哀れな事情
ああ、世の中地縛霊だらけね。あ、背後霊もすごいわ。
あの人なんて、四人も憑いちゃって肩が凝りそうね。
「貴司。あたし最近肩が重いの。金縛りにもよくなるし」
「おまえ霊でも憑いているんじゃないか?」
そうよ、私も背後霊だから。とっても不本意だけど、私はいま元カレの新しい女に取り憑いているところ。でも、誤解しないでほしいの。私は別にこの女に嫉妬しているわけじゃないのよ。生きている人同士、楽しく過ごせばいいじゃない、なんて思っているし。私が生きていた頃の彼氏にだって、ちゃんと幸せになってもらいたいから。
だから、はっきり言って背後霊になんてなりたい訳じゃなかったの。さっさと安らかに眠りたいのよ、本当は。
でもね、それができない理由があるの。
みなさんが死んだ時のために、説明してあげる。
ま、結論から先に言っちゃうと、お金は持って行きなさいね。
それだけは言っといてあげるわ。
そう、私が死んだのは二十七歳の春。トラックとの交通事故でドカン、と逝っちゃったの。再び目を覚ました時、私は駅のホームに立っていた。そこに三途の河を渡る電車がやって来たの。
不思議なことに私は自分が死んだ事をちゃんと理解していたし、これに乗れば死後の世界へ行けることも解っていたわ。だから何も疑わず、簡単な気持ちで乗り込んで、終点を目指すことにしたの。
「仏さん、乗車券を拝見します」
自分の儚い命に涙していると、電車の車掌さんがやって来たわけ。
「あの、私、切符を持っていないんですけど」
「ああ、そう。じゃあ、十万円だよ」
「は?」
「だから、十万円。まさか持っていないの?」
私が死んだとき、柩の中に両親が少しお金を入れてくれたけど、十万円も持っている訳ないでしょ。だいたい、三途の河って六銭が相場じゃないの?
そう思って車掌さんに話すと、軽く鼻で笑われたわ。
「困りますね、仏さん。これ、異空間通過用の特別車両なんですよ。あんな昔のぼろい舟と一緒にされちゃあ、困るなぁ。だいたい車両の運行費、維持費だって馬鹿にならないんだから。下界のように国から援助が出る訳じゃないしねぇ」
「でも、十万円も持っていないんだもの。払えないわ」
「あ、そう。じゃあ、ここで飛び降りて下界へ戻ってください」
「ええっ?」
「当然ですよ。だって運賃払えないんでしょう?」
「でも、あの。それじゃ、私死後の世界へはどうやって?」
「ああ、だから下界で地縛霊か背後霊になって、何かに取り憑いて下さい。それで除霊してもらって、供養してもらうんですよ。そしたら、三途の河を渡らずに、直接死後の世界へ行けますから」
「で、でも」
「はいはい、さよなら」
車掌さんは容赦なく、私を電車から突き飛ばしたのよ。そもそも既に供養されて成仏しているはずなのに、どうしてなの? しかも、こんなに若い身で死んでしまって悲しみに暮れている乙女なのに、少しくらい優しくしてくれたっていいじゃない。
本当に、全く容赦がなかったわ。思い出すだけで、腹立たしい。
そういうわけで、不本意ながら私は今、背後霊になっているの。
「ああ、本当に肩が重いわ」
「疲れているんじゃないか?」
「そうかしら、やっぱり」
違うのよ、違うの。私が取り憑いているの。早く気がついてよ。早く気がついて、除霊して供養してほしいのよ。
もう、鈍いわね、この女。
私はね、変な流血のドロドロした格好までして、あなたのことを驚かしたくないんだから。
そんな恥ずかしい、醜い事やりたくないのよ。分かるでしょ、この乙女心。
ああ、そう。だからあなたも、もしとり憑かれたら、とにかく早くその霊を解放してあげてね。流血のドロドロした恥ずかしい格好をさせる前に、その霊に気付いて、除霊して供養してあげてね。
おしまい