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第五話:目指す場所へ突き進む人に捧げられた願い

 峰々を覆い要塞都市の周辺を渡る風は、日を追って弱まっていた。


 季節は夏で雨季と重なるのに、雨が降らない。晴天が続き、星霜山に雲や雪は無かった。しかし標高の高い『霜巨人ヨトゥンの口』周辺は気温が低く、日光で氷が溶けるのは期待できない。


 風が弱まり魔晶石マナリスは減ったが、霧人鬼トロルたちが餓死して減少する気配も無かった。本来食べない『風の魔晶石』以外の鉱物や岩塩を齧ったり、これまで見向きもしなかった野生の鹿を襲う姿が目撃されはじめる。


 別の報せも入った。氷壁をつくった魔術師は、山脈向こうの隣国モノア国から出発していたのである。個人の冒険であり、集めた資金の出所も追跡しきれていないが、他国が陰にいた可能性が出てきた。貯水池と地下水で賄えているとはいえ、避難民の流入により要塞都市の人口も膨れ上がっている。最も恐ろしいのは、僅かな切欠で完全に『霜巨人の口』が塞がった場合だった。何が起こるか、誰にも予想が出来ない。


 クグヌト・ギタブ辺境伯により、騎士団をもって『霜巨人の口』の氷壁を破壊する決断が下された。完璧な最善の一手より、手荒い最速の行動を選んだ要塞都市は、短期決戦へ動き出す。


 命知らずの商人達は、今が稼ぎ時と武器物資を調達してきた。山郷の者達は道や風向きの他、水源や食料貯蔵所の場所を記した地図を伯爵へ献上する。家族を故郷へ帰すためだと、次々に道案内をも申し出た。要塞都市に暮らす者達には身分を問わず、魔晶石を供出せよと布令が出る。いざという時のために持っていた魔晶石を、人々は差し出した。


 一足先に脱出しようとする者と、まだ大丈夫と日和見する者と。この機会に勇気を金と栄達に替えようという者たちで、街は騒がしさを増していく。


 砦では出撃の準備が進んでいた。五個の千騎隊に、首都の援軍と道先案内人や輸送部隊まで含め、総勢六千人。騎兵は寒さと高山に慣れ、魔術に長けて体力のある二十代の若者が中心的に選抜された。機動を重視し、装備は毛皮の外套の他、最低限の武防具と食料。


 件の魔術師は強風による消耗を避け、馬車で物資を運ぶため山陰の迂回路を通った。けれど幸いにというか、風は凪いでいる。


 要塞から山脈へは、ほぼ直進する進路と決まった。街道と交易の峠道を抜け、垂直な崖に沿った険しい崖路へ入る。絶壁の横に刻まれた道は危険で、一人通るのがやっとなほど狭い。しかし最短距離であり、ここは霧人鬼も簡単に近付けないという遊牧民の経験則が参考にされた。馬車や荷車は使わず、馬のみが採用された。


 まず騎士団は星霜山の中腹に建つ、石造りの物見砦を目指す。ここを中継基地にするが、物見砦が使えなければ近くにある遊牧民の岩窟を使う。本隊が霧人鬼をおびき寄せ後方支援をし、突撃隊はそこから徒歩で山頂へ進む他なかった。


『霜巨人の口』へ到達し次第、魔術符カードで氷壁を破壊する。魔術符には、魔晶石マナリスから抽出された魔力マナを蓄積されていた。新型の発火魔術符イグニションは魔術の炎弾ボーライドに匹敵する熱を発し、呪文詠唱の必要が無く、設置して逃れた後に発動させることが出来た。ただし準備が間に合ったのは二百七十枚。理論上は九十枚で氷壁破壊は可能とされたが、理論の話しだった。実戦で用いられるのも初めてだった。


 変わり続ける状況の中、間違いなく起こる事故と事件。不測の事態や混乱に対処し、怨念が無い代わり交渉も降伏もしてはくれない霧人鬼と『霜巨人の口』を相手に、目的を達成しなければならなかった。


 街角の花売り娘は、そんなこと知らない。

 騎士団出発の日、ビゼルは白い石畳の坂を走っていた。ウーヒタ草で染めた、萌黄色の布を握り締めている。大通りは人で埋まっていた。花吹雪と歓声に包まれ、北の門へ向かう赤と青の旗がはためいている。


 息子のバズエムトに後を任せ紫紺のマントを靡かせた将軍伯爵に率いられて、花弁を多くの蹄が踏みしめ進んでいた。


 花売り娘は道の両脇に犇く人垣の向こうで、息を切らせて人を探す。中央後方にその人を見つけると、無我夢中で人を押しのけ道へ転げ出た。深緋色の髪の騎士が振り向く。ビゼルは馬に併走し、萌黄色の布を捧げるように差し出した。


 武張った土地柄、「御武運を」と言うのが習いとは知っていた。


「どうか、ご無事で」


 途切れ途切れに出たのは、違う言葉だった。

 赤髪の騎士は無言のまま、それでも手を伸ばし萌黄色の布は受け取ってくれた。隊列は整然と、北の門へ吸い込まれていく。これで終わりだった。


『妖精の盾』と言い伝えられるウーヒタ草は薬草で、染めた布は傷に巻けば出血を止め化膿を防ぐ。気休めでも、無いより良いのではないかと思った。だが去っていく隊列を見送った花売り娘は、次第に申し訳なくなってきて項垂れる。


 戦いへ赴く騎士が持つのは、美しく教養高い姫君の片袖や、金の指輪であるべきだった。

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