相州鎌倉平直方邸・平忠通卿、鉄妙見菩薩像について語るの事
七里ヶ浜の海岸に面した平直方邸の一室には重苦しい空気が漂っていた。
ようやく意識を取り戻した平忠通卿はそれでもまだ床から上がることができず、伏せったまま枕頭に座る金平たちからの報告を受け取った。
「……さようか。まさか新皇の残党の仕業であったとはな。つまり、忠常は其奴らの口車に乗せられて事を起こしているという事か」
「そこまではわからねえです。騙されてるのか、それとも自分の意思で加担しているのか。ともかく、忠常の背後には承平の乱で鎮圧された将門の残党がいるってことは間違いないみてえだ」
金平が静かに答える。頼義はこの席にいない。彼女はあのまま眼を覚ます事なく別室にて安静に寝かしつけられている。彼女の容体も気にはかかるが、今は今後の戦略の指針をはっきりと決めておくべきだ。
「滝夜叉」か……聞き覚えはないな。少なくとも将門公の娘御にそのような名の姫はおらなんだはずだ。もっとも年月が年月だ、その子供なりあるいは孫なり、将門公の血筋を自称して世に打って出ようとする野心家がいてもおかしくはあるまい」
忠通は眼を閉じたままそう語る。彼は「滝夜叉姫」と名乗る女が将門公の子孫を僭称する山師の類とみなしているようである。だが彼女と直接対峙した金平には確信があった。出自はどうであれ、あの女は間違いなく将門公の時代に生き、そして死に、「鬼」となった者だと。
「それと『千葉小次郎』と称する男な。あれもまた謎めいた奴よ。ここ数年坂東を中心に知られるようになった奴だ。あの通り八束小脛たち異形の夷狄を束ねる頭目であるがな、あやつ自身はおそらく俘囚、夷狄の出ではあるまい。噂ではいずこかの貴人の胤とも推測されておるが正体は分からずじまいだ。分かっておるのはあの者が夷族どもを従えて朝廷に仇なす謀反人という事だけよ」
金平は千葉小次郎と名乗った男の姿を思い出す。確かにその身姿は手足の異様に長い八束小脛たちとは違い普通の人間のように見えた。しかしその全身から発する殺気はこれもまた紛れもなく「鬼」の放つそれであった。
「忠通どの、『鉄妙見』という言葉に聞き覚えは?」
金平は最後に残っていた疑問を忠通にぶつけてみた。それはあの千葉小次郎が去り際に言った「鉄妙見」さえあれば自分たちの勝利は動かない、という言葉が記憶に残っていたからだった。
その言葉を聞いて忠通が眼を開ける。首を動かすことが叶わないのか、眼だけでギョロリと金平を見遣って
「その言葉、どこで知った?」
と聞き返した。金平はありのままを忠通に説明する。忠通は合点がいったようで
「左様であるか。なればやはり『鉄妙見』は奴らの手に渡っていると見ていいのう」
そう言って忠通は深くため息をついた。
「そいつは一体なんなんですかい?俺にはとんと聞いたことのねえ代物だ」
金平が枕元の忠通に聞いた。忠通は再び眼を閉じた。
「有り体に言えば、ただの仏像よ。その名の通り鉄鋳造りの妙見菩薩像なのだが、とあるいわくがあってな」
「いわく?」
「うむ。元々その仏像は上野国群馬にある『七星山息災寺』という寺院に祀られていた仏像なのだがな、ある日平将門公が染谷川において叔父の平国香公と合戦を行っていた際にその仏像に必勝祈願をしたところ、見事に勝利を収めたという。しかしその仏像の霊験に惑わされた将門公麾下のある武将がな、事もあろうにその仏像を盗み出してしまったのだ」
忠通卿はそう語りだす。金平には何処にでもあるような合戦譚のようにしか聞こえなくて、つい「へえ」と生返事を交えて聞き流していた。霊験あらたかな宝物が盗まれて騒動を起こす、大抵は盗人が痛い目に遭って因果応報、仏罰覿面めでたしめでたしと終わるものだ。
「そしてその仏像は、つい先日まで我が屋敷に保管されていたものだった」
忠通の言葉に金平は飲みかけていた白湯を吹いた。
「なんだとう!?」
「……これは貞光と儂だけの秘密であったのだがな。その『鉄妙見』は方々を渡り歩いた末に当家の所領である村岡郷に保管されておった。何処でそれを嗅ぎつけたものか、奴らが我が屋敷を襲ったのも、おそらく元からその『鉄妙見』の奪取が目的だったものらしい」
「マジかよ……そんなにありがたいお宝なのかいその仏像ってやつは」
「わからぬ。鉄鋳仏という珍しい作りではあるが、正直さほど価値のあるものとも思えぬ。取り立てて奇特な瑞祥も起こらなんだしな」
鉄鋳仏とは文字通り鋳型に流し込んだ鉄でできた無垢材の仏像なのだろう。あまり見るものではないが、それだけで価値が跳ね上がるというほどのもでもあるまい。それではあの仏像自体が彼らにとっての何かしらの象徴であるのか、何か彼らの中でだけ通用する意味あいが隠されているのかもしれない。
「わからねえな。それにしたってわざわざ相模くんだりまで来て危険を冒して焼き討ちするほど欲しいものなんかね?そもそもなんでアイツらにとってそんな大切な物がアンタんとこなんぞに流れ着いてきたんだい」
「それは、な……」
忠通は少し言いにくそうに言葉を途切れさせる。
「その仏像を盗んだ武将というのが、我々の祖父にあたるお方なのだよ」