第一話:要塞都市の花売り娘は異郷の騎士と出会う
ビゼルの住む要塞都市ソフォイは、大陸最大の国家ミオルヴェ王国の東端に位置する。常に風が吹く高原の、雲を侍らせる山岳にあった。
要塞都市の北には、極月山脈が尖った高峰を連ねている。ここは霧人鬼が数多棲んでいた。
蜻蛉そっくりの頭部と、白い甲羅を纏った人外の者達は深い山中に潜んでいる。霧人鬼は魔力が結晶化した『魔晶石』の中でも、『風の魔晶石』だけを常食する。そのため大気に含まれる魔力が風に運ばれ、豊富に魔晶石を形成するこの地に太古の昔から住んでいた。そして時折、雪崩のように駆け下りて来て、家畜や人々を襲う。
五百年前の戦乱期、霧人鬼達は荒れた。
『霧巨人の口が雪で埋まり、風が凪いだ』と、ミオルヴェの史書にある。風が弱まったため、魔晶石が減ったのだった。民と国を守るため、当時の王は要塞を築いた。隣国モノアとの境界の近さも、建設の推進力となり、以来要塞都市は少しずつ拡大している。
異変が訪れたのは、一年前。
霧人鬼の襲撃が頻発し始めた。村や隊商が襲われたとの伝令鳥が、次々舞い込む。
――極月山脈の風が凪いでおります。
王城の魔術師達は、女王シファラダへ告げた。
女王は要塞都市へ、一個万騎隊に王城騎士団の精鋭を加えて派遣した。
ところで要塞都市を守護するのは、ギタブ辺境伯である。
ウンムルト領一帯を治め、領主のクグヌト・ギタブは銀髪の大男で勇猛の誉れ高かった。
シファラダは十七歳で即位し病死するまでの十一年間統治し、クグヌトも後年王国を背負い各地で奮戦した末に獄死するが、生涯二人が直接顔を合わせたことは一度も無い。それでも両者の間には、不思議な信頼のようなものがあったらしい。
四年前、隣国の侵攻を撃退した辺境伯に、女王は将の最高位『太白将軍』と紫紺のマントを与えた。都の官吏貴族は反対したが、若き女王は民衆からの絶大な支持を背景に実行したのである。
栄華に酔いしれる王城の奥でシファラダは一人、衰退を感じ取っていた。だからこそ国で唯一将軍の名に相応しい男を重用し、追い風になろうともした。伯も戦勝記念碑を女王に捧げた。クグヌトが『碑』を建てたのは、後にも先にもこれ一度きりである。
ギタブ家は都の煌びやかさを遠ざけ、質実剛健を旨としている。領地は七百年前まで独立国であり、時代が下っても半独立国の様相を呈していた。
こういう土地で一つ贅沢と呼べるのが、『庭』だった。気候、地質共に植物の育成にはあまり適していない。それでも伯爵家は広大な庭園を持ち、代々造園や花作りを奨励してきた。土壌の改良研究に加え、将兵を慰安する意味もあった。今やソフォイの花作りは、伝統に達している。
堅固な巨大要塞は壁が引き締まった黒で、人の服装から街並みまで色は少なく、敷石は白に統一されていた。けれど壁内は風穏やかで水が流れ、草木と花々が繁茂する。訪れた商人や旅人達は誰しも、天空の絶景と豊かな緑を賞賛した。
そしてビゼルの父は、伯爵家の庭師の一人だった。
枯れかけていた花も、父が土をいじり少し手をかければ生気を取り戻す。魔術も使わず奇跡を起こす庭師は仲間に一目置かれ、領主の覚えめでたかった。長年の功績もあり、伯爵邸の庭の花のうち数種の採取と販売まで許されている。
花を売るのが、ビゼルの仕事だった。
花桶を乗せたビゼルの台車が街の六叉路に来ると、人が集まってくる。
ソフォイの街で『庭園の花』と言えば、伯爵邸の庭の花を指し、手頃な値段と質の良さで知られた。愛の告白から別れの挨拶。病人の見舞いに慶事まで、様々な理由で求められる。
荷車の音と、諸国の言葉。隊商が行き交う国境の巨大要塞都市。
季節は遅い春。露天の花売り娘の前で、三人の騎士が足を止めた。
男性が二人に、女性が一人。膝まで覆う長靴に、金の紋章が付いた青い外套を羽織り、長剣を帯びていた。足捌きまで洗練されている。もしやと尋ねれば、首都シャージェから来た騎士団だと黄金の巻毛も美しい女騎士が教えてくれた。
宝石の如きと謳われる首都を離れ、遥々要塞都市まで赴いた騎士たち。騎士は戦いが本分だが、到着するなり戦いへ直行し今まで街の見物も出来なかったと聞いて、花売り娘は気の毒にも思った。
すると花を吟味していた黒髪の騎士に、真紅のダエラの花を求められる。桶の全部が欲しいと言った。すらりとした男性は四十歳前後の風貌で、顎鬚を生やし貴種があった。
ダエラは国花であり、国章にも用いられている。大輪の華麗さと、この花を愛した初代ミオルヴェ王の逸話にちなんで『英雄の杯』と称される。祝いの花かと思えば、そうではなかった。
「手向けの花だ」
霧人鬼討伐で倒れた、同郷の仲間への花だった。
運びやすくなるよう、ビゼルは紐で束ねて花を差し出した。黒髪の男性は背後へ目配せする。後ろにいた青年騎士が、荷物係だった。同じ騎士でも彼は最も若いか、階級が低いのだろう。
「人使いが荒いんだよなぁ」
深緋色の髪をした騎士は頭をかく。巻毛の女騎士が笑ってその肩を叩いていた。青年は花売り娘から大きな花束を受け取り、律儀に礼を言う。
三人は春の六叉路を、東門の方角へ去って行った。