序
コン、コン、と音がする。
他に音は響かない。周囲は一寸先も見通せぬ暗闇が広がるばかりである。
コン、コン、と音がする。
暗闇の中に、チロチロと蛇の舌先のように揺れ動く三つのかすかな光がかろうじて見える。その三つの光の元から例の音は響いているらしい。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
規則正しく、ただひたすらに響き続ける音の主を探り当てるかのように、雲間に隠れていた月が暗闇に蒼い光を落とした。月の光に照らされて浮かび上がったその音の主は、闇が取り払われたことなどお構いも無しに、目の前にそびえ立つ杉の大木らしきものの太い幹に向かって「何か」を打ち込んでいるようであった。
異形である。冬の寒空の下ではさぞ寒かろう薄手の着物は紅花か何かで染めたものか、血のように深い赤一色で染め上げられている。手も顔も、肌が露出している部分は丹で塗り固められたものか、同じく真っ赤に色付けられていた。その頭にはどういう意味があるのか、煮炊きに使う五徳が逆さまになって鉄輪のように被られている。上に向かって突き出た五徳の前三本の足には太い蠟燭が突き立てられ、その火が先程から暗闇に浮かび上がっていたものと見える。
月明かりに変じた後も、その赤く染まった何者かは変わらず一心不乱に杉の幹に向かってコン、コン、と音を立てる。どれほどの時を費やしているものか、もはや本人ですらも知り得まい。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
コン、コン、コン、コン。
果てしない単調な音の連続の果て、ようやくその手が止まった。
その何者かは、少しずつ杉の大木から身を離し、幹に打ち付けたモノを睨みつけながら喉を鳴らして笑った。
「刻は来たれり。今こそ満願成就とあいなれり……!」
そう言って
「ふひひ、ふひひひひひ……」
と喉の奥をゴロゴロと鳴らすようにして笑い続けた。雲間が再び月明かりを遮ってその姿を隠していく。完全なる闇に戻る直前、月の蒼い光が最後に杉の幹を一瞬だけ照らした。そこには
一体の人形と、それに打ち込まれている無数の五寸釘が映っていた。
時刻は深夜。
丑の刻である。