第二話:霧人鬼は魔晶石を食い青年は花を手向ける
要塞都市への王命による騎士団派遣は、記録に残っているだけで二十五回行われている。
十八回は隣国への牽制、防衛が目的だった。霧人鬼討伐の派兵は、二百年ほど時代を遡らなければならない。
大陸の最大国家、ミオルヴェ王国の首都シャージェは温暖な穀倉地帯で、蒼い大河の下流にある。山が低く、海は彼方まで輝いていた。栄華を極め、壮麗さは世界に比類ない。そこから風の吹きすさぶ天空の要塞都市へ送り出された騎士たち。彼らが戦う相手は、霧人鬼だった。
霧人鬼は人間の倍ほどの巨体で、上半身が発達し腕が長い。蜻蛉そっくりの頭部は大きく、複眼状の目は薄水色。全身が白い甲羅で覆われ、甲羅には鋭い棘がある。腕は鋼の剣もへし折り、険峻な崖を山羊のように駆ける。意思の疎通は出来ない。昆虫の亜種と考える学者もいるが、最高峰『星霜山』の『霜巨人の口』で生まれる精霊だと言う者もいた。謎が多く、雌雄の別すら不明である。
ビゼルも霧人鬼を見たことがあった。
父や庭師仲間達と、隣町へ種子の買出しへ行った折である。渓谷を渡る吊り橋があった。背負子の負荷を感じながら足元を見つめ、風に揺れる吊り橋を進んでいたとき、仲間が甲高く叫んだ。
指差す先で、二足歩行の巨大な白い生き物が斜面をゆっくり歩いていた。腕を垂らし、頭が重いのか前屈みで、猫背にも見えた。霧人鬼は振り向き一度止まったが、人間に興味を示さず山中へ消えていった。
このように化外の者達は、必ずしも脅威ではない。
霧人鬼の食物は、『風の魔晶石』と決まっていた。
大気中の魔力が岩場などで吹き溜まり、結晶化した魔晶石は金槌で叩いても易々と砕けない。色も形も性質も種々雑多で、特に無色透明な『風の魔晶石』を、霧人鬼は芋を齧るように食す。もし霧人鬼に会ったら投げて寄越す用に、風の魔晶石は旅人達の御守とされた。
ただ稀に、風の魔晶石を一定量食べ損ねると、霧人鬼は雑食化した。極端に凶暴になり、農作物や家畜の他、人間も襲った。しかし霧人鬼が満足するのは『風の魔晶石』のみで、他の何を食っても止まらない。まともに食べてもおらず、食べ方さえわからないようであり、行為は破壊や解体に近かった。
そして今、山脈の風はゆるみ魔晶石が減っている。
腹ぺこの霧人鬼達は、まだ要塞都市の周辺まで来ていなかった。
交通網は封鎖や寸断をされず、物資食料も充分に保たれている。街中のビゼルに届くのは、どこかの山郷が襲われたとの噂。街道に霧人鬼が二十匹も出て、駆けつけた騎士八騎が討伐したという武勇伝。要塞の外へ出るのは可能な限り避けるように、といった通達だった。
「今年は新しい種を買いに行けないね」
父と食事時、そんな話しをして過ごしていた。
ソフォイの空は、まだ春の色。
その日も、人と車馬の行き交う六叉路の広場で、ビゼルは花を売っていた。
風で花桶からふと零れ落ちた花を拾う。顔を上げると、あの深緋色の髪をした若い騎士が立っていた。現れ方があまり急だったので、ビゼルは意味もなく笑ってしまった。青年騎士も人懐こく笑い返した。
咲き零れる花々を眺め、見事なものだと騎士は褒める。
花が有名とはいえ、豊かな中央の首都と、東の山岳辺境にあるソフォイは比較にならない。シャージェでは珍しくもないでしょうと、花売り娘は苦笑した。
しかし騎士は都の者と思われたのが心外だったようで、自分はシャージェの出ではないと言った。北の氷河に近い港湾都市ロイデニスが生地だと打ち明け、語り口の情熱からして故郷は誇りでもあるようだった。
地方の騎士階級は生活が苦しい。彼も故郷では食べていけず、首都へ出たクチなのだろう。幸いにも出世して、王城騎士団へ配属されるまでになった。並の才能ではなかったに違いない。だが霧人鬼の討伐隊に選ばれてしまった。武勇で名を馳せる辺境伯と騎士団をもってして、未だ鎮撫されない霧人鬼の雪崩。恐れをなして逃亡した者もいると聞く。
北方生まれの騎士は、台車の白いメイトルの花に目をとめ一束くれと言った。甘い香りで、若い女性に好まれるメイトルの花。釣鐘型の可憐な姿は、おとぎ話に登場する聖女が持つ杖を連想させることから、『聖女の杖』の別称を持つ。ソフォイでは恋人が贈り合うことも多い花だった。贈り物ですかと、普段の調子でビゼルは尋ねた。
「手向けの花だ」
以前の黒髪の騎士と、同じ答えだった。
手向けられる人は、あの黄金の巻毛も美しい女騎士だった。青年と故郷が近く、騎士団に入る前から知り合いで戦友だった。彼女は街道の霧人鬼を退治した、八騎の内の一騎だった。戦闘中に致命傷を負い、落命したという。
「花なんか似合わないと言って、笑うだろうな」
深緋色の髪を陽に透かし、若者は空へ呟いていた。彼女が花なんか似合わないと笑う対象は、手向ける騎士の青年なのか、手向けられる女性自身か。
血の一滴も見えない喧騒と風の中、ビゼルは美しい人に訪れた死を見送った。