相州鎌倉平直方邸・金平、「鉄」について語るの事
平直方邸へ招かれた忠通と頼義一行はその晩ささやかながらの宴でもって歓待された。坂東で採れる山海の珍味はどれも京都で食べるものとは違い、質素ではあるが野趣あふれる美味に満ちていた。特に魚介は相模灘の新鮮なものをいただけるという事で格別なものがあった。鮎などの川魚なら京都でも良く食されるが、朝漁れたばかりの海魚を生で食するのは頼義も初めての体験だった。次から次へと運ばれる初めての味覚に頼義は舌鼓を打って堪能した。
宴も一段落して落ち着いた頃、穂多流が一緒に海岸を散歩しましょうというので、頼義は彼女に手を引かれて外へ出た。玄関では金平と光圀の二人が雑談一つ交わす事なくじっと仁王立ちのまま立哨を続けていた。
「お二人とも、ご苦労様です。後は直方様の家人の方が引き継いでくれますゆえ、お二人ともお休みください」
そう言われても二人は黙して動かない。
「もう、そんなに気張らないでください。武士たる者、休むのも修練のうちです。いざという時に疲れて動けないのであれば本末転倒でしょう」
金平はチラリと光圀の方を見る。どうやら金平はすでに宴席の盃に心が傾いているようだった。しかし光圀の方は「無用にござる」と静かに固辞する。頼義は少し「困った」と言った顔をして
「光圀どの、あなたは父の郎等ですので無下に命令を下すわけにも参りません。ですのでここは頼義のわがまま、どうかこの顔を立ててお聞き入れくださいませ」
こう頭を下げられては今度は光圀の方が困り果ててしまう。
「それならば、姫若のお言葉に甘えさせていただきまする。御免」
「はい。あ、あと」
「はっ」
「その、『姫若』という呼び方は、その、ちょっと……」
「は?」
光圀は頼義の言下の意味を汲み取れていない。
「頼義様はご幼少のみぎりは『姫』としてお育てられあそばされました。そして今は源氏の跡取りとして正式に家督をお継ぎになられるご予定のお方。なれば『姫若』とお呼びするのが至極当然かと。な、なにかおかしな事を申しましたかな?」
実に大真面目に心配そうな顔をしてそう言うので、頼義もそれ以上強く願い出るのも馬鹿らしくなってしまい、苦笑いでごまかしてしまった。
「では」
とそっけなく挨拶をして光圀は屋内へ向かう。金平の目には変わらず彼の表情は仏頂面に写っていたが、頼義の耳にはその足取りが軽く弾んでいるのが聞いて取れた。真面目一徹の朴念仁も酒は好きなものと見える。全くどいつもこいつも男という生き物は酒という飲み物に目がないものらしい。
「じゃ、俺も失敬して」
金平も後に続こうとする。
「金平は私たちに付き合ってください。折角なので一緒に相模の海の潮風にでも当たって参りましょう」
「えっ!?なんで!?」
金平がおあずけを食らった犬のように口を大きく開いて驚愕する。
「だって女子供だけで夜の海など危ないでしょう。ああ、あなたは私の家人なのですからこれは命令ですよ」
そう言ってしれっと頼義は手を差し出す。「そんなあ〜」と情けない声を出しながら金平は後ろ髪を引かれる思いで屋敷を振り返り、仕方なしに彼女の手を取って連れ立って海岸へ向かった。当てが外れたという顔をして穂多流もその後に従って行った。
平直方邸は海岸に面しており、正面の大門を抜けるとすぐ目の前に相模灘が遠く水平線まで見渡すように広がっていた。東には三浦半島が黒い影となって映り、西の海岸線には波打ち際に寄り添うように亀の甲のような丸い島がポツンと浮かんでいる。あそこがかつて役行者が修行し、慈覚大師が弁財天の神託を受けて社殿を創建したと伝えられている「江ノ島」らしい。頼義は穂多流から説明を受けるたびに興味深げにその形や色などを聞いたりを繰り返した。
「ところで」
適当な所で頼義はひたすら喋り続ける穂多流の口を止めて聞いた。
「先程からずっと物の燃えるような匂いが続いているように思えますが、どこか火事でも起こっているのでは?」
頼義はこの海岸に来てからずっと気になっていたことを聞いた。
「ああ気にするこたあねえ。ありゃあ『たたら』の煙の匂いだ」
穂多流が答える前に金平が言ってしまったので、穂多流は子供らしからぬ険しい顔で金平を睨みつける。
「たたら?たたらとはなんですか」
「山の斜面を利用して高温の火を起こして鉄を精製するためのもんだ。そうか、ここは鉄の産地なんだな。するとあそこにある社はさしずめ『妙見さま』ってとこかな」
「妙見さま?」
「ああ、『七星妙見』っていう星の神様なんだが、なぜか昔から鉄打ちの集落にはよく祀られてるもんだ」
「星の神様……」
金平はそう言って足元の海砂をひとすくいして、その砂をまじまじと見定める。
「ふん、赤砂が多いな。これじゃあ熱する時に黒砂と溶ける鉄の温度に違いが生まれて精錬するのに苦労するだろうに。ここの連中、大した腕前だな。『鉄穴流し』で選別してるのか。近くに川があるのかい?」
金平は穂多流に尋ねるが、穂多流は「つーん」と言って無視を決める。
「穂多流どの、この近くに川が流れているのですか」
「はいっ、北の保土ヶ谷を流れる川がありますっ。あっ、そういえばその川、『神奈川』と呼ばれていますわ。川のある都築郡には『鉄』という名の郷もあります」
頼義が同じ事を訊くと即座に答える。金平は(このクソガキ)と思いながらも、この地の製鉄集団の技量にしきりに感心しながら砂と遠くに見える「たたら」から伸びる幾筋もの煙を見比べていた。
「そういえば金平の家も古くから製鉄に関わる一族でしたね。流石に詳しい」
金平の本名は下毛野公平という。その本家は近江に所領を持つ「息長」氏であり、金平の父下毛野公時公が近江の坂田という土地に荘園を持っていたため「坂田公時」と名乗ったのがそのルーツであると頼義は教わっていた。
「おう、近江も鉄の名産地だ。だが近江の鉄はちょっと特殊でな。普通この国では鉄の原料はここみてえに砂鉄を選り分けて採取するもんなんだが、近江では『餅鉄』と言ってな、石コロみてえな塊の形で採取されるんだ。そのせいなのか、近江の鉄にはこんな特徴がある」
金平は抱え込んでいた愛用の剣鉾を鞘袋から取り出すと、その刀身を砂の中に突っ込んで、再び引き上げた。
「あっ」
穂多流が思わず声を上げる。その刀身にはまるで吸い寄せられるかのようにびっしりと黒い砂が一面に貼り付いていた。
「おかげでこいつを地面に落とすたびにいちいち刀身を拭き取らなくっちゃならなくて面倒なことこの上ないわけよ。こんな風にな、近江の鉄で精製した鋼には『鉄を引き寄せる力』がある。おかげで近江の鉄は『鉄を呼ぶ鉄』なんて呼び方をされるんだが」
金平は刀身に貼り付いた砂鉄を払って再び鞘袋に収めながら言った。
「今見た限り、ここの砂鉄は畿内で採れるものよりはお世辞にも質は高くねえ。だがここで見た鉄器類はどれもよそと比べて遜色ないほど良くできてやがる。それだけここの職人の腕がいいって事よ」
説明役をすっかり奪われてしまってご機嫌斜めだった穂多流の君だったが、最後に自分の故郷の人々が褒められたのが嬉しかったのか、しかめっ面を装いながらも口元をニヤニヤと歪ませている。
「つまりだ、少なくとも上総国の連中がこの鉄資源を欲して相模国を狙ってるというわけではなさそうだな。あいつらが欲しがっているものは何か別のモノって事だ。おいガキ、ここの地名は何ていうんだ?」
金平に「ガキ」と呼ばれて一瞬穂多流は歯を剥いたが、頼義が必死にとりなしてようやく機嫌を直し
「ここは古来より『七里ヶ浜』と呼ばれています」
とそっけなく答えた。