武州豊島駅〜総州相馬郡手下浦・千葉小次郎平忠常、野望を語るの事
「忠常どの……だと!?」
さすがの頼義も今大宅光圀が口にした千葉小次郎の正体には耳を疑い絶句した。まさか、敵の総大将が御自ら出向いて夷狄の頭目として暗躍しているとは、にわかには信じがたかった。
千葉小次郎こと上総介平忠常は額から流れる血を手で拭いながら三人と対峙する。受けた傷は決して浅くはあるまい。怒りと憎悪に満ちた目で光圀を睨みつける。
「ふん、流石に恐るべき腕よのう。まこと、敵にしておくには惜しい」
「口元には笑みを浮かべているが、到底笑っているようには見えない。
「嫌がらせにちょっかいを出しに来ただけのつもりであったが、とんだ藪蛇だったわ。この身体はもう保たぬかもしれぬが、受けた傷の借りはいずれ返させてもらうぞ光圀。頼義どの、先ほどのお誘い、決して戯言では無いぞ。そなたさえその気であるならばこの忠常の元に来い、いつでも門戸は開いておる。ご再考を期待する」
忠常はそう言い残して音も無く後ろにそびえる葦の原の中に身を投げ出した。高く伸びきった葦の木々はたちまち忠常の姿を覆い隠した。金平が忠常が飛び込んだ辺りを横薙ぎに剣鉾で切り払ったが、そこにはもうすでに人の気配は毫ほども感じられなかった。
「平忠常……千葉小次郎……東国の叛徒、蝦夷の長……」
頼義は忠常が置き捨てていった割れた仮面の破片を手に取りながら呟く。この戦いは単なる貴族の子弟が血気に逸って後先考えずに起こした騒乱とはわけが違う。坂東八州のみならず、忠常は朝廷に対して従わぬ東国の夷狄たちをも勢力に取り込んでいる。連中は周到に準備を進め、今後の戦略も十分に練って装備を蓄え、人を集め、一歩一歩着実に計画を推し進めているのだ。これはもはや「反乱」ではなく「独立戦争」だ。頼義は一刻も早く父頼信と合流し、彼らがまだ「反乱分子」であるうちに叩き潰さねばならないと焦る。
「光圀どの、金平、のんびりしている暇は無いようです、急ぎましょう。これは……よくない事が起きる……!!」
悪寒にも似た不吉な兆候に頼義は身震いした。金平は頼義を鞍に上げて、自らは鐙に足をかけることもなくヒラリと飛び上がって馬に乗り、そのままの勢いで馬を走らせた。光圀は消えた忠常の姿を追うように鳶が優雅に舞う冬空を睨みつけていたが、すぐさま反転して馬に乗り、金平たちの後を追った。
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「相馬」という地名を聞くと現代人は福島県の相馬地方を思い浮かべるが、この時代、今の千葉県の柏市や流山市辺りから茨城県の取手市、守谷市辺りまでの一帯も「相馬」と呼ばれていた。「相馬」とは読んで字の如く、馬の毛並みや体格などを品評するという意味であるが、この一帯が放牧地として馬の生産が盛んに行われていた事に由来するのだろう。
この地を古くから監督していたのは他ならぬ平将門公であったという。将門公はこの地を伊勢神宮への寄進荘園として提供し「御厨」の称号を得た。以来この地は「相馬御厨」と呼ばれるようになったという。
鹿島灘から深く入り込んだ内海はこの相馬御厨にまで入り込み、「手下浦」という名で知られている。今はかろうじて外海へと通じているが、利根川をはじめとする多数の河川が集まるこの地域は長年にわたる土砂の堆積により無数の島が点在している。さらに年月が経てばこの島同士が繋がり、この「手下浦」もやがては完全な湖沼として外海と隔絶されることになるだろう。
前上野介源頼信は、その手下浦の浜辺に陣を敷いて幕内に座していた。上野国より引き連れた朝廷軍二千に、地元の豪族より協力を受けた援軍一千を加えた追捕使軍は整然と隊列を組んで待機している。これより今回の騒動の張本人である平忠常をここに喚問し、次第によってはこの場で忠常を捕縛し都に送りつけて処断をするという手はずになっている。
先に送りつけられた忠常側からの書状によれば、忠常に謀叛の意思は無く、恭順の証として国司の証である常陸、上下総三国の印鑰を手渡し、頼信に対しては自ら名簿を差し出すことで頼信に従属するとの事だった。
「名簿」とは、本人及び一族郎党の系譜や出自を書き連ねた、言わば「履歴書」の様なものだが、それを差し出すという事はその相手の臣下として付き従うという意味合いがあった。
これだけを見れば忠常に造反の意図は無く、この場においても戦闘に及ぶようなことはあるまいというのが中央及び当事者たちの憶測であったが、それでも頼信は決して油断することなく、武装を解くこと無く忠常を待ち受ける心算だった。
「さても源氏の棟梁どのは慎重、というか臆病なものよなあ」
地元の武士たちは決して警戒を緩めることのない頼信に対していささか冷笑的な反応を示している。それもそのはずで、確かに物流に関するいざこざは多発しているものの、この数年坂東で大規模な戦闘行為が行われた例もほとんど無く、忠常に至っては戦さどころか毎日愛人の「五月殿」の元へ足繁く通うのに忙しくてそれどころではあるまいと揶揄されるような評判である。頼信のやや過剰とも言える警戒心は彼らにとっては「慎重にすぎる」ように映ったとしても致し方あるまい。
そんな、いささか緩んだ空気と緊張した空気の温度差が激しい中、頼義たち「鬼狩り紅蓮隊」の三人(「俺は紅蓮隊じゃない」と光圀は固く否定しているが)がようやく到着した。




