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そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,04 / Chapter 06〉

 マルコは考えていた。

 誰もいない海の底で、ずっと、ずっと、同じことばかりを何度も。

 彼女はここで、なにをしているのだろうかと。

 ここは彼女の心の世界。この海は、彼女の心が置かれた現状そのもの。


 美しく、清らかで、何もない青の世界。


 発狂してしまいそうな、絶対的な孤独。そんな中で、彼女は、それでも堕ちずに自分を保っている。

 もしも自分なら、と考える。一人きりの空間で自分を保つために、何をするだろうか。本や遊具の類もない。できることと言えば、楽しいことや、好きな人のことを考えるだけだろう。延々と続く時間を、必死に空想で埋めようとするに違いない。

 しかし、この世界はあまりに深い。思い耽るだけで足りてしまう、底の浅い孤独とは違うのだ。

 彼女には、なにか、とても大きな心の支えがあると思った。

 その支えとは何か。

 答えが出ないまま、もう何度も、はじめから考え直している

(……やはり、彼女の心を支えているのは思い出か何かだろうな。とすれば、それはきっと、楽しい思い出に違いないだろうが……)

 そこまで考えて、ふと、妙な違和感に気付く。

(……あれ? いや、違うな……。思い出が心の支えになるとしたら、なぜ、彼女は名前を……)

 自分の記憶をたどってみる。

 楽しい思い出、嬉しい思い出、ちょっと気恥しい思い出――すべての思い出に、必ずそれは存在する。


 おめでとう、マルコ。

 マルコ、ありがとう!

 まあ大変、マルコさまったら、こんなにずぶ濡れで……。

 マルコ、昨日は楽しかったな! 今度の休みはどこに行く?

 えっ? マルコ君、まだアレやったことないの⁉

 なあマルコ、帰りにどっか寄ってこうぜ!


 父が、兄が、ばあやが、クラスメイトが、同僚が、友達が――みんなが、自分の名前を呼んでくれている。

 その瞬間に見た彼らの笑顔も、しっかりこの目に焼き付いている。

 自分の名前と、それを呼んでくれた人の顔と、その瞬間の嬉しい気持ち。それらが一つになってはじめて、ただの記憶は『思い出』に昇華する。それは絶対になくしたくない、形のない宝物だ。思い出を大切に思うのなら、自分の名前を手放すはずがない。

「……貴方は……」

 まさかと思う反面、奇妙な確信を覚えた。

 おそらく今、自分は彼女の気持ちを理解できている。

 何の根拠も無いのに、漠然とそう思う。

「貴方は……『未来』を欲しているのですか?」

 水が揺らいだ。

 微かだが、確かに今、この青い世界に反応があった。

 マルコは海底に横たえた体を起こし、はっきりとした声で問いかける。

「貴方は、名前とともに過去を捨てた。違いますか?」

 また、水が揺らいだ。

 先ほどよりも強く、はっきりと。

 マルコは確信する。

 この水が何の濁りもなく、光も影も持たぬ理由。それは彼女が、過去の遺恨を何もかも捨て去っているからだ。

 彼女は、過去にすがって自分を保っていたのではない。

 過去を捨て去って、真っ新な状態で、いつか来る『未来』を待ち続けていたのだ。

(そうか……わかったぞ! この水は、彼女の精神世界のイメージではない! この水が……この水自体が、今の彼女そのもので……)

 マルコは立ち上がり、両手を広げた。


 さあ、おいで。


 言葉にせずとも伝わるように、その気持ちを、大げさすぎるくらい全身で表す。

 すると、水が応えた。

 激しく、叩きつけるように。

 体が引きちぎられるのではないかと思うほど、強烈に、狂ったように。

 渦巻く水流に揉まれ、マルコの体は出鱈目な動きできりきり舞いした。だが、不思議だった。そんな状態でも、マルコに恐怖はない。それどころか、むしろ楽しくて――。

(分かる……彼女が喜んでいるのが、伝わってくる……。そう、彼女は待っていたんだ……)

 彼女が待った『未来』とは何か。いったい何のことなのか。その答えは、これ以外には考えられなかった。

 激流の中、マルコは必死に声を上げる。

「私は貴方に名前を付けたい! これから先! 何度でも! いつでも貴方に呼びかけられるように! どうか私に、貴方の名前を付けさせてください!」

 水の流れは変わらない。それでもマルコには、声なき声が伝わった。

「いいよ。なんていうの?」

 玄武の声とは違う。これは頭に直接響く声ではない。全身に接しているこの『水』そのものが、自分の体の水分を共振させているのだ。

 体に直接響いた声に、マルコは波音の正体を悟る。

(そうか……あれは……)

 血の巡る、生命の音。

 それは胎内で聞こえる音に、極めて近いものだった。しかし、人間に胎児のころの記憶はない。マルコが自身に対し、明確な答えを提示することは不可能である。

 けれども、今はそれで十分だった。

 ただ漠然と感じる懐かしさ。その懐かしさこそが答えであった。

(そう……『神』も生きている……我々人間と、体の作りは違っても……)

 生まれ変わる日を待ち続けた命。

 自分は今、その誕生に立ち会うただ一人の者として、最高の栄誉と最大の責任を与えられるのだ。

 マルコは覚悟を決めて、その名を口にする。

「貴方の名前は『サラ』。まだ誰も歩いたことのない、真っ新な道を往く者。サラ、お願いします。どうかこれから、新たな時代の神として、私たち人間を導いていってください!」




 ドクン……――そんな、心音めいた音が聞こえた気がした。




 午後十時、スフィアシティの駅前通りに、ベイカーらを乗せた馬車が到着した。昼間と違い、今度は特務部隊のエンブレムが付いた戦闘用車両である。

 軍用ゴーレムホース六頭立ての大型車は、戦車と形容したほうが相応しいかもしれない。砲台、機銃、レーザー照射機、各種レーダー類――その他大小様々な兵器が搭載された馬車を見て、道行く誰もが振り返っている。

 そんな人々の反応に、車中のロドニーは盛大にぼやいていた。

「あ~あ~。野次馬は楽しそうでいいよなぁ~。ったく~。どうせもう一度ココ来るなら、今度は整形してない子指名したかったのになぁ~」

 結局、昼間の嬢はアデリーナとは別人だった。それも残念なことに、顔面整形と豊胸手術で『見ようによっては美女に見えなくもない状態』にしてあるだけの、どこにでもいる普通の町娘だったのだ。

 アデリーナではないか、という疑惑が浮上したのは、嬢のプロフィールが原因だった。このイメクラ嬢とアデリーナは、同じ町で同じ年、同じ日に誕生していたのだ。イメクラ嬢本人から、客としてやってきた雑誌記者に生年月日と出身地を教えたとの証言も得た。

 噂の出どころも判明し、任務はほぼ終了。あとは本物のアデリーナの所在を確認すればミッションコンプリート――と、思っていたのだが。

「しかしまあ、よりにもよって、なんでこんな風俗街にカミサマが……」

 ロドニーのボヤキに、ベイカーが答える。

「この街が風俗店だらけになったのはここ数十年の話だ。青龍はそれ以前から、ずっとここにいたはずだぞ」

「そりゃ分かってますけど、なんつーか、ロケーションが……」

「ああ……あまり、神々しさは感じないな……」

 雨に煙る風俗街。ショッキングピンクのネオンサインに照らされて、重武装戦車で四神の一柱にアポなし家庭訪問を敢行しようというのだ。

 どこをクローズアップしてみても、神聖さとは程遠い絵面である。

 生温いテンションの二人に、グレナシンが声を掛ける。

「ちょっとアンタたちぃ~? シャキッとしてないと、お尻に気合注入するわよ~?」

 反射的に背筋を正し、二人はやや内股気味に答える。

「はいボク元気でーすっ!」

「やる気満々ミナギリマァァァーックス!」

「ん! いいお返事! それじゃ、入口ぶち開けるから覚悟なさぁ~いっ!」

 ほんの一瞬、月桂樹の香りとともに、グレナシンの横顔にもう一人の顔が重なって見えた。

 グレナシンとほぼ同じ顔立ちながら、肌の色や触角の有無など、種族的特徴が異なるその横顔。かつて地球で『月夜を司る神』として君臨していた男、ツクヨミである。

 神と人とが何の懸隔もなく、一つの存在として存在する。

 完全覚醒とはこういうことだと、不完全な二人に見せつけるように力を使う。

「闇よ、万障を塗り込めよ!」

 たったこれだけの祝詞で、周囲に闇が立ち込める。

 玄武の心が作り出した黒い霧とは『濃さ』が違う。これは一切の光が存在しない、真正の闇。祝詞の通り、今まで見えていたすべての境界が消えた。

 どこまでが自分の体で、どこからが腰を下ろした馬車の座席か。

 吸って吐き出す空気すら、得体の知れない何かに変わる。

 視覚情報が断たれただけなら、他の感覚を総動員すれば問題ない。ロドニーやベイカーのような獣人系種族は、聴覚と嗅覚だけでも、人型種族と同等か、それ以上の行動ができるものである。

 けれども今は、それができない。

 ロドニーには、すぐ隣に座っているはずのベイカーの気配が感じられなかった。

「……隊長?」

「なんだ?」

「あ、良かった、いた」

「お前、まだ五感のほうを使っているのか? 感覚を切り替えろ。そうすれば見えるから」

「え? そうなんですか? それじゃ、えーと……」

 宿舎から、遠く離れた場所にいるマルコの姿を見たように。ロドニーは常人には持ち得ぬ六つ目の感覚器官で、光の無い『闇の中』を覗き込む。

「あ、見えた!」

 先ほどまでと何も変わらぬ馬車の中――と、言いたいところなのだが。ロドニーたちの外見は大きく変化していた。

「あれっ⁉ 俺、なんで狼になってんだ? っていうか、毛色! 茶色じゃない! なんで⁉ 冬毛でもないのにこんなに白かったら、目立ってしょうがねえっつーの!」

「落ち着け、それはお前というより、お前の中にいるオオカミナオシのヴィジュアルイメージだ」

「あ、そうなんですか? それじゃ、隊長たちの服装も……?」

 グレナシンのほうはいかにも神々しい長衣を纏った姿なのだが、ベイカーのいでたちは、どういうわけだか趣が異なる。

 ストレッチエナメルのSMプレイ用ボレロ、布面積が少なすぎるTバックビキニ、スタッズまみれの編み上げサイハイ厚底ブーツ。臍と乳首にはピアスまでついている。

 これはどう見ても、『SM雑誌の表紙モデル』の衣装だった。

 ベイカーはロドニーの問いに、とても残念そうに答える。

「だから宿舎でも言っただろう。世界征服を夢見る中二病患者だと……」

「ま、あるイミ神々しいわよねぇ、その乳首ピアス。アタシ、嫌いじゃないけど?」

「なんつーか、マニアのオッサンに崇拝されそうな絵面ですね……?」

「やめてくれ、鳥肌が立つ。というか、ロドニー。お前のほうこそ、人にとやかく言える格好か? 全裸じゃないか、全裸!」

「あっ! そう言われてみれば、俺、なんも着てない!」

 人狼族とは、『狼に変化できる人間』のことである。彼らの基本形態は人間のほうなので、動物の姿のまま出歩くことに抵抗を覚える者も多い。

 なぜなら狼は、尻尾が邪魔でパンツが穿けないから。

 人狼族のみが暮らす田舎の集落ならばともかく、ここは首都圏の繁華街。他種族も多くいるスフィアシティで、下半身を完全露出した状態になってしまった。いくら扉を締め切った馬車の中とはいえ、都会人のロドニーには到底耐えられない羞恥プレイである。

 自分の格好に気付いたロドニーは床に伏し、両前足で目を覆ってしまった。

「隊長! ダメです! 俺、外出られない!」

「だからロドニー、五感ではなく六感のほうを使え。ここはもうスフィアシティではない。そのまま出ても問題ないぞ」

「え? あれ? あ、本当だ。ここって一体……?」

 ロドニーがうろたえている間に、ベイカーとグレナシンはさっさと馬車を降りてしまう。あわてて二人に続き、ロドニーは肉眼でその世界を見た。


 延々と続く真っ白な砂地。

 抜けるように晴れ渡った青空。

 その空に掛かる、無数の虹。


 虹色の光にあふれたその光景は、玄武が『本来の心』を取り戻したときとよく似ていた。


「あらやだ、何よコレ。ひょっとしなくても解決済み?」

「っつーか副隊長、肝心のマルコどこですか……?」

「宿舎で見たときは、海の底にいたと思ったが……海はどこだ?」

「無いわよねえ?」

「水なんか一滴も見当たりませんよ?」

「副隊長。よもや、入る世界を間違えたのではあるまいな」

「やだ! ちょっとサイトちゃん! アタシのせいにしないでよ! アタシちゃんとやってますぅ~っ!」

「ならば、これはいったい、どういうことなのだろうな……?」

「あのぉ~っ! ごめんくださぁ~い! うちのマルちゃんお迎えに来たんですけどぉ~? 誰かいらっしゃいませぇ~ん?」

 神々しいいでたちながら、グレナシンのやることは非常に人間的である。三人がかりで、とりあえず大声で呼んでみる。

「……いや、駄目だな。誰かいるような気配がない。もう、マルコと一緒にこの世界を出たのではないか?」

「ってことは……あらやだ。それって結構マズいかも……」

「どういうことですか?」

「どうもこうも、この世界って、青龍が引きこもるために自作した掘っ立て小屋みたいなもんなのよ? 屋根を支えてる大黒柱は、青龍本人の魔力だったはずで……」

「……つまり?」

「ここ……もう崩壊するかも……」

 引きつった顔で空を見上げるグレナシン。つられて上を向いた二人も、同じように顔を引きつらせる。




 空が割れている。




 ひび割れた空から、パラパラと何かが落ちてきた。

「これは……砂か?」

「いいえ、違う。これは……卵の殻じゃないかしら?」

 手のひらで受け止めた砂のような破片は、確かに殻の一部だった。

 青龍の魔力で作られたこの空間は、巨大な卵の中にあったのだ。青龍はマルコに名前を与えられ、『新たな神』として生まれ直した。ここにはもう、守るべき『胎児』はいない。

 役目を終えた卵は崩落を始めた。

「うわぁっ⁉」

 ドスンという音とともに、ロドニーの横に巨大な断片が落下した。

 縦横一メートル、厚さ五十センチ。咄嗟に避けて事なきを得たが、直撃していたら致命傷になっただろう。

「副隊長! 出口はどこだ⁉」

「あっち! ずっと向こう!」

 馬車の後方、遥か彼方。

 白い地平線に目をやれば、かすかに空間が歪んだ箇所がある。

「あんなに遠いのか⁉」

「これでも近いほうよ! 『闇』の中は現実と距離感が違うんだから! それよりさっさと逃げましょ! 空間そのものの崩落に巻き込まれたら、いくら神でも無事では済まないわ!」

「そうだな! ロドニー、馬車上部主砲を用いて落下物を砲撃・粉砕せよ!」

「了解!」

「副隊長はゴーレムホースの操縦を!」

「任せなさい!」

「前方の障害物は俺が排除する! 総員、行動開始!」

 降りたばかりの馬車に飛び乗り、三人はこの世界からの脱出作戦を開始する。

 ロドニーはオオカミの姿で屋根の上まで跳躍し、砲台を操作しようとして気付いた。

「あれっ⁉ 俺、人間に戻ってる⁉」

「ここが『神の世界』で無くなってきてる証拠よ! 揺れるわよ! しっかり掴まってなさい!」

 言うが早いか、グレナシンは馬車を急発進、急旋回させた。遠心力で振り落とされそうになりながらも、ロドニーはこの戦闘用馬車の主砲、一〇〇ミリ口径魔導砲を連射する。

 ベイカーもグレナシンの隣で、前方に落下した『殻の破片』に攻撃魔法《雷火》を放つ。超局所的に発生した落雷は、岩の塊のような殻を一撃で粉砕した。

「ちょっとサイトちゃん⁉ なに通常魔法使っちゃってんのよ! こういう時こそタケミカヅチこき使いなさいよ! 一応は軍神よ⁉」

「いや、駄目だ! 『この程度の危機に我が顕現するなどあり得ん! もっと華々しい戦場でなければ我にふさわしくない!』とか言ってて、全然手伝ってくれそうな気配がない!」

「この糞ニート中二病患者!」

 グレナシンから半透明なツクヨミの手が飛び出し、ベイカーの後頭部をスパンと叩く。その拍子に、ベイカーの体から半透明なタケミカヅチが半歩分飛び出した。

「器を無視したドツキ漫才はご遠慮いただきたいのだが⁉」

「文句は糞ニートに仰い!」

 そう言いながら、グレナシンも前方の障害物に向けて攻撃魔法《墜星》を放っている。どこからともなく降り注ぐ無数の隕石に弾かれ、巨大な殻はビリヤードボールのように進路上から押し出された。

 数が多いのが難点ではあるが、攻撃対象は空からの落下物と、進路上の障害物に限られる。あちらから攻撃してくることも、こちらの攻撃を避けることもない。この三人にしてみれば、ここからの脱出はさほど難しいミッションとは言えない。


 ――そう、相手が動かない標的だけならば。


 はじめに異変に気付いたのは、仰角砲撃を続けていたロドニーだった。

「隊長! 殻の外に何かいます!」

「何⁉」

 視線を上に向けた瞬間、ベイカーは本能的に危機を察した。

「《雷牙零式》、発動!」

 ベイカーの掌から紫電の閃光が放たれた。

 その光はまっすぐ天を目指し、雷の獣、『麒麟』の姿に変化する。

 麒麟が殻に開いた穴に近づいたとき、それは現れた。

 白い虎によく似た、けれども他のどんな生物とも異なる異形の獣。


 四神の一柱、白虎である。


 白虎は姿を見せると同時に、麒麟に攻撃を加えている。

 迎撃する麒麟の雷撃と、白虎の放った閃光がぶつかり合う。

 巻き起こる衝撃波に、車上のロドニーは吹き飛ばされそうになった。

「おい大丈夫か⁉」

「はい、なんとか! っつーかなんですか今の光! いったいなんの技を……」

「技なんかじゃないさ! お前がしがみ付いているそれと同じだ! 白虎はただ、魔力の塊を射出しただけだぞ!」

「ただの魔力⁉ マジで⁉」

 上空では麒麟と白虎の戦闘が続いている。

 双方、閃光と雷撃を放ちながら突進。すれ違いざまに、牙と角とで肉弾戦に打って出た。

 神vs神。互いの手を探る『軽い打ち合い』であっても、地上の人間たちには大きすぎる影響が出ていた。

「イタタタタタッ! 痛い! なんかこの光痛い!」

「当たり前だ! たった今それと同じだと言っただろう⁉ 魔導砲の流れ弾を受けているようなものだ! さっさと《銀の鎧》を使え!」

 言われて急いで防御を固める。そんなロドニーの様子に、ベイカーもグレナシンも気付いていた。

 完全覚醒を恐れるあまり、オオカミナオシは過剰な『制限』を掛けている。

 いつものロドニーなら、流れ弾の二十や三十、余裕の笑みで撃墜して見せる。それなのに今は、自分にそれだけの実力があることを自覚できていない。

 能力の使用制限に伴う知能指数の低下。オオカミナオシが人間を『器』として使う以上、避けられないことであるとは知っている。しかしこの状態では、いつどんな『些細なミス』で命を落とすかわかったものではない。

「あー、もー、やんなっちゃーう! なによこの状況! 地味にピンチじゃなーい! ってゆーかさ! 道理で白虎が廃人状態のはずよね! あいつ本体から抜け出て、精神体だけで青龍と一緒にいたんだわ! そのうえいきなり攻撃してくるとか、本当に何なの! いろいろ最悪すぎて、ツッコミが追い付かないじゃなーいっ!」

「まったくだ! クソ! 《雷牙》で敵わないなら、もう手はないぞ!」

「なにそれちょっとウ~ソ~で~しょ~っ⁉ アンタそれでも軍神~っ⁉」

 大げさに嘆くグレナシンの隣で、ベイカーは何かを考えるような顔をした。そしてグレナシンにのみ聞こえるよう、小声で話しかける。

「副隊長、俺が奴を足止めする。ロドニーを連れて先に出てくれ」

「いいけど……一人で帰ってこられるの?」

「俺の体が壊れて困るのはタケミカヅチだ。何が何でも協力してもらうさ」

「ちょっと不安だけど……ま、仕方ないわね。分かったわ。健闘を」

「吉報以上を見せてやる」

 拳をコツンとぶつけあい、ベイカーはひらりと馬車を降りた。

「え⁉ ちょ、隊長⁉」

「いいのよロドニーちゃん! アタシたちは先に脱出して、サイトちゃんが安全に戻ってこられるルートを確保するわよ!」

「あ、はい!」

 わけもわからず丸め込まれて、ロドニーは落下物への砲撃を続ける。

 しかし、『出口』に向かって疾走する馬車の上で、ロドニーはふと、妙なことを考えた。




 この馬車に、もう一人乗っているような気がするなぁ――と。




 ロドニーらの脱出を見届けた途端、麒麟と白虎は戦いをやめた。

 あれだけ激しく崩れ落ちていた卵殻もピタリと落下を止め、さも正常な姿であるかのように空中に静止する。

 ベイカーは麒麟を体内に戻し、白虎と向かい合った。

「ご指名有難うございます。当店のナンバーワンホスト、サイトでございます」

「ホスト?」

「お気になさらず。現代風のジョークですから。適当に聞き流してください」

「そうなのかい? いや、いきなり攻撃して済まなかった。ぜひ、君と二人きりで話がしたいと思ってね。自我を失っているフリでもしなければ、ツクヨミとオオカミナオシは追い払えないと思ったんだ」

 戦闘開始時、白虎はベイカーのみに聞こえるよう『心の声』を送ってきた。


「これは芝居だ。危害を与えるつもりはない。少し私と話をしないか?」


 その呼びかけに、ベイカーはうまく応えてみせた。

 自分より神格が高いツクヨミとオオカミナオシに、何の違和感も持たせずご退場願う。それを可能とするのは、軍神タケミカヅチの見事な『糞ニート中二病患者』ぶりである。大抵の神は、これでコロリと騙されてしまうものなのだ。

 ベイカーは可愛らしく小首を傾げてみせる。

「御用件は何でしょう?」

「要件というほど、大層なものでは無いよ。私がこちらに流された、その後の時代のことを聞きたいだけだ。君が、我々四神の次の世代の神かい?」

「いいえ。すぐ次の世代は麒麟……今、貴方が戦っていた神獣でした。その麒麟も時代の流れとともに情勢にそぐわなくなり……俺の中にいるタケミカヅチのような、新たな時代の神が創られました」

「ではあの獣は、なぜ君に使役されている? 不要な神は私のように異界送りにされるのではないのか?」

「ええ、本来はそうなる予定でした。ですがその前にタケミカヅチが神獣を襲撃し、その身を食らったのです。そしてそのまま、己の一部としました」

「神が神を食らっただと? そんなことが許されるのか?」

「もちろん禁忌とされています。しかしながら、人間が増え、それぞれ異なる神に守護されるようになり……人間同士、神同士の闘争も激化しました。タケミカヅチのような『軍神』は己の信者を守るために、なりふり構っていられなかったのですよ」

「……では、他の神々も食らい合うようになったと?」

「はい。地球の各所で神と神とが食らい合う、マッドパーティー状態でした。あの光景を目撃せずに済んだあなたは最高に幸せだ」

「……そうか。我らが地球を離れた後に、そんなことが……。しかし、君は? なぜこちらに送られた? 他の神を食らうほどの力があれば、あちらの世界の覇権は取れただろう?」

「だったら良かったのですが。この程度の力では、もはやあちらの覇権は奪えません。タケミカヅチが属す大和の神族は、ヒネヌイという名の女神に惨敗しました。現在の地球は、南太平洋の全域が彼女の支配下に置かれています」

「ヒネヌイ? 知らぬ名の神だな。そのものは何を司る?」

「全てです。あれは自分の孫にあたる神を食らい、全能の力を得た黄泉の女王。たかだか一軍神ごときが、戦いを挑めるような相手ではありませんでした」

「なぜ、それほど格上の神と戦うことになったのだ? 戦わないという選択も出来ただろう?」

「いえ、それは不可能でした。細かい事情を説明すると、かなり込み入った話になってしまうのですが……簡潔にまとめますと、人間が、神の言葉を信じる原始人ではなくなったからです。国家の利益と存続のために、大和の民は開戦せずにはいられない情勢に追い込まれていました。守護対象の人間が戦うのならば、軍神が出陣しないわけには参りません」

「利益と存続……? よくわからないが、それはつまり、争わずにいられないほど、人が増えすぎてしまったということか?」

「はい。知恵をつけて自然死する数を減らした結果、食料や資源が不足するようになりまして……。ちなみに貴方が今会話しているのも、タケミカヅチではなく、『知恵をつけた人間』のほうですよ?」

「なに? いや、それは失礼した。私が知っているのは、初期の、試作段階の人類までなのだ。しばらく見ぬうちに、これほど滑らかに言霊を手繰るようになっていたとは……」

「貴方がここに居られる間に、人も世界も様変わりしました。今度は俺にも質問させてください。貴方は、ここで何をされていたのですか?」

 ベイカーの問いに、白虎はゆっくりと首を振る。

「何も。私はただ、青龍を守っていた。それだけだ……」

「ここはいったい、なんです?」

「卵だ。青龍は過去の神格を捨て、新たな神として、この世界に生まれ直す日を待っていた。一緒に異界に送られた私は、創造主に捨てられたことを嘆くばかりで、未来を信じることなどできなかったというのに……」

 壊れかけた世界を、白虎は愛おしげに見つめている。

 その目には父のような、母のような、兄弟のような――恋人か、友達のような。人間には計り知れない、とても深い情が宿っていた。

「……貴方は、青龍を愛しておられるのですね?」

「愛? いや、それは……まあ、そうだな。好きだ。きっと、大好きなんだろうな。私は、青龍の足元にも及ばない。私には、あれほど広く、澄んだ心は持てない。だから私は、青龍を尊敬していた。その青龍が『未来』を信じるというのなら、私は……私の、残された存在のすべてをかけて、青龍を守り抜こうと思った。そしてその役目は……今、終わってしまったのだ……」

「ならば、貴方はこれからどうなさるおつもりですか?」

「……これから、か……。分からないな。青龍が生まれる日までと思い、かろうじて自己を保ってきたが……もうこれ以上、この世界で生きるだけの気力も目的もない……」

「そうですか。でしたら、遠慮はいりませんね」

 ベイカーはごく普通の口調で言い、自然な仕草で歩み寄る。そしておもむろに手を突き出し――。

「さらばだ白虎。その命、我が剣として使わせてもらおう」

 白虎の額に、一振りの剣が突き刺さっていた。

 実体を持たない光の剣は、『神』の精神体をゆっくりと吸い取り、呑み込んでいく。

「あ……あぁ……君は……何を……」

「どうぞお気になさらず。現代風のブラックジョークのようなものです」

「これは……この、力は……」

 白虎は抵抗できない。呆然と立ち尽くしたまま、ただ、自己の存在がこの剣に『食われて』行く様子を眺めるだけだ。

 色の無い剣が、銀色に染まっていく。

「ほう? てっきり『純白』かと思っていたが……」

 満足げに微笑むベイカーと、金属光沢を放つ剣。それを見て白虎は悟る。自分もこれから、麒麟のように使役されるのだと。

(なんと……なんと狡猾な……この者は……この神は……)

 白虎はギリギリと歯軋りする。

 タケミカヅチは弱い。彼自身の神格はツクヨミの足元にも及ばないだろう。しかしだからこそ、その弱さを活かして相手の油断を誘い、懐に入ることができる。

 そして、弱いからこそ気付かれない。


 ベイカーとタケミカヅチは、既に完全な融合状態にある。


 ツクヨミと同じだ。神と人間とが『一つの人格』として考え、行動し、完全な状態で力を使うことができる。彼らは申し合わせて、不仲を演じているに過ぎない。

 白虎は、最期の力を振り絞って吼える。

「タケミカヅチ! なぜだ! なぜ、このような蛮行を……っ⁉」

 ベイカーは答えない。眉一つ動かさず、死に掛けの神を冷ややかに見つめる。

 瞳の奥に広がる奈落の闇。その深淵を垣間見て、白虎の心にはある感情が刻まれた。

(……憎い……憎い、憎い、憎い憎い憎い……憎いっ!)

 白虎は神として創られ、永い時を過ごしてきた。その白虎が、これまでに一度も感じたことのない感情。それは人間たちが、『憎悪』と呼び表すものだった。

 溢れ出る感情は止められない。

 湧き上がる憎悪が全てを吞み込み、白虎の存在そのものを塗り潰していく。

「……タケ…ミ……カヅチ……許さぬ……許さぬぞ……タケミカヅチ……っ! 祖なる神を……四神が一柱、白虎を使役しようなど、不届き千万! 我が魂を食らおうとも、我が肉体は、必ずや、貴様の首を食らうであろう! 死の淵で、己が蛮行を悔いるがいい!」

 依然、冷ややかな目を向けるベイカー。憎悪に呑まれた白虎には、もう、その本心を読み取ることができない。

 だから白虎には、ベイカーが呟いたこの言葉すら、自分への侮蔑として聞こえていた。

「あなたは最高に幸せだな。この先の光景を、目撃せずに済むのだから」

「き……さ、ま……」

 その先に何と続けようとしたのか、もはや知る者はない。

 白虎は死んだ。

 タケミカヅチの剣に掛かり、その神格を失ったのだ。

「……さらばだ、白虎。その命、我が剣として、大切に使わせてもらおう……」

 白虎を呑み込んだ剣は白銀に輝く。

 ひどく清らかに、あまりに誇り高く。

 いっそ場違いなほど美しい一振りの剣。実体を持たない光の剣を頭上に掲げ持ち、ベイカーは――タケミカヅチは、恭しく首を垂れる。

「四神が一柱、白虎。俺は貴方を手に掛けた。その事実は、どのような言い訳をしようとも変えることは出来ない。この罪は、あとでいくらでも悔いてみせよう。いくらでも恨まれ、いくらでも憎まれよう。そしていくらでも呪われよう。けれどもそれは今ではない。俺にはこれから、やることがある……」

 剣をふわりと宙に放る。その切っ先がゆっくりとベイカーのほうを向き、大きく反らせた胸へと突き刺さる。

 血は流れない。

 剣は体の奥、さらに奥へと突き刺さり、そのまま呑み込まれ、消えた。

 恍惚とした顔で『新たな力』を受け入れたベイカーは、タケミカヅチではなく、彼自身の言葉として所感を述べる。

「……ダメ……イキそう……」

 神の力を取り込むということは、人間の体に過剰な生命エネルギーを注ぎ込むことに他ならない。

 健康な成人男子にとって、『元気が有り余った状態』で高まる欲求はただ一つ。

「あー……なんというか、その……誰もいなくて良かったな、うん……」

 脳内で呟くタケミカヅチの生温い感想など、限界状態のベイカーに届くはずもなかった。


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