第四話:虚栄の魔術師が残した氷壁により訪れた別れ
調査部隊の報告によると、やはり『霜巨人の口』は氷で半分以上埋まっていた。
星霜山の山頂付近に開いた『霜巨人の口』は、烈風を吐き出し続ける巨大な岩の裂け目で、高さは三階建ての櫓に等しく、横幅は同じ櫓を五つ並べてまだ入る。
『霜巨人の口』を氷の壁で塞ぎ、五百年前と同じ天変を人為的に起こすという野心的な献策をした男は、優秀な魔術師で指折りの俊才でもあった。計画の土台となったのは、“風の魔晶石を摂取せずに一年以上を過ぎると、霧人鬼は動けなくなり死ぬ”という、彼の捕らえた霧人鬼の研究。
一度完全に風を止め、人馬を投入して領内の魔晶石を採取し尽くしてしまえば良いのですと、彼は言った。食物を奪われた霧人鬼は一時荒れるが、魔晶石を資金源に軍備を増強し打ち払う。霧人鬼が餓死して全滅すれば、交易は安全になる。耕作地は広がる。増えた富と軍事力により、中央への発言力と影響力も強まると主張した。
ギタブ辺境伯は、これを退けた。
過大な目標。増殖の仕組みも判明していない霧人鬼が、一年や二年で全滅するとの予想は楽観が過ぎる。鍵を握る『霜巨人の口』も人知の外。魔晶石の採取も費やす莫大な時間と労力に加え、大量に出回れば逆に価値暴落を招くと反対意見も出た。何より伯爵は、戦いを研究所の作業予定表のように語る者の策に、乗る気にはならなかったのだろう。
――風が止まったら雲が動かなくて、雨も降らないわ。作物にも虫が湧いて飢饉になるんじゃ?
花売り娘でも、それくらいは思った。
魔術師は、どうだったろう。
要塞都市を去った男は、自力で資金を調達してまで計画を実行した。成功の暁には栄光と一攫千金を得られると豪語していたので、勇気と自信はあったのだろう。危険は重々承知しており、細心の注意も払っていた。人を集めて山を調べ、準備した馬車は十八台。武器の他、風避けの障壁車と六十日分の物資食料が積まれていた。道程と作戦も三つ用意した。あいにく『霜巨人の口』が、四つめや五つめを出してきただけのことだった。
極月山脈の最高峰で、百五十名を襲った惨劇の仔細はわからない。
魔術師が狂気と正気の境で語った記憶では、まず貨物の多さで時間と負担をかけ過ぎた。そして『霜巨人の口』付近は八方横殴りの風で、這って進むしかなかった。必死で辿り着いた者達が氷の壁を築きはじめると、巣をつつかれた蟻のように洞窟の奥底から霧人鬼が出てきた。一人逃げ延びた男は山脈を一年以上も彷徨った末、精根尽きて死んだのである。
「花が欲しいんだ」
いつもの六叉路で若い騎士にそう声をかけられたとき、木陰だったにも関わらず、ビゼルは日射病みたいな目眩を覚えた。青い外套の青年は、深緋色の髪も立ち姿も変わらない。ただ気のせいか、少し表情の陰が濃く見えた。
消息筋の庭師を父に持つ花売り娘は、騎士団が『霜巨人の口』へ行くと知っている。しかしまだ正式に発表されていなかった。されていない以上は言えない。用途を尋ねた。今回も、仲間へ手向ける花が欲しいとのことだった。
死んだのは、晩春にここで花を求めた黒髪の壮年騎士。ビゼルと野次馬達が見物していた、戦闘の時だった。
要塞都市ソフォイには、高地の郷人や遊牧民も逃げてきている。
あの時も、だった。要塞の近くは安全と思われていた。そこへ霧人鬼十数匹が、崖を上って現れた。突然の事に逃げ惑う人々を門まで避難させた黒髪の騎士は、霧人鬼に馬を食われて逃げ遅れていた一団の救出へ向かった。そして散々に戦った末、部下の身代わりになるようにして死んだ。
時間が無くて弔いも出来なかったのだと青年騎士が話すのを、ビゼルは相槌も忘れて聞いていた。
『イルマクさん』という名だった壮年騎士が、好んでいた赤いダエラの花。有るかと尋ねられたものの、今は季節ではなかった。黄金色の巻毛の女騎士へ捧げた、白いメイトルの花も時期を外れてしまっている。彼女の『ナーネ』という名前が、青年の口から洩れ零れた。
どれが良いだろうと相談されたビゼルは、紺碧のセマリオの花を勧める。葉の形状が剣に似ていて、勇敢さの象徴だった。高地にしか咲かず、強い日差しに輝く青い八重の花。竜に跨り怪物と戦った伝説の騎士に準え、『竜騎士の剣』とも言われる。
セマリオを大きな束にして渡した後、差し出された金をビゼルは押し返した。せめてもの弔慰で、礼のつもりだった。彼らにとってこの要塞都市は故郷でもなければ、きっと知人や家族も住んでいない。命ぜられて辺地へ来て、戦っているだけなのだ。
しかもこれから、地獄のような『霜巨人の口』へ赴く。
花売り娘に代金を断わられた深緋色の髪の騎士は、ちょっと驚いた顔をしていた。それでいて、何か察したのだろう。山地の風で乾いた頬が、少し笑った。
「きみから花を受け取るのは、これが最後かもしれないな」
礼の言葉と微笑だけ置いて、青い外套は去っていく。六叉路の広場でビゼルは見送った。
また来てください、などと言えない。
彼が来るのはいつも、異郷で散った仲間達へ花を手向けるためだった。




