先生、好きです。
なんちゃって中世っぽい世界観なので、雰囲気で楽しんでください。
石畳の大通りを歩くと、人の活気に溢れていた。
今日は秋祭りだ。
陽気な音楽に合わせて踊り、今年の収穫に感謝して来年の豊作を祈る。そして、葡萄酒や伝統的な料理や菓子をを食べたり飲んだりするのだ。国の中では辺鄙なこの村でもポピュラーでとても盛り上がる行事である。
お祭りであるから、もちろん出店が立ち並ぶ。その中でひっそりと端に佇んでいる屋台で、たくさんの飴玉を買った。大粒でとても甘い。そして日に当てるときらきらと虹色に見えて、きれいなのだ。私はこの飴玉が好きだ。そして彼も。
人の波をかき分けながら、狭い路地に抜けた。しばらく道なりに進むと、広い葡萄畑が視界一面に広がった。胸の中につんとした香りが膨らむ。彼の家まではあと、ここをまっすぐ行くだけだ。紙袋いっぱいに入った飴玉を零さないようにしながら、荒れた道なりを進む。早く走っていきたい気持ちを抑えてゆっくりと歩いた。いつもならば葡萄を育てているおじいさんとおばあさんと顔をあわせるのだけれど、今日は見かけなかった。もしかしたら家で孫たちに手料理を振る舞っているのかもしれない。
長い長い道の半分くらいまで来たときに、一台の馬車とすれ違った。一瞬だったが、綺麗な余所行きの服でおめかしをしている女性とその相手の男性が見えた気がした。同年くらいか、少し年上だろうか。自分とは違う世界にいるような気がして、もっと大人びて見えた。これから王都にでも行くのだろうか。
踵の低い靴をすり減らして、歩く。
彼の家はあと少しの所まで来ていた。
+
その家は、村を少し見下ろせるくらいの小さな丘の上に立っていた。
ノックを数回して、大きく声を出した。
「先生! フィンです」
また書斎にこもっているのだろうか。返事がない。だけど、いつものことだから気にしなかった。
先生は書斎に入りびたると、周りが見えなくなる。それだけならまだしも、自分のことすら無頓着だから一日二日平気でご飯を食べなかったり寝なかったりすることが多い。最初にそれを本人から聞いた時は、心配だったけれど、倒れたり病気になったりすることはないらしい。
一瞬のようで、永遠と長いように感じる。
いつも扉が開くまで、どうも落ち着かない。
そして今日も扉が開かれることに胸がほっとした。まだ自分はここに来ても大丈夫なのだと実感する。
「おはようございます。今日は秋祭りですよ。はい、これお土産です」
紙袋を彼の前に差し出すと、先生は眉をひそめた。
「……ああ、ありがとうございます」
先生は白衣のポケットから手を出し、頭を無造作に掻く。これは彼が何か言おうとしている癖だ。
「あれ……先生の好きな飴ってこれじゃありませんでした?」
「いえ、あってますよ。ただ……もう秋祭りになったのかと驚いているだけです」
中へどうぞ。お茶を入れますよと先生の言葉に私は頷き、家の中に入った。全体的にこじんまりとしているが、余計なものは置いていない。彼は無駄なことが嫌いなのだ。
テーブルの上に紙袋を置き、椅子に腰かけた。テーブルに置かれている花瓶には、一輪の茶の花が生けられていた。
「またずっと引きこもっていたんですか?」
「ええ、ここ三日ほど。少し気になることがありましてね」
はい、どうぞ。先生から赤色のマグカップを受け取った。
「ありがとうございます」
私は、飴玉を一つ口の中に入れた。甘い。ころころと舌の上で転がして弄ぶ。
「先生」
「何でしょう?」
「今日は秋祭りです」
「はい」
「そして私は一人です」
「はい」
「ですから先生と行きたいです」
「残念ですが、諦めてください」
「今年もですか」
「はい」
「去年もでしたよね」
「はい」
「いつになったら一緒に行っていけますか」
「さあ、いつでしょう」
「はぐらかさないでください」
「はぐらかしていませんよ」
「先生」
「はい」
「好きです」
「はい」
「先生」
「はい」
「好きなんです」
「知ってますよ」
先生はお茶を飲み終えたのか、立ち上がりカップを洗い始めた。私はそれを見ながら急いで飲み干して、彼の隣に立った。
「私は先生と行きたいです」
「まだ仕事が残っています」
私はわざと先生を睨んだ。それでも、彼は気にする様子はなかった。
「まあ、私はこう見えても忙しいのですよ」
「知ってますよ」
先生は薬を作っている。効き目が強く副作用がない先生の薬は、村の皆から評判だった。その評判が広まって、今では王都からわざわざ買い求めてくる人もいる。
「先生。私こう見えても、もう少しで成人するんですよ」
「成人ですか。おめでとうございます」
この国では、十六歳になれば成人とされる。冬になれば、成人の儀式が行われるのだ。
「君もとうとう成人ですか。時が立つのは早いものですね」
「……先生」
「はい、何でしょう?」
洗い物が終わり、彼はまた席に着いた。私もつられて座る。
「私はもう子供じゃなくなります」
「そうですね」
「それでも、駄目ですか?」
「成人になっても、私から見ればまだ君は子供です」
「いつになれば、子供じゃなくなりますか?」
「さあ、いつになるのでしょうか。よく分かりません」
おとぼけたような返事しかしない彼のことが、なんだか憎らしい。
「先生でも分からないことがあるんですね」
「そりゃあ、人間ですから分からないことだらけです」
そういって先生は笑った。擬音で例えるなら、くしゃっとした笑顔。笑うとしわがよる。私はそんな彼の目尻好きだ。
+
私は先生の年を知らない。それだけでもなく、名前も知らない。彼が名乗っているところを聞いたこともないし、私が聞いたこともないから当たり前のことだった。物心ついたころから先生と呼んでいた。先生というのは名称にすぎないことを知っているけど、私は彼の名前を知っていたとしても私の先生であることには変わりないのだから先生と呼んでいるだろう。名前はそれほど大切じゃない。
「先生」
「はい。なんでしょう」
「私春になったら王都に行くんです」
「王都の大学に行くんですよね。おめでとうございます」
先生に褒められるのは嬉しい。もっと褒めてほしいと思う。自分で言うのも恥ずかしいけれど結構勉強はできる方なのだ。
先生の影響で薬学に興味があった私はもっと薬学を極めるために王都に行くことを決心した。先生の隣に立てるように。
「寂しいですか?」
「そんなことありませんよ」
「そこは寂しいっていうところですよ」
「いずれ子供は外の世界を見に羽ばたいていきます。それは寂しいことじゃなく、むしろ素晴らしいことだと私は思ってますよ」
「私は先生に会えなくなるのが寂しいです」
「たかが数年ですよ」
「気軽に会えないじゃないですか」
「長期休みの時に帰ってきたら会えますよ」
「やっぱり行くのやめようかな」
「それはだめです」
「どうしても?」
「どうしても」
先生は大人だから。
先生は優しい人だから。
先生は先生だから。
私にとって一番いいであろう未来の選択肢へ導く。私だってそんなことは分かっている。分かっているけれど、これで諦めるほど簡単じゃない。
「先生、好きです」
「私も君のこと好きですよ」
「それは子供に対しての好きですよね。私は本気で好きです」
「君の好きも身近な大人に対する好きじゃないですか?」
先生と目が合う。じっと私を見る先生から目を逸らせなくて、ひゅっと息をのんだ。
「試してるんですか?」
「どう思います?」
「質問を質問で返さないでください」
「すみません。君があまりにも必死だからつい……」
「つい?」
「試してみたくなりました」
先生は私の好きな笑顔を浮かべて、紙袋の中から飴玉を取り出して口に入れた。君もどうです?という目線が送られるが、私は首を振った。飴を食べられるほどの気楽な場面じゃないのだ。乙女の勝負どころである。
「先生は私の好きが憧れと勘違いしていると言いたいんですか?」
「そこまでは言ってませんよ。ただそれに近いものであると推定しています」
先生の言葉にちょっとむっとしてしまうが、反応してしまえばまた子供扱いされてしまうから、黙った。
「小さい頃から君は先生と言って慕ってくれました。まるで家族のように。今もその気持ちの延長線上にあるのではないかと思うのです」
確かに私は小さい頃から先生に付きまとっていた。家族のように大切だ。
――でも。
「確かにそう思われても仕方ないかもしれません」
それでも違うのだ。
例えば、綺麗な花を見た時、おいしそうな食べ物を見た時、素敵な洋服を見た時。先生は好きかな、先生は喜んでくれるかな、先生は綺麗だと言ってくれるかなと。
例えば、テストでいい成績が取れた時、良いことをした時、進学が決まった時。先生は喜んでくれるかな、先生は褒めてくれるかな、先生は私を好きになってくれるかなと。
いつだって頭の中に浮かんでくるのは先生のことだ。
これが好き《like》じゃないのは、この胸の鼓動が証明している。
今日だって、私なりにおめかしをしてきたのに先生は気づいていない。
もっと私を見てほしい。もっと私に気付いてほしい。もっと私を好きになってほしい。
これは私のエゴだって分かっているから、私は絶対に言わない。
言わないと決めていたのに。
「どうしました?」
急に黙ってしまった私を不審に思ったのか、先生は首をかしげた。
なんでもないと首を横に振っって、テーブルの上に置いてあった飴玉に手を伸ばしたけれど、遮られた。
「……なんですか。離してください、先生」
「なんでもないわけないでしょう。それなら、どうして君はそんなに泣きそうな顔をしているのですか」
しまったと思い、思わず顔をしかめた。
隠せていると自信があったのに、どうして彼の手にかかればすぐにばれてしまうのだろう。
小さい頃からそうだった。先生のフラスコを割った時も、親に怒られた時も、友達と喧嘩した時も、隠そうとしたことは全てお見通しなのだ。
「だって先生が」
「はい」
「意地悪だから」
「うん」
「私だって考えたよ」
「うん」
「いっぱい悩んだけど」
「うん」
「でも違くて」
「うん」
ぼろぼろと涙がこぼれて喉が詰まる。こんなかっこわるい姿を先生に見られたくないのに、止まらない。言葉と一緒に溢れてくる。
「好きなのに」
「うん」
「どう伝えたらいいか分からないから」
「うん」
「でも好きなの」
「うん」
「初めて好きになったの」
「うん」
先生は、泣きじゃくる私の頭をそっと撫でた。
+
泣き終えた私に、先生は温かいココアを出してくれた。
私は恥ずかしく思いつつも、ありがたく受け取った。ほんのりとした甘さが身に染みる。
「私は実は臆病で愚かな人間なんですよ」
「先生が?」
「はい。自分の気持ちを優先するばかりに、たった一人の女の子を泣かせてしまう馬鹿な男です」
「それは――」私が勝手に泣いただけで。
私が言おうとした言葉を察したように、先生は首を振った。
「昔から私を慕ってくれる小さな可愛い女の子がいました。その子は成長して綺麗になりました。いずれ彼女は素敵な人と出会って結婚するでしょう。その事実に気付いたとき、ちょっと胸に引っかかったのです」
先生は頭を無造作に掻いた。
「いつか彼女が結婚するのではないか、いつか彼女が他の人とお付き合いするのではないか、いつか彼女が私の家を訪れなくなるのではないかと不安でいっぱいになりました。今日だって折角の秋祭りですから、こんなつまらない男の家に来ないだろうと思ってました」
そんなことはない。
「それなのに君はいつも通り無邪気に現れるものだから、つい魔がさして意地の悪いことをしてしまいました」
そう言って先生は私の隣に座った。
「すみません、フィンさん。泣かせるつもりはなかったんです」
「大丈夫です。その、先生ってもしかして――」
先生は私が見たことない妖しい顔で笑って、人差し指を口元に当てた。
「今は言いませんよ」
「いつなら言ってくれるんですか?」
「さあいつでしょうね」
「はぐらかさないでください」
「はぐらかさしていませんよ」
先生が私の耳元でそっと囁く。
――君が戻ってきてまだ私を好きでいてくれたら、ね。
急に距離を縮められたため、思わず肩をびくりとさせてしまった。
そんな姿を見て、先生は笑った。
また子供だと思われただろうか。
先生は私を甘く見ているらしい。
今までずっと片思いしてきたのだから、諦められるわけないのだこの恋を。
先生はドSです。