相州鎌倉由比郷・頼義、妖女と対面するの事
頼義たちは鬱蒼として昼なお暗い森の中へ馬を進めて行った。平直方邸のある七里ヶ浜から稲村路を越えて東に並ぶもう一つの扇状地、確か「由比郷」と言ったか……そちらにまで足を伸ばした一行は頼義の中に顕現した「八幡神」の霊力で探り当てた「最も霊格の高い龍脈」を目指す。
直方邸始め武家や地方貴族の屋敷が集まるお隣とは違い、こちら側はまだ開発途中と言った所なのか、邸宅もまばらで「郷」とよぶにはやや寂しい印象がある。そんな中にあって一層暗い影を落とす深い森は、地元の住民も「入らずの森」としてあまり人の手が入ることもなく樹々が伸びるに任せているらしく、それがより一層この森を深く暗い密閉空間として現世と隔絶した印象を与えている。
一行は馬を降り、徒歩で森の中へ入っていく。道もろくに整備されていない中を進むには準備不足な感もあったが、八幡神を降臨させた頼義は自分の目でスタスタと歩みを進める。
「ふんふん、なるほどなるほど。『鶴岡』と言ったかこの森は?良い土地ではないか、いずれここに我が社を建てるというのも悪くないな。それくらい相性が良いぞ。ふふふ」
「八幡神」がまるで己が領地を検分するかのように森を見回す。
「おい、根拠でもあるのかよ。本当にここなのか?」
一人で勝手に先に進む彼女の後を追いかけながら金平が言う。頼義は振り返りもせずに
「この『跡』が見えぬか?ふん、これだけ派手に痕跡を残していれば嫌が応にも気付こうと言うものだ。舐めた真似をしおる。こちらにはその存在に気づかれもしまいとタカをくくっているのか」
頼義……「八幡神」は青い目を輝かせながら周囲を見回す。
「それ、見つけたぞ。こいつだ」
頼義はどうやら目的の場所を発見したようである。そこには一際巨大な楠が周囲を従えるように屹立し、あたかもこの森の主然として悠然とそびえていた。その太い幹の中央、丁度人の手の届く高さあたりに何かが打ち付けてある。金平が何気なしに近づく。
「迂闊に触れるなよ、障るぞ」
頼義……「八幡神」が笑いながら注意する。金平は反射的に手を引っ込める。
「ふふ、向かう所敵なしの剛力自慢もたたりは怖いと見える」
八幡神が悪戯っ子っぽく笑う。金平は憮然とした態度で光圀の方を向く。光圀は何も語らず、ただ首を左右に振るばかりだった。
楠の幹には一体の人形が無数の釘によって打ち付けられていた。五寸はあろうかという長い釘は、藁で編まれたその人形の頭から足先に至るまでびっしりと打ち込まれ、「藁人形」というより「釘人形」のような有様となっていた。どれほどの執念でもってこんな状態になるまで釘を打ち続けることができるのか、金平も光圀もこの術の実行者の奥底に潜む闇と怨念の深さを感じ取って戦慄する。
「都の左京にな、『貴船神社』という社がある。そこでは心願成就の儀式として夜に参拝するのが習わしなのだというが、その理由が貴船明神……高龗神が御山に降臨したのが『丑の月、丑の日、丑の刻』だったからなのだそうな」
「丑の、刻……」
光圀がぼそりと呟く。
「これはその派生であろう。元は縁結びや願い事を託す儀式であったものが、時を経て逆に縁切りや呪詛を願うための手段として捻じ曲がって発展したか。ふん、おおかた人形には呪う相手の髪の毛でも仕込んであるのであろうよ。人形を形代に、それを傷つけることで本体にも共鳴して同じ苦痛を与える。実に原始的で野蛮な蛮族どもの使いそうな術よ」
頼義の姿をした八幡神は吐き捨てるようにそう言った。
「それとな、小僧。上だ」
八幡神が何気なく言う。金平と光圀はふと頭上を見上げる。そこに
八束小脛……あの異形の鉄仮面が群れをなして無音で殺到してきた。
「!?」
金平は反射的に頼義の体の盾となって覆いかぶさる。同時に大宅光圀が
「むんっ!!」
と奇声を発して太刀を鞘走らせる。その一瞬で樹上から音もなく落下してきた八束小脛が二人、血を迸らせてそのまま地面に激突した。光圀は一息の抜刀で同時に二人の敵を討ち取るとすかさず二の太刀を三人目に向かって走らせた。
「なっ!?」
完全に気配を消しての闇討ちをあっさり反撃されたのにも衝撃を受けたが、相手のその手並みの見事さに驚愕してしまった襲撃者は辛うじてその剣戟はかわしたものの、その逃げた先に待ち構えていた鉞のような巨大な刃を持った剣鉾の一撃までは避け切れることができず、石榴のようにその頭蓋を吹き飛ばされた。
後続の襲撃者たちはその光景を見て一斉に飛び下がる。たった一息で三人も討ち取られてしまった事の失態よりも、目の前にいる二人の武者が尋常でない技量と実戦経験の持ち主であることを見て取った八束小脛たちは、自らも高い戦闘技能を有するがゆえに相手の「強さ」を本能的に察知してしまい、迂闊に手を出すことを躊躇われていた。
じり、じり、と睨み合いが続く。
「蛮族、とはこれまた酷い言い様よな。夷狄、俘囚……貴様ら中央の人間どもはいつもそうだ。我らを一段低く見なし、蔑み、小馬鹿にする。ここの民とて帝に対する忠誠心は変らぬというのに……」
何者かの声が響く。
「桓武帝五代の孫である我が父を愚弄し辱め、今上と源氏の権威高揚のための手慰みにされたその怨み、この怒り、貴様ら中央のお高く止まった貴族ども、特に源氏の連中を、一匹残らず皆殺しにするまで我が怨み、我が憎しみ、決して晴れることはあるまい」
楠の大木の向こうから一人の女性らしき人物が従者を一人従えて現れた。八束小脛たちが一斉に平伏する。
異形の女だった。赤く染め抜いた死衣をまとい、髪も真っ赤に染め上げられ、露出した肌には満遍なく真っ赤な丹が塗り尽くされたその姿は、見た者を震え上がらせる薄気味悪さを瘴気のように醸し出していた。
「問うまでもないな。薄汚い源氏の血の匂いがするわ。あの卑劣漢の、浅ましい経基の血がなあ」
赤い女が絞り出すような声で叫ぶ。その口は耳まで裂け、眼は鬼灯のように真っ赤に染まり鈍く輝く。
「これは名乗らず無礼をした。これなるは清和源氏四代の棟梁にして貴様の憎っくき相手、一世源氏経基が曾孫に当たる者よ。名を頼義という」
女の異様な姿にも動じる事なく、頼義の口を通じて八幡神が頼義自身を紹介する。この場違いに慇懃な答礼に赤い女はニチャリと音の出るような粘っこい笑いを口元に浮かべた。
「これはこれは丁重なるご挨拶痛み入る。であるならば此方も名乗らねば礼に失しよう。妾は人間であった頃の名もとうに捨てた……今の我が名は『滝夜叉』……平新皇将門が皇女、滝夜叉姫なるぞ」