相州鎌倉由比郷・滝夜叉姫、宣戦布告するの事
「将門……坂東八洲に覇を唱え、朝廷に反旗を翻した逆賊の末裔か」
大宅光圀がその名を聞いてボソリと呟く。「滝夜叉」と名乗った異形の女はその言葉に反応する。
「それが中央の見解か!?我が父を逆賊、謀反人と貶め、貴様らがこの地で行った非道を全て我が父の所業と押し付け、史書を改竄し真実を隠蔽した、その貴様らが我が父を逆賊と呼ぶか!!」
滝夜叉姫の真っ赤な顔が燃え立つように激昂する。荒れるに任せた伸び放題の髪にも丹が塗りたくられ、彼女自身がまるで赤鬼のように見る者を圧倒させる。女は将門公の事を「父」と一貫して呼び続けている。将門公が朝廷に反旗を翻してこの坂東の地に自分の新国家を打ち建てようと立った、いわゆる「承平の乱」からすでに七十有余年が経っている。とすれば目の前にいる赤い女もすでに八十は超えた老婆であるはずだ。しかし今立っている女は姿こそ異形なれど、その見た目は乙女の美しさを依然保った十代のそれにしか見えない。
「哀れな……承平の世とうにはるか昔の事ぞ。この地にも、いわんや都においてさえももはやその様な出来事は過去の戦物語の中の話よ。そんなもののために人間としてある事を放棄して『鬼』と成り果てたか」
頼義の身体に宿った「八幡神」が哀れみの眼差しを向ける。鬼!やはりこの女のまとう妖気は人のものではなかったか。女は頼義のその視線を侮辱と受け取ったか、彼女に向かって憎悪の目を送り返す。
「否、この地においてかの戦の残響は未だ天地に木霊しておるぞよ。朝廷に虐げられた東の氏族、さらに古から辺境に追いやられた『俘囚』と蔑まれた『まつろわぬ民』。我らの怨嗟はあの日、あの時のまま永久に都を呪い続ける。そして我らは再び立つ。この坂東に再び『新皇』の旗印を掲げ、真の王道楽土を築き上げるのだ。そのための『駒』も手に入れた。その『駒』を奉じて今こそこの地に千年王都をもたらしてみせようぞ!!」
滝夜叉姫は高らかに宣言する。「駒」とは、あの平忠常の事を指すのであろうか。あの男を新たな「帝」として奉り、この地に新国家を形成しようというのがこの女……滝夜叉姫の目論見だというのか。
「八幡神」に身体を預け、自らの意識を深淵に引き下がらせていた頼義は、滝夜叉姫の口を介して説明された今の宣言に対してどこか違和感を覚えていた。自分が記憶している「平忠常」という、人畜無害と言っていい凡庸な人物を新帝として担ぎ上げる?忠常には悪いが彼女にはどうしても彼が千年と続く王国の皇帝になる器には思えなかった。
「要するにだ。お前らはここでもう一度朝廷に謀反を起こし、この地に自分たちの新しい王国を造ろうってえ魂胆なんだな。だったら話は早え。テメエらを一人残らずぶっ潰すまでだ。まして『鬼』の力に頼って事を起こそうなんざ、この『鬼狩り紅蓮隊』が許すかってんだ!!」
金平は剣鉾の切っ先を滝夜叉姫に向ける。周囲の八束小脛たちが俄かに殺気立つ。
「やるか?今日のところは忠通へのご挨拶だけですますつもりであったが、良いぞ、やると言うのであれば遊んでやるぞえ」
滝夜叉姫の高らかな笑い声が合図となって八束小脛たちが前へにじり寄る。金平と光圀は迎え撃つように得物を構えて
「おい、まさか止めるなんてことはねえよな?『鬼』を目の前にしてこのまま退散なんてごめんこうむ、る……?」
背後の頼義に向かって金平は判断を仰ごうとしたが、その頼義……八幡神は不敵な笑いを浮かべる。その手にはいつの間にか愛用の大弓が握りしめられていた。
「応よ。このようなめんどくさい事、今この場でさっさと片付けるに限る。なあに気にするな。この森の半分も吹き飛ぶ程度で済むだろうて」
事もなげにそう言って八幡神は手にした大弓を番えた。何もない空間から青白い光が弓の元へと収束していき、やがて一本の青白く光る矢となったそれを放つ。光は一筋の光芒となって八束小脛の集団を貫いた。光は一瞬で集団を蒸発させ、そのまま天に向かって伸び上がり樹々を貫く。深い森に巨大な穴を開けて、そこから漏れ出る太陽の光が滝夜叉姫の姿を照らし当てた。
「な……!」
あれほどに勝ち誇っていた滝夜叉姫の顔から余裕の笑みが消えた。
「破邪の神弓じゃと!?神代の宝具を使うとは……!貴様は、まさか……!」
森に大穴が開いて光が差し込んできたために相対的に頼義たちのいる側は影となってその姿は捉えられない。滝夜叉姫は頼義たちがいるであろうその暗闇に向かって吠えた。
「見たか!これぞあまねく世を照らし邪気を滅する八幡大菩薩の聖天弓よ!!次は貴様に向かって打つ!!容赦はせぬぞ!!」
暗闇の中からそう叫んだのは頼義ではなく金平だった。滝夜叉姫は周囲を見回す。圧倒的人数で取り囲んでいたはずの八束小脛たちは今の一撃でその半数を失い、その優勢は一気に崩れた。滝夜叉姫は歯軋りする。
「おのれ……おのれえええ!!!」
鬼女は狂ったように牙を剥いて叫びたてる。怒りに我を失ったか、自分で自分の頬をかきむしり血を噴き出させる。
「やれ、八束小脛ども、忌まわしき土蜘蛛の成れの果てよ、こやつらの五体を引き裂いて第四天魔王の供物に捧げようぞ、やれい、やれええええいっ!!!!」
滝夜叉姫が吠える。しかし八束小脛たちは先ほど目の当たりにした神弓の恐ろしいまでの威力を恐れて容易に動かない。そのことが一層滝夜叉姫を激昂させた。
「もうよかろう。ここらが潮時であろう、姫よ」
滝夜叉姫の背後から、彼女に一人付き従っていた男が言った。八束小脛と同じ金属の仮面をつけてはいるが、その姿形は人間のそれに近い。その男が静かに言った。
「ならぬ!こやつら一人残らず血祭りに上げねば父上を愚弄された屈辱は晴れぬわ!!」
「ならば受けてみるか、今一度かの神弓の天誅を!!」
暗闇から再び金平が勧告する。仮面の男は
「さて、こちらがその気になってそこもとへ攻め入れば困るのはそちらの方かともお見受けするが、それでもよろしいかな……?」
「…………」
「ふん、まあ良い。今日のところはその弓の神威に恐れをなして逃げるとしよう。またいずれあい見えようぞ。その時は殺す」
身を翻して男は滝夜叉姫を抱きかかえて引き下がる。滝夜叉姫はなおも抵抗して
「いやじゃ、殺せ、あやつを殺せ!!小次郎、あやつらを……」
と叫び続ける。
「落ち着かれませい、姉上。この千葉小次郎、いずれ必ずや決着をつけてご覧に入れましょうぞ。我らの手に『鉄妙見』がある限り我らの勝利は揺るぎはしませぬ。なればこの場は今一度お引き下がりを」
「小次郎」と呼ばれた仮面の男は残った八束小脛たちに指図を送ると、一陣の風とともに煙のように消えていなくなった。
半刻に渡る長い沈黙の後、ようやく暗闇から這い出してきた金平は
「大丈夫……かな?」
と周囲を探りながら身を起こす。
「やれやれ、ハッタリかまして何とかしのごうとしたが、バレバレじゃねえかチクショウ。あの野郎が気まぐれ起こさなきゃ全滅してたのはこっちだぜ全く」
でかい図体を引きずりながら金平は身を起こす。その後ろでしゃがんで控えていた光圀は険しい顔をして先ほどまで滝夜叉姫たちのいた楠の大木を睨みつける。
「あの男……あの声、まさか……」
「どした?」
金平が光圀に声をかける。光圀もそれに気づいて
「いや……別状ない。しかし、大丈夫か、その……姫若は?」
「…………」
金平は自分が抱きかかえている頼義の顔を見ながら苦い顔をしている。
彼の腕の中にいる頼義は、蒼白な顔色を残したまま意識を失っていた。