表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/90

武州豊島駅・紅蓮隊、敵の誘いを受けるの事

この時代、五畿七道を通る「駅路(えきろ)」と呼ばれる幹線道路は、律令制によって「駅伝」の制度が細かく制定されていた。「駅」は三十里(約16キロ)ごとに置かれ、各駅によって設置される馬の頭数も決められており、朝廷もしくは各国庁より発行される「駅鈴(えきれい)」や「伝符(でんぷ)」と呼ばれる使用許可証を持った官人、貴族に馬を貸与し、次の駅でまた馬を乗り継ぐといった形式で長距離の移動を行なっていた。


しかし時代が下るにつれ、駅伝の制度も次第に疲弊をきたし、システムが完全に網羅されていたとは言い難い状態になると、駅の周辺に私設の馬舎(うまや)や宿場のようなものが並び立つようになり、後の時代の「宿場町」のような公民混ざったごった煮のような賑わいを見せる兆しがすでに見られるようになっていた。


延喜式(えんぎしき)」によれば豊島駅(としまのえき)には馬が十頭常駐しており、地元の有力者から任命される駅長(えきのおさ)がその管理を務めているはずだが、頼義たちが到着した場所には駅舎に馬が三頭しかおらず、備え付けの駅田(えきでん)もあまり整備が行き届いているとは言い難い荒れ具合であった。隣駅に出払っているのか、職員である駅子(えきし)もおらず、残された馬がのんびりと欠伸(あくび)をしているだけだった。


勝手に馬を乗り換えるわけにもいかず、金平が大声で呼び掛けると、隣のあばら家からようやく老人が一人慌てた様子で駆けつけてきた。老人は駅の隣で休息所のようなものを開いている民間人で、駅子が不在の場合はその職務を代行するように仰せつかっているとの事だった。とりあえず一行は乗ってきた馬を厩舎に入れ、老人が次の馬に(くら)を乗せたりと支度をする間しばしの休息という運びとなった。


駅子の不在を詫びる代わりといったつもりなのか、老人が気を利かせて熱い茶を三人のために持ってきてくれた。茶といっても茶葉を煎じた本格的なものではなく、畑で採れた薬草を煎じた白湯(さゆ)に近いものだが、それでもこの寒空で待たされる身にはありがたいものだった。


湯気の立つ素焼きの茶碗を懐手にしてしばし暖を取ってから、金平は一口すすろうとした。その手を頼義が袖を掴まえて抑える。



「千里草、何ぞ青々たる、十日(ぼく)するも、なお生ぜず……か」



突然頼義が漢詩(うた)のようなものを(そら)んじる。金平も光圀(みつくに)も頼義の歌の意味がわからずキョトンとしている。



「後漢の少帝劉弁(りゅうべん)公は在位五ヶ月で董卓の陰謀によって殺された。()()()



老人がギクリと腰を浮かす。



「毒!?」



二人は思わず茶碗を覗き込む。金平たちには薬草の青臭い香りしか感じられない。



「なんのことですやら……」



老人が平静を装って答える。だがその態度は明らかに動揺している。



「老人、何故に我らに毒を盛る?他人はごまかせてもこの頼義、見えぬ眼の代わりに耳も鼻も人一倍鋭敏なものでな。わずかな量と言えども誤魔化す事はできぬ」



瞬時に金平と光圀が老人を挟む様に回り込む。前後を塞がれた老人は恐怖に怯えてそのまま腰を抜かしてへたり込んだ。



「ひいっ、おおお、お助け……どうかっ、命だけは……!」



老人は必死に泣き叫ぶ。どう見ても訓練された暗殺者とういう風では無い。ではなぜただの人間が頼義たちを襲う?



「よせよせ、勘弁してやってくれ。そのご老人は俺が無理に毒茶を運ばせただけだ。ちと悪ふざけが過ぎたわ。許されよご老人」



金平が振り向くと、部屋の隅にいつの間にか一人の男が背を向けたまま馬をつなぐ横木に腰を掛けていた。振り向いたその顔は青銅ののっぺりとした仮面に覆われていた。



「ついでに無学なお二人に説明してやるとだな、董卓が権勢を誇っていた頃に巷で流行り出した童歌でな、『千里草』の字を重ねると『董』に、『十日卜す』の字を重ねると『卓』という字になる。つまり毒でもって天下を簒奪(さんだつ)した董卓の死と没落を予言した神仙歌であったという事よ。ふふ、毒で以って利を得た者は剣によって滅するという戒めといったところか。さすが源氏のご惣領ともなれば咎め立て方も風雅なものよな」



「貴様は……!」



金平が剣鉾を仮面の男に向ける。老人が慌てて逃げ出すのを見咎めもせず光圀もまた仮面の男を凝視していた。



「座興がわりにしびれ薬でも一服盛って悶絶しているところを嘲笑(わら)ってやろうと思ったのだが、なかなかうまくはいかぬものよなあ、はっはっは。改めてご挨拶申し上げる。八束小脛(やつかこはぎ)以下土蜘蛛(つちぐも)どもを束ねる東夷(とうい)の長、千葉小次郎(ちばのこじろう)と申す」



仮面の男は慇懃(いんぎん)に挨拶をする。



「こりゃご丁寧にどうも。俺たちも一人ずつ挨拶しといた方がいいかい?」



挑発するようにそう言う金平を受け流して男は言葉を続ける。



「今日ご挨拶に参ったのは他でも無い、我が主人(あるじ)上総介(かずさのすけ)忠常(ただつね)の命を受けての事よ」



男が仮面の奥から意外な事を言った。



「我が主人の言葉を伝える。源頼義どの、当方のお味方となり、共にこの坂東の覇者となるおつもりはござらぬか?」


「はあ?」



金平は思わず間抜けな声を上げる。忠常は大胆にも自分を討ちに来る将軍の子息に裏切って自分に従えと誘いをかけてきたのだ。



「もし我ら二人が盟を結べば、今下総(しもうさ)に向かっている頼信軍を挟み撃ちにして血祭りにあげる事もできよう。そのまま上野(こうづけ)を落とし、南下して鎌倉党の者どもを一網打尽にすれば、この坂東八州は再び我らのものとなる。事成った暁には頼義どの、そなたには上州、武州、そして相州の三国をお任せするとの事。如何(いかが)かな、悪い話ではあるまい」


「私に、父を裏切れと?」


「然り。元より武家の身である御前(おんまえ)なれば、その家督を武力で奪い取るもまた武門の誉れというもの。さすれば御前を廃して弟御を惣領(そうりょう)に盛り立てようとする連中も一掃できよう」



頼義は一瞬、(わず)かではあるがドキリと胸が鳴るのを覚えた。確かにに女の身である自分が家督を継ぎ、源氏の棟梁(とうりょう)となる事を忌み嫌う家中の者たちがいる事は事実である。その者たちが弟の次郎丸(じろうまる)の元服を待って家督を継がさせるようにと密かに工作しているという噂も聞かないではなかった。しかし、そのような都うちですら噂される事も無いような家中の些細な動きまで忠常は情報として押さえているとは……頼義は忠常一派が想像していたよりも遥かに「長い手」を持っているという事実に、決して侮れないものを感じていた。



「さあ、返答やいかに、頼義どの。もし御身がご決心されるのであらば、この千葉小次郎以下八束小脛衆一党、みな頼義どのの手兵となって獅子奮迅の働きをお見せしましょうぞ。さあ、いかに!?」



千葉小次郎が目をギラつかせながら頼義の答えを待つ。


長い沈黙の後、頼義は静かに答えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ