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総州手下浦源頼信陣幕・上総介忠常、姿を現わすの事

「そなたの申し出、あいわかった。(しか)れども忠常(ただつね)どのはすでにこの地に赴いておられる。またそなた一人の言上(ごんじょう)にて確たる証拠も無しに無闇に兵を動かすわけにも参らぬ。京より遠路ここまでおいで下さった調停士の方々の(おもて)も立たなかろう。そなたの言葉は胸に納めておく。が、会談は予定通り実行するものとする」



頼信(よりのぶ)の宣言を聞いて調停士の官人も周囲の武者たちもホッと胸をなでおろした。「息子」可愛さに軽々しく公式の儀典を(ないがし)ろにするような人物ではなかったらしいという安堵が調停士の顔にありありと浮かんで見えた。



「父上!」


「くどい、下がれ。会談の場にはそなたは臨席せずとも良い。陣幕の外で哨戒(しょうかい)に当たれ。そなたの言うように『敵襲』に会っては一大事であるからな」



頼信の言い草に周囲が頼義に対しクスクスと冷笑を浴びせる。金平は激昂し膝を上げようとするが、それを頼義の手で押さえられる。頼義は唇が青くなるほどに固く噛み締めながら



「……かしこまりました。出過ぎた件ご寛恕(かんじょ)下さいませ。これより周囲の警戒に参ります」



頼義はそれだけいってスッと立ち上がる。金平に手を引かれて陣幕を去る彼女に、調停士たちが冷ややかな視線を送る。



「いやはや、上野介(かみつけのすけ)どのにおかれましては、さぞ気苦労の多い事でござりましょうなあ、はっはっは。おや丁度良い刻限じゃ、上総介(かずさのすけ)どのをお迎えする支度を急ぎやれ」



俄かに忙しさで騒がしくなる陣幕を背にして頼義と金平は立ち去って行った。気がつけば大宅光圀(おおやけのみつくに)の姿が無い。最も彼は父頼信の従者である。主人の元に戻れば主人の意に従うのは当然の事だ。それでも



「クソッタレがあ!!!」



金平が怒りに任せてそばに置いてあった水桶を蹴飛ばす。馬鹿力の彼である、哀れ蹴り飛ばされた水桶は只の一撃で金輪の(たが)がひしゃげ、立板もバラバラになって四方へ水飛沫と共に勢い良く飛び散った。



「何なんだよ大殿のあの態度は!?曲がりなりにも公の場でテメエの子供(ガキ)に恥かかせるような物言いしやがって!!光圀のおっさんもこっちの味方してくれりゃあいいのに一言も言わずにアッサリご主人様の元に戻りやがって犬かあのヤローは、あーもう、ぐああああああああ!!!」



さして年回りの離れているわけでもない光圀を「おっさん」呼ばわりする金平は、それでも怒りが収まらないのか、獣のような咆哮(ほうこう)を上げて頼信と光圀を罵倒する。肩を怒らせ、全身から寒空に向かって()()()()()()と湯気を立てる姿に、近くに繋がれていた軍馬が恐れをなして次々に(いなな)いた。



「オメーも何であそこで言い返さねえんだよ!?あんなお歯黒臭え裏成り瓢箪(ビョータン)みてえなクソ貴族に嫌味ったらしい事言われてよお!!」


「控えなさい金平。皆の前ですよ。これ以上私に恥の上塗りをさせないで下さい」



静かに頼義は金平を咎める。そう言われては金平も口をつぐむ他ない。それでも金平はやはり怒りが収まらず顳顬(こめかみ)にピクピクと青筋を走らせている。



「金平」


「ああん?」



頼義の呼びかけにも不機嫌に答える。



「……ありがとう、私のために怒ってくれて」



それだけ言って彼女は手を引く金平の大きな手のひらをきゅっと強く握り返す。金平もその言葉と彼女の手の温もりのおかげで、ようやく心を落ち着かせることができた。



「……で、どうすんだいこれから?まさか律儀にお言いつけ通り周囲の警戒にでも当たるつもりじゃあんめえ?」


「そうですね……我々は千葉小次郎(ちばのこじろう)たち八束小脛(やつかこはぎ)一党が父上の所領を含む坂東全域を簒奪(さんだつ)せんと企んでいるのを知っている」


「おう」


「その千葉小次郎が上総介忠常本人である事も知っている」


「そうだな」


「その忠常が今これから父上と会見しようとしている。さて金平、この場を警戒するに当たって、最も危険と思われる場所はどこだと思いますか?」


「そりゃあ聞かれるまでもねえわな。大殿の所だ」


「でしょ?ならば我々のやるべきことなんて一つしかないじゃないですか」



そう言って頼義は莞爾(にこり)と笑う。彼女の意図を察して金平も同じように大きな口をめいいっぱい横に広げてニヤリと笑った。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




直前まで下準備のための喧騒に覆われていた陣幕だったが、「上総介様御一行おなりぃ」という号令が響くと一斉にピタリと騒ぎも押し静まり、厳粛(げんしゅく)な空気が辺りを支配し始めた。


調停士の男は衣冠束帯の正装で毛氈(もうせん)の敷かれた陣幕の中央でコホンと小さく咳払いをして緊張を和らげようとする。迎える頼信も衣冠束帯姿であるが、陣幕の四方に張り付くように立っている警護の者たちは兜を被り甲冑を着込んでいる。最もこれは不測の事態を警戒しての設えであるがあくまで儀式的なものであり、武器武装の(たぐい)は一切身につけていなかった。


彼らは一言も口をきかず静かに会見の場を警護している。みな揃いの甲冑を身にまとっているが、その中に随分と背の高い者と、反対に極端に背の低い武者姿の人物がまじっていた。


頼信はその者たちにそっと視線を送る。兜を目深にかぶった頼義は、兜の()()()越しからも今父と目が合った事を感じた。しかし頼信は(とが)め立てもせず、そのまま視線を元に戻した。その脇には先ほど何も言わずに別れた大宅光圀が控えている。


密かに警護の者の装備一式を手に入れた頼義と金平は(それをどのようにして入手したかはあえて語るまい)、警護団に身をやつしてまんまと陣幕の中に侵入することに成功した。この位置からならば忠常の声も面相も判別できるし、いざという時には父を守るために踏み込む事も可能だ。二人は息を飲んで忠常の登場を待つ。


頼信と相対する方面の陣幕が開く。その奥から同じく衣冠束帯姿の上総介忠常が従者を引き連れて入場してきた。

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