1話
わたしはバーテンダー、見習い亜子。
昼間はOLしてる25歳独身。
茶髪に染めたストレートヘアを横に流して1つにまとめているの。小さい目も、低い鼻も薄い唇もペタンコな胸も! すべての容姿が向いてないけど、かっこいい女バーテンダーになるのがわたしの目標なの! 今日も黒のタイトにピッタリとしたベスト、黒タイでお客様をお出迎えよ。でも、その夢もなかなか実現しないんだわ。だってわたし、すっごいドジなんだも~ん!
ガッシャーンッ!
「す、すいません!」
「おい、おい、亜子ちゃん! またシェーカーぶっ飛ばしちまったのかあ~?」
最悪のタイミングでバーに入って来た冴えない私立探偵、猪熊吾朗。35歳独身。通称イノッチ。隣りのビルで探偵社をやっているわ。いくら探偵だからって、いまどきトレンチコートに中折れ帽はないわよね? 身長190センチの巨漢。顔も体も名前の通り熊のようにいかついんだわ、これが! ぶっとい眉に大きなギョロ目。鼻も口もでかくてごっついの! 元警視庁の刑事で柔道やってたからガニマタらしいんだけど、どう見てもうちのようなスタイリッシュなバー『ムーンマジック』には不向きだわ!
「亜子、もう1度おしぼりから握りなおせ」
「はい……」
マスターの一之瀬和正さんに叱られた。わたし実は、彼に憧れてこの世界に入ったの。あれは忘れもしない半年前。同窓会でしこたま飲んだわたしは、かつての同級生の紹介でこの店に連れて来られたの。そこでマスターにひとめぼれ! 頼み込んで弟子入りさせてもらったのよ! 一之瀬さんは背がスラッと高い超イケメン。眉も目も濃くて大きくて鼻も高いのよ! 薄めの唇が超セクシー! 髪型だって短くしてるけど、すっごくおしゃれなんだから! どんなタイプの女だって、全員好きになること請け合い! それもそのはず、彼はハーフで元ファッションモデルなの! バーテンに憧れ、ファッションショーの傍らヨーロッパで修行を積んだ本格派。10年前に日本に帰って来て、モデル時代に貯めたお金で新宿にバー『ムーン・マジック』を開店したのよ。35歳独身! 同い年で条件は一緒でも、イノッチとは首の長さからして違うわよね~。一之瀬さんのスラリとした腕から繰り出されるシェイカーの軌跡は芸術的な美しさなの! 黒ずくめの制服がとってもステキ! わたしの憧れ! わたしの片思いのお相手なのよ!
「亜子ちゃん、どんまい、どんまい。がんばって」
「ひとみ先輩、すいません……」
ひとみ先輩は超かっこいい女性バーテンダー。わたしもこういう女性になりたい。スレンダーな容姿に切れ長の瞳。髪は真っ黒なストレート。わたしと同じ制服を着ているはずなのに、ワンランク上のかっこよさだ。前髪も含め、すべて1つに結んでいる。長身から繰り出す腕の動きは女性とは思えないほどのダイナミックさでお客さまからも大好評だ。それだけでなく、知的美人な彼女目当ての常連客があとを絶たない。ひとみ先輩はそんなことは意にも介さず、クールな微笑みでお客をさばくこの道10年、29歳のベテランだ。
「はあ~、みんなかっくいい。わたしも早くああなりたい」
「亜子ちゃんはいいじゃん。そのままで。おれ、かっこつけない亜子ちゃんが好きだな……いつもの」
「はい」
イノッチが本気で心配してくれてる。わたしの場合、かっこつけたくてもかっこつかないだけだよ!
ジンとライムジュースを半々に混ぜ「ギムレット」を作った。ライムの酸味とジュースの甘みが特徴のおいしいカクテルだ。むかしイギリス軍医ギムレット卿が、海軍のジンの飲みすぎを憂慮して作ったカクテルだ。ちなみにカクテル言葉は『長いお別れ』。本当の「ギムレット」のレシピはジンの割り合いがもっと多いのだが、イノッチ愛読書チャンドラーの小説にあやかり、特別サービスでテリー・レノックスの台詞どおりのレシピにしてやっている。わたしも大概、イノッチに甘い。それにしても、こんな甘ったるい酒を好むレノックスは相当女に甘いと見た! 主役と飲むときはいつもこのジュースで薄めたカクテルだったところをみると、弱みを見せたくない相手だったのかもしれないわね。男の友情なんてそんなもんよ! 主役のフィリップ・マーロウはジンに本物のライムを絞っただけでお酒の苦味を楽しむツウらしいが、酒に弱いイノッチにはレノックスの割合がお似合いだ。酔ってクダを巻かれても困るし。イノッチはマーロウに憧れて毎回これを飲む。その割には、髪の毛はグチャグチャで手入れがまったくされてない。イノッチだったら、コロンボの方がお似合いかもね! 禁酒法の時代じゃあるまいし。わたしだっていろいろなカクテルが作れるんだから、たまには複雑な飲み物を注文しなさいよ! なんてことはお首にも出さず、イノッチに「ギムレット」を注いだショートグラスと、つまみのナッツを差し出し微笑む。一応バーテンダーだから、クールにキメないとね。
「おいおい、おれに惚れるんじゃねえぜ? ヤクザな稼業だからさ……」
なにをカン違いしたんだかイノッチのヤツ照れてるよ! 下向いて赤くなっちゃってさ。カンベンしてよね。でも、わたしはバーテンダー。ポーカーフェイスで軽く会釈し、帰り支度をはじめようとその場を離れた。
ガクッ――。なぜか足がこけた。長時間の立ちっ放しが堪えたのか?
「亜子ちゃん、大丈夫か!」
「は、はい。すいません……」
恥ずかしい~。またイノッチに心配されちゃったよ。トホホホ。
「亜子ちゃん! ちょっと話に付き合ってくれよ」
「はい……」
わたしは仕方なくイノッチの前に戻った。足が疲れてんだけど? あんたホントにわたしのこと考えてくれてるの?
「今日、不思議な依頼人が来てさ……」
「不思議な依頼人? 探偵社にですか?」
「ああ、若いOLさんなんだけど、あっちの百貨店の脇に歩道があるじゃん?」
「西口の方ですか? ちょっと高い位置にある歩道ですよね。ええ。わたしもよく帰りに通りますよ」
「え? 亜子ちゃん家、あっちなんだ? そこの歩道ってさ、前はもっと下にあったじゃない?」
なに、わたしに興味あんの?
「えっ? そうでしたっけ? わたし、半年前からここで修行してるから、その前のことはよくわかりません」
「そうか。前の歩道は地面にあったんだよ。百貨店の1階部分の続きに。今でも上の歩道から覗くと入り口部分が見えるよ。で、そのOLさんが今からちょうど1週間前、先週の金曜日にその歩道を通ったんだ。結婚式の帰りで、真夜中の2時に。周りには誰もいなかったそうだ。ふと斜め下を見下ろしたら、下の使われていない歩道に灯かりがついていたそうだ。それだけじゃない。そこにビヤガーデンみたいにテーブルと椅子が並んでいて、めがねを掛けた恰幅のいい中年男性が座ってコーヒーを飲んでいるのが見えたそうなんだ」
「え~? ありえない! だってあそこら辺一帯が廃墟だよ? しかも真冬の真夜中、外でお茶してたの? 酔っ払ってたんじゃないの?」
「おれも信じられないけど、たしかに見たそうなんだよ。それでそのとき、カツーンってなんか音がしたそうなんだ。そのときは気にせずに帰ってきちゃったんだけど……家に帰ったら、指にはめていたお母さんの形見の指輪がなくなっていたんだ。たぶん、そのとき落としたんじゃないかって言うんだよ」
「そのカツーンって音が、指輪が落ちた音だったんですね。そこへは探しに行ったんですか?」
「ああ。行って、くまなく探したがどこにもなかったそうだ。絶対にその歩道に落としたはずだって彼女は主張するんだ。そこに来た時点までは、確実に指輪を嵌めてたそうなんだよ。だからもう1度、夜中の2時に行って探してくれって」
「なんで、真夜中じゃないとだめなんですか?」
「それが……昼間行ったら、やっぱり1階の歩道は廃墟になっていたそうなんだよ。ビルや土地のオーナーに問い合わせてもビヤガーデンなんてやってないし、電気も通ってないって言われたらしい。でも彼女は、絶対に灯りがともって店を営業してたって言うんだ。もしも違法営業だったら恐いんで、おれに夜中に行って指輪のことを聞いて来てくれって依頼してきたんだ。警察に届け出たけどいまだに見つからないそうだ」
「失せモノ探しもするんですか? 探偵業もたいへんですねえ」
「亜子ちゃん、一緒に行ってくれない?」
「ええ! なんで、ですか?」
「だって、もう帰る時間だろ? どうせそっち通るなら、一緒に行こうよ。送って行く。おれ、オバケとか苦手なんだよ。今日もこうやって、1杯ひっかけて酔った勢いで行こうとしてたんだ」
なんだよ、イノッチ! わたしに気があるわけじゃないのか! ちょっとドキッとしてソンした!
「オバケとは限らないでしょ? わたし、同伴とかしない主義なんですけど」
「ど……同伴なんかじゃないよ! ちゃんとバイト料出すから! お願い! 暗闇嫌いなんだよ!」
「え~? どうしようかなあ……」
まったく! 暗闇が苦手で、よく探偵業やってられるわよね! でも、今月ピンチだからバイト料はおいしいな。
「亜子、行ってやれ。いつもイノッチさんにはお世話になってるだろ?」
すかさず、コップを磨くマスターから指示が飛んだ。イノッチにお世話になった覚えはないけど、数少ない大事なわたしの常連さんだ。マスターの命令とあらばつつしんで。決してお金のためではない。
「はい。マスター。それでは帰り支度をして参ります」
「亜子ちゃんはマスターには敬語なんだよな。ちっとはおれたち常連客にもやさしくしてくれよ」
「イノッチ、いぢわるなんか1つもしてないじゃん? 今日だってオバケの恐いイノッチに付き合ってあげるんだよ?」
「いやみだな~。まあでも、とにかく頼むよ! このとおり!」
手を合わせて拝むイノッチを尻目に、わたしはひとみ先輩に後を頼んで帰ることにした。
「ひとみ先輩、それではお先に失礼します」
「おつかれさま。亜子ちゃん、気をつけてね。イノッチさんが居るから大丈夫だと想うけど。彼、くそ真面目だし」
「はい。気をつけます」
イノッチが送り狼? ナイナイ!
着替えて外に出ると、イノッチがドアの外で待っていた。
「お待たせ! 寒かったでしょ?」
「いや、大丈夫だ。すまないね。亜子ちゃんは、上の歩道にいてくれていいから」
「いいえ。付き合うなら最後まで付き合います。バイト代もらうのにそれじゃ悪いし」
「そうかい? じゃあ、行こうか?」
今日は仕事帰りのわたしは、スーツの上にコート、ヒールを履いたOLまるだしの格好だ。やさぐれオッサンのイノッチとこんな時間に一緒に歩いていたら、不倫カップルと間違えられないかな。ちょっと心配だ。
わたしたちは百貨店の脇の歩道までやって来た。地上からだとビルの2階部分に当たる場所だ。北風が吹いてとても寒い夜だった。空が曇っていて月が出ていなかったので真っ暗だ。都会でもこんなに暗い場所があるんだ。わたしたちの他には猫の子一匹だれもいなかった。真夜中の都会なんて、こんなもんだよね。時間は午前2時ちょうどになっていた。
「イノッチ……あれっ? あんなうしろにいる! ちょっと! イノッチ! わたし1人に行かせる気?」
「すまない、すまない! つい足が進まなくて……ここは随分と暗いね……」
「あれっ? 見て見て! 下に灯りがついてる! 人がいるよ!」
わたしは思わず、下に向かって人差し指を突き出した。わたしたちのいる歩道の斜め下、旧歩道の中に灯りがともっている。下の歩道は、隣りの廃墟ビルの中を突っ切っているようだ。ビルの入り口部分にボロボロのアーチ型の看板がある。この通りの名前が鉄の鋳型で並べて付けられていたようだが、今は3文字しか残っていなかった。
「あれが下の歩道の名前かな? いままで気がつかなかったよ。ええと……G……H……Q?」
イノッチも看板に気がついたみたいで、読み上げている。
「GHQ? あの、アメリカの?」
「んん……ちがうだろ? なんか長い英語名がつけられてたんだな。ジャイアント……ヒーロー……クエッション?」
「行きましょう!」
「あっ! 待てよ!」
もう! イノッチってばホントにキャリア組だったの? 警視庁、辞めたんじゃなくて首になったんじゃないの?
わたしは歩道を戻り、突き当たりにある階段から下へ向かった。やはり、1階の歩道には灯りがともっていた。イノッチの依頼人が言っていた通りテーブルと椅子が何脚か並べられていて、恰幅のいい男の人が後ろ向きに座っていた。
「あれっ? いままであの人いなかったはずだけど? いつの間に」
「そうだよな? おかしいな……聞いてみるか」
明るいところだとイノッチは、がぜん元気になるらしい。サッサと歩いて椅子に座っている男性のところへ行ってしまった。この寒いのに、真夜中に外で冷めたコーヒーを飲んでいる。なにもんなんだ? パッと見たところ、会社の重役って感じだけど?
「夜分にすいません。わたくし探偵をしている猪熊と申します。どうぞ、こちらが名刺です。1週間前に女性が指輪を紛失しまして……母親の形見なのでどうしても見つけ出したいと依頼されまして。真っ赤なルビーの指輪で大きさは……」
「ああ、それでしたら、こちらではないですか? わたしもどうしていいのかわからなくて困っていたんです。どうぞ。お持ちください」
イノッチの説明をさえぎり、男性がポケットからルビーの指輪を取り出した。これで一件落着か。それにしても、なんで警察に届けなかったの?
「ありがとうございます。たぶん、こちらで間違いないと思います。ところで……警察には……」
イノッチがビニール袋に指輪をしまいながら男に質問した。そうそう! わたしもそれが聞きたかった!
「申し訳ありません。こちらの場所のことは一般の方には秘密なんですよ。本来なら周りに映し出されているホログラムでこの場所の様子は絶対に見えないはずなんです。なんで、あなた方には見えたんですかね?」
「へ? ホログラム?」
「ええ。どこから見えました?」
「上の歩道のあの木がある辺りです」
「ああ、あそこが1部、壊れているんだな? あとで修理させよう。そちらのお嬢さんも、よかったらコーヒーを飲んでいきませんか? わたしがおごりますよ。ここのトラジャは最高ですよ」
「ええっ! わたしですか? イノッチ、どうする?」
え? わたしがうしろに居たのがわかったわけ? おどろき~! ここって監視カメラかなんかあるのかな? それにしても、ホログラムって。
「ああ……じゃあ、ごちそうになろうか。ここの様子も興味あるし……」
「そうしましょうか? おじゃまします」
わたしとイノッチは、見知らぬ男性と一緒のテーブルについた。そこは風がこないせいなのか、白い鉄製の椅子に座っても冷たくはなかった。むしろその場所は暖かかった。灯りの源はどこかと上を見上げた。ビヤガーデンのように柱にくくり付けられた細い電線が上に張りめぐらされており、そこにランタンがいくつかぶら下がっていた。まるでおとぎの話の世界に迷い込んだみたいで、一瞬ロマンチックな気分に浸ってしまった。一緒に居るのがイノッチじゃなきゃね。イノッチの疑い深そうな顔を見たら、一気に現実に引き戻されたわ。
目の前に座る男性は、年の頃なら四十代半ば。恰幅のいい体に薄いグレーの背広。白のYシャツに白地に薄い青緑のストライプが入ったネクタイを締めていた。めがねを掛けた頭の良さそうなダンディーだ。
「どうぞ」
「あっ! す、すいません……」
音もなく近づいてきたウエイターがわたしとイノッチにコーヒーを置いて去って行く。こちらは、白髪混じりの老人だった。でも、きちっとした一流のウエイターだ。
「冷めないうちにどうぞ」
「は、は、はい!」
「いただきます」
わたしたちはコーヒーをいただいた。ふくいくたる香りと透明感のある色と味わい。最高級のトラじゃ豆が使われていた。わたしはバーテンダーに憧れてから、コーヒーやお茶などの嗜好品も勉強している。だから、違いのわかる女なのだ!
「おいしいコーヒーですね。ところで、こちらは……」
なんだよ! イノッチでもこのコーヒーの味わいがわかるのかよ!
「ええ。むかしGHQがあったところなんですよ」
「ええっ! GHQは有楽町にあったはずです!」
「新宿にもあったんです。こちらの方が古いんです。戦前からありますよ。この歩道の途中に地下に続く階段があり、そこでは今もGHQの活動が行われています」
「なっ! なっ! なんだって! 本当ですか?」
「ええ。あなたをからかうつもりはありません。秘密の場所なので、拾った指輪を届けられなくて困っていました。高価な物だったのでその辺に置き去りにも出来なかったし……助かりましたよ」
「あの……あなたはそれじゃあ……」
「ええ。素性は明かせませんが、政府のモノです」
「そんな……あれっ? 亜子……眠くないか?」
「うん……なんだか起きてらんない……」
そうなのだ。さっきから眠くて眠くて。コーヒーいただいてから。もしや?
「おれ……もうダメだ……」
あっ! イノッチがテーブルに突っ伏した! この! 役立たず! わたしは必死で立ち上がろうとした。でも、瞼がくっついちゃいそう!
「亜子さんとおっしゃるんですね? これも何かの縁でしょう。何か困ったことがあったらいらっしゃい。助けて差し上げますよ」
最後に聞こえたのはその言葉だった。わたしはイノッチと夢の世界に旅立ってしまった。




