武州豊島駅・紅蓮隊、敵の誘いを受けるの事
この時代、五畿七道を通る「駅路」と呼ばれる幹線道路は、律令制によって「駅伝」の制度が細かく制定されていた。「駅」は三十里(約16キロ)ごとに置かれ、各駅によって設置される馬の頭数も決められており、朝廷もしくは各国庁より発行される「駅鈴」や「伝符」と呼ばれる使用許可証を持った官人、貴族に馬を貸与し、次の駅でまた馬を乗り継ぐといった形式で長距離の移動を行なっていた。
しかし時代が下るにつれ、駅伝の制度も次第に疲弊をきたし、システムが完全に網羅されていたとは言い難い状態になると、駅の周辺に私設の馬舎や宿場のようなものが並び立つようになり、後の時代の「宿場町」のような公民混ざったごった煮のような賑わいを見せる兆しがすでに見られるようになっていた。
「延喜式」によれば豊島駅には馬が十頭常駐しており、地元の有力者から任命される駅長がその管理を務めているはずだが、頼義たちが到着した場所には駅舎に馬が三頭しかおらず、備え付けの駅田もあまり整備が行き届いているとは言い難い荒れ具合であった。隣駅に出払っているのか、職員である駅子もおらず、残された馬がのんびりと欠伸をしているだけだった。
勝手に馬を乗り換えるわけにもいかず、金平が大声で呼び掛けると、隣のあばら家からようやく老人が一人慌てた様子で駆けつけてきた。老人は駅の隣で休息所のようなものを開いている民間人で、駅子が不在の場合はその職務を代行するように仰せつかっているとの事だった。とりあえず一行は乗ってきた馬を厩舎に入れ、老人が次の馬に鞍を乗せたりと支度をする間しばしの休息という運びとなった。
駅子の不在を詫びる代わりといったつもりなのか、老人が気を利かせて熱い茶を三人のために持ってきてくれた。茶といっても茶葉を煎じた本格的なものではなく、畑で採れた薬草を煎じた白湯に近いものだが、それでもこの寒空で待たされる身にはありがたいものだった。
湯気の立つ素焼きの茶碗を懐手にしてしばし暖を取ってから、金平は一口すすろうとした。その手を頼義が袖を掴まえて抑える。
「千里草、何ぞ青々たる、十日卜するも、なお生ぜず……か」
突然頼義が漢詩のようなものを諳んじる。金平も光圀も頼義の歌の意味がわからずキョトンとしている。
「後漢の少帝劉弁公は在位五ヶ月で董卓の陰謀によって殺された。毒でな」
老人がギクリと腰を浮かす。
「毒!?」
二人は思わず茶碗を覗き込む。金平たちには薬草の青臭い香りしか感じられない。
「なんのことですやら……」
老人が平静を装って答える。だがその態度は明らかに動揺している。
「老人、何故に我らに毒を盛る?他人はごまかせてもこの頼義、見えぬ眼の代わりに耳も鼻も人一倍鋭敏なものでな。わずかな量と言えども誤魔化す事はできぬ」
瞬時に金平と光圀が老人を挟む様に回り込む。前後を塞がれた老人は恐怖に怯えてそのまま腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひいっ、おおお、お助け……どうかっ、命だけは……!」
老人は必死に泣き叫ぶ。どう見ても訓練された暗殺者とういう風では無い。ではなぜただの人間が頼義たちを襲う?
「よせよせ、勘弁してやってくれ。そのご老人は俺が無理に毒茶を運ばせただけだ。ちと悪ふざけが過ぎたわ。許されよご老人」
金平が振り向くと、部屋の隅にいつの間にか一人の男が背を向けたまま馬をつなぐ横木に腰を掛けていた。振り向いたその顔は青銅ののっぺりとした仮面に覆われていた。
「ついでに無学なお二人に説明してやるとだな、董卓が権勢を誇っていた頃に巷で流行り出した童歌でな、『千里草』の字を重ねると『董』に、『十日卜す』の字を重ねると『卓』という字になる。つまり毒でもって天下を簒奪した董卓の死と没落を予言した神仙歌であったという事よ。ふふ、毒で以って利を得た者は剣によって滅するという戒めといったところか。さすが源氏のご惣領ともなれば咎め立て方も風雅なものよな」
「貴様は……!」
金平が剣鉾を仮面の男に向ける。老人が慌てて逃げ出すのを見咎めもせず光圀もまた仮面の男を凝視していた。
「座興がわりにしびれ薬でも一服盛って悶絶しているところを嘲笑ってやろうと思ったのだが、なかなかうまくはいかぬものよなあ、はっはっは。改めてご挨拶申し上げる。八束小脛以下土蜘蛛どもを束ねる東夷の長、千葉小次郎と申す」
仮面の男は慇懃に挨拶をする。
「こりゃご丁寧にどうも。俺たちも一人ずつ挨拶しといた方がいいかい?」
挑発するようにそう言う金平を受け流して男は言葉を続ける。
「今日ご挨拶に参ったのは他でも無い、我が主人上総介忠常の命を受けての事よ」
男が仮面の奥から意外な事を言った。
「我が主人の言葉を伝える。源頼義どの、当方のお味方となり、共にこの坂東の覇者となるおつもりはござらぬか?」
「はあ?」
金平は思わず間抜けな声を上げる。忠常は大胆にも自分を討ちに来る将軍の子息に裏切って自分に従えと誘いをかけてきたのだ。
「もし我ら二人が盟を結べば、今下総に向かっている頼信軍を挟み撃ちにして血祭りにあげる事もできよう。そのまま上野を落とし、南下して鎌倉党の者どもを一網打尽にすれば、この坂東八州は再び我らのものとなる。事成った暁には頼義どの、そなたには上州、武州、そして相州の三国をお任せするとの事。如何かな、悪い話ではあるまい」
「私に、父を裏切れと?」
「然り。元より武家の身である御前なれば、その家督を武力で奪い取るもまた武門の誉れというもの。さすれば御前を廃して弟御を惣領に盛り立てようとする連中も一掃できよう」
頼義は一瞬、僅かではあるがドキリと胸が鳴るのを覚えた。確かにに女の身である自分が家督を継ぎ、源氏の棟梁となる事を忌み嫌う家中の者たちがいる事は事実である。その者たちが弟の次郎丸の元服を待って家督を継がさせるようにと密かに工作しているという噂も聞かないではなかった。しかし、そのような都うちですら噂される事も無いような家中の些細な動きまで忠常は情報として押さえているとは……頼義は忠常一派が想像していたよりも遥かに「長い手」を持っているという事実に、決して侮れないものを感じていた。
「さあ、返答やいかに、頼義どの。もし御身がご決心されるのであらば、この千葉小次郎以下八束小脛衆一党、みな頼義どのの手兵となって獅子奮迅の働きをお見せしましょうぞ。さあ、いかに!?」
千葉小次郎が目をギラつかせながら頼義の答えを待つ。
長い沈黙の後、頼義は静かに答えた。




