅうかつ)(じょ)する事も叶わず別れてしまうのもまた(せん)なきこと。ささやかながら祝宴の席も用意してござる。ここは頼信と一献、お付き合いくだされ。まずは堅苦しい衣装など脱いで」



そう言って頼信は自らの烏帽子を外し、(まげ)を結った鬢髪(びんはつ)をさらした。


金平と光圀は思わず目を見開いて互いに目を合わせた。光圀は無意識のうちにだったが、そこで初めて金平と頼義が護衛の兵に変装して潜入していることに気がついたようだ。



(こいつはありがたい……どうしたもんか手をこまねいていたが、大殿のおかげでどうやらじっくり検分できる事ができそうだ)



金平が小声で隣の頼義に(ささや)く。頼義の耳には忠常の声は紛れも無く「千葉小次郎」と同一人物のそれに聞こえていた。だが、それでもまだどこか奇妙な「違和感」を覚えていた彼女は、いよいよ額の傷の状態が確かめられる機会に恵まれた事に安堵した。「声」に関しては間違いない、では最大の証拠である額の傷は……?



「は……さて、私は酒を(たしな)みませぬゆえ……」



頼信に促された忠常は少しためらうような仕草を見せた。応えるべきか拒否するべきか思わず後ろの従者たちに意見を求めるが、従者の者たちもどう答えるものやら判断がつきかねて、そのまま主人の判断に任せる。



「おおそれは祝着(しゅうちゃく)、では私も失礼して」



能天気な調停士は頼信の言葉に乗っかって早々と頭の烏帽子を脱ぎ捨てた。大役に緊張続きだったのか、頭髪からはこの寒い中ダラダラと汗が流れている。どうやら一刻も早く被り物を脱いで楽になりたかったものらしい。それを見て立会いの貴族たちも場の空気がほぐれたものと見たのか次々と被り物を外し、楽な格好になっていった。一人残された忠常に



「ささ、忠常どのもお楽になされよ」



と、調停士はこちらから頼んでもいないのに忠常に被り物を外すように促す。


仕方ない、という風にため息をつきながら、忠常は烏帽子を外した。

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