表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アキト君とチカちゃん

習い事やっているといつか来るお話しではないかと思います。こうなれたら理想だなって思います。

「あのね、私、今日が最後なんだ」

 チカの発した言葉が、すうっと俺の身体を通り過ぎた。それぐらい自然に、それでいて心地良く入ってきた。いつもの他愛ない雑談と同じように、消化しようとしたんじゃないかな。意味が分からなかったんだと思う。

 暫く、暫くだ。暫くして、彼女のその突然の告白からコンマ数秒遅れて、背筋がゾワゾワっとなった。同時に、腹の中から何かが上ってくる衝動に襲われた。「これは飲み込んじゃいけない、吐け。吐き出すんだ!」みたいな危険信号が、ぐるぐる回る。

「今までありがとうね、アキト君」

 言葉の意味に身体が振り回されるのを他所に、チカはずいっと顔を近づけ、俺を覗き込んだ。白い肌に、まんまるの目が特徴的だ。チカを見ていると、その特徴的なまんまる大きな黒い瞳が、今の俺の苦しみなど、ギュッと吸い込んでしまいそうだった。

「そうなんだ、さみしいな。チカはあれか? 高校入ってからも書道続けるのか?」

「んー、どうだろう? 今みたいに時間とれるならやってみたいけどね」

 屈託のない笑顔でにかっと笑いながら、チカは俺に課題のお手本を回した。先生から先にもらっていたのだろう。本日のお題は漢詩のようだが、正直、あまり入ってこない。感じの並びが、ひどく気持ちを不快にさせる。いつもの楽しい時間が、今日はとても退屈になりそうだと思えた。


「ねー、アキト君」

「なんだ、チカ」

 硯で墨をすりながら、チカが声をかけてきた。書道の時間が始まると、今までの外向的なところはすっかり影を潜め、チカは一心不乱に墨と紙に向かう。それなのに今日は、俺に話しかけてきた。不思議だ。やっぱり、今日が最後というのは、このチカをもってしても何かしら考えさせるのだろうか。

「あのね。手を握ってほしいの」

「手を?」

 俺はギョッとした。「何を言いだすんだこの娘は!」と、心の中で叫んでしまった。やはり、やめるのが辛いのだろうか。

「ここが、まっすぐ書けない」

 そう言いながら、チカはお手本を指差した。うちの教室は、作品ができたら先生に見てもらう方式だ。普段から俺もチカも静かに書に向かっているからか、先生は終わる間際まで教室にやってこない。放任甚だしい教室ではあるが、互いに書に向き合えるこの空間は、俺たちに合っていた。お互いたまにこうやって教えあうこともあるが、今日は異例だ。驚きゆえに、チカの言葉に一瞬躊躇してしまった。「なんだ、うまく書けないのか」と頼られたことが素直に嬉しい気持ちと、「こんな時でも書道かよ」と、なんとも言えない気持ちが溢れた。いやいや、何を考えているのだ俺は。

「木偏か。こういうのは手首をうまく使うんだ」

 俺はチカの手に自分の手を添え、勢いよく動かした。人に教えるなんて高尚なことをしている気恥ずかしさからか、それとも、チカに自分の手を添えていることに動揺しているのか、勢いとは裏腹に中々うまく進まない。時折感じるチカの体温が、尚のこと難しくさせた。

「おお! ありがとう。うまく書けたよ」

「こういうのは、迷っちゃ駄目だ」

 俺、もとい俺たちは、なんとか紙にまっすぐな線を書くことができた。よく見ると歪といえば歪なところもある。しかし、この上なくうまく書けたと言えばそうも見える。これを超える木偏は、暫く書けないだろう。そして、これを二人でやりきったことで、俺は一つの決心を固めることができた。

「あのさ、チカ」

「何、アキト君」

「やっぱり、高校入ってからも書道やれよ。木偏ぐらいで難儀してるようじゃ、まだまだ卒業なんて駄目だって」

「あら、木偏はもう書けるよ。それに払いや行書は、私の方がうまいよ」

「うまさの問題じゃないよ」

「じゃあ、どんな問題?」

「分かってるだろう?」

「うーん、それでも、教室には通えないよ?」

「いいよ、それでも。書道やってたら、またどこかで会えるよ。書展とかさ」

「その時は、アキト君が銀賞で、私が金賞だね!」

「馬鹿、逆だ逆。俺が金賞」

「言うね。それか、二人とも選外だったり」

「じゃあ、その時は二人でがっくり肩でも落とすか」

「まあ、私は書道部が有名な桜ヶ丘高校に進学が決まっているから、選外はないと思うけどね」

「え? チカって桜高?」

 その言葉に、俺は思わず尋ねた。思えば、俺たちは同好って感じで、学校生活とか話したことがなかったっけ。そもそも、学校も違うし。そうこう考えながらチカを見てみると、とても不思議な顔をしていた。

「あれ、言ってなかったっけ? 推薦もらえたんだ」

 その言葉に、俺は笑った。大いに笑った。チカは横でキョトンとしている。

「ふ、ふふっ。ははははは。チカ、悪いな。たぶん、すぐ会えるわ」

「すぐって、なんで?」

「俺も桜高。一般入試でだけど」

「え? 本当!」

「こんなところで嘘なんか言わないって」


 この後、お互いのクラスや入試について、色々話した。正直、内容はあまり覚えていない。それよりもチカと同じ高校に行ける。それだけで十分だ。最後に教室終了後、部屋を出るときチカが尋ねてきた。

「ちなみに、高校の部活はもう決めた? 私は書道部だけど」

 その質問に、俺はただ一言、こう答えた。

「もちろん、書道部で」

もりやす たかと申します。久しぶりに書きました。見てください!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 「分かってるだろう?」の言葉で通じる関係って、素敵だな、と。 別れの何とも言えないモヤモヤ感が最初にあり、 一つの字を二人で書き上げたことで気持ちに整理をつけて。 最後は、安堵感に包まれる…
2015/07/30 22:09 退会済み
管理
[一言] うんうん、木偏はむづかしいよね(゜-゜)(。_。)(゜-゜)(。_。) リア充ならぬ墨充ってやつでしょうか(笑
2015/07/30 18:15 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ