相州鎌倉平直方邸・紅蓮隊、出立するの事(その二)
旅支度を終えた頼義は一息つくこともなく、そのまま出立しようとしていた。着替える前は髪を下ろし、前髪も残した女髪であったのを、今はしっかり髷を結い上げ、衣装も男性のそれに着直している。
父みなもとのよりのぶ率いる追捕使軍一行はすでに上野国の厩橋を出立し、利根川を下って平忠常との会見の場である下総国の相馬御厨に向かっているとの事だった。頼義たちは直接下総へ赴き、現地で頼信軍と合流するために東海道を東下する事にした。東海道には三十里(16キロ)ごとに駅が設けられ、そこに駅馬も置かれている。頼義たちはまず武蔵国の大井駅、次いで豊島駅と通り、下総に入って井上駅から北上し、手下浦に面した茜津駅で頼信軍と合流する行路で向かうことにした。
金平などは海を渡って上総の方面から旧東海道の支道を進んだほうが早いし、連中を挟み撃ちにできると主張したが、「戦に行くわけではない」と頼義に諭され、本人も渋々武蔵国経由での東下に賛同した。
日もまだ上らぬ、朝靄が立ち込める中、金平が馬を引く。見送る穂多流姫は目に涙をいっぱいに浮かべている。今生の別れというでもあるまいに、それでも今日のこの別れの時をこんなにも惜しんでくれる少女に、頼義は心から感謝の念を抱いた。
「では、穂多流の君、名残惜しいですがどうかお元気で」
頼義は優しく穂多流の頭を撫でる。
「より、よし……さまあ」
それでも旅立ちに涙は不吉と思ってか、必死になって涙をこらえる穂多流は、それだけ言うのが精一杯だった。
「穂多流も……連れて行ってくださいませ……!身の回りのお世話でも何でも……します……から……穂多流は、穂多流は頼義さまを……」
本人は堪えているつもりの涙が知らずにポロポロとこぼれ落ちてくる。頼義はその頬をそっと拭いながら
「事が済んだら、また必ずお顔を拝しに参ります。どうかお父上のいう事をよくお聞きになって、立派な姫におなりくださいませ」
それ以上の事は言わず、頼義は金平に手を引かれて馬上の人となる。そのまま一度も振り返る事なく、頼義を乗せた馬は朝靄の中へ消えていった。
穂多流の君はその姿が見えなくなっても、いつまでもその後を追って見守っていた。やがて涙を拭った彼女は一緒に見送っていた父親に向かって
「お父さま、穂多流は心に決めました!!」
強い決心の表情で父親に向かってそう言うと、キョトンとした顔の父に向かって何かを耳打ちした。
その言葉を聞いて前能登守である平直方卿は目を回して卒倒してしまった。
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大井駅を過ぎた頼義一行はそのまま次の行き先である豊島駅に向かっている。
豊島駅の所在については幾説か意見が分かれ、時期によって場所が移動したとの見方もされているが、およそは現在の浅草寺がある辺りだったものであろうと推測されている。当時はこの付近まで江戸湾が侵食しており、隅田川の河口もずっと北に位置していたため、ここら一帯はまだ海に面した一面に葦の生えた湿地帯であったという。
ほぼ同年代を生きた菅原孝標女が父とともに任国である上総国から帰京する道行を記した「更級日記」では
「ことにをかしき所も見えず。浜も砂子白くなどもなく、泥のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、蘆荻のみ高く生ひて、馬に乗りて弓もたる末見えぬまで、高く生ひ茂りて……」
などとこの一帯のことを評している。高く繁った葦や萩のせいで馬に乗った武者が見えなくなるとは流石に大袈裟に聞こえるが、それほどに当時の武蔵国は未開発の「辺境」だったらしい。
金平も執拗にまとわりつく藪蚊や蚋を払いながら潮くさい沿岸道を頼義を抱えて進む。まだ冬の寒い季節だったからこの程度で済んでいるようなもので、これが夏の暑い盛りであったらまとわりつく羽虫の数はこれの比ではなかったろう。迂闊に刺されて瘧にでも罹ったらたまったものではない、金平は足早に馬を進めて下総を目指した。頼信たちは先に出発していたが、こちらの方が距離も近い、加えて供回りは金平と大宅光圀の二人のみという軽装である。早ければ明日の夕刻にも目的地である茜津の駅に到着できるだろう。
その頼義たち一行の後を、何者かが音も立てずに着かず離れず監視するように尾行をしている。姿は見えず、気配も無い。その影は深く生い茂る葦の草原に紛れ息を潜ませながら、先行する二頭の馬を見失うまいと後を辿っている。
その影をさらに後ろから監視するように、上空高く、鳶が大きな弧を描いて西の空を舞っていた。