メカプリンセスっ! ~プリンセス様、雨宿りくらい穏便になさって下さい~
「うわっ、マジかよ……」
突然降り出した雨に、俺は思わず空を見上げ、眉をひそめた。
六月。じめじめした空気がたたずむこの時期が、俺はあまり好きじゃない。
梅雨入りしたのは五月下旬。だがそれから雨はほとんど降らず、テレビの気象予報士も「本格的な梅雨は明日からになるでしょう」と言っていた。だから俺も今日は、傘も持たずにいつものゲーセンに出かけたのだった。
そして夕方。アーケードの格闘ゲームをひとしきりやり終えて帰途についたら、急な雨に見舞われた、というわけだ。
ゲーセンを出たばかりなら、また戻って時間をつぶすこともできた。だがあいにく今いる場所は家とゲーセンのちょうど中間地点だ。とても間が悪い。おまけに雨足は強まる一方だ。
「どうすっかな……ここからダッシュしても十分くらいかかるし……」
辺りを探し、今日は定休日らしい商店の軒下を発見。そこに避難する。
やれやれだ。降水確率20%だったはずなのに、降るときは降る。
確率なんてずるい表現だなとこんなときいつも思う。予報が0%でない限り「いやー、降っちゃいましたか。でも20%だったんで、こういうこともありますよね」と言い逃れされるから。まあ、そういうものだと思って傘を準備しなかった俺が結局悪いんだが。
雨粒が落ち、アスファルトを濃い紺色に染めていく。湿った雨の臭いが鼻腔をなでる。雨のカーテンが俺の前をふさぎ、軒下から出るなと警告しているようだ。無視してずぶぬれ覚悟で走ってもいいが、通り雨ならやんだときに悔しい思いをするだけ。でも梅雨だから通り雨なんてことはないか。だらだらといつまでも続くかもしれない。待っていても無駄かもしれない。判断に悩む。
「折り畳み傘くらい買っとくべきか……でもその金があればゲーセンで二日遊べるからなぁ……絶対いるもんじゃねえし……小遣いの使い道、考えどころだよなぁ……」
「そうですわね……わたくしも傘くらい持って家を出るべきでしたわ……」
「そうだよな。こういうときに限って傘が――おわっ!?」
気がつくと、同じ軒下に中世のプリンセス様がいた。
「ミース!? なんでここに!?」
「あら。わたくしも急な雨に見舞われてこの軒下に避難しただけですのよ。何か不都合でもあって?」
いや、いつの間に俺のすぐ横まで接近してきたんだ……全然気配なかったぞ。
彼女は、衿倉ミース。色々あって、高校生の俺がなぜか教育係をさせられている、若年女性型アンドロイドだ。
いつもの通り、ミースは中世貴族のふわふわのスカートに繊細なレースがあしらわれたゴスロリ風の白黒ドレスを身にまとっている。フリルがついてすその広がった大仰なスカートを履き、町中を歩けばほぼ全員が目にとめるようなコスプレ全開の服装だ。
肩下まで伸びたブロンドの長い髪に、アメジスト色の大きな両目。日本人というよりは、フィンランドとかノルウェーあたりの北欧っぽさを感じる高貴な白い顔。透き通るようなきれいな肌に、細く小さなかわいらしい体型は、どこからどうみても普通の人間にしかみえない。でも彼女は、れっきとしたロボット――アンドロイドだ。
そんな彼女と知り合いになったのが、俺の運の尽き。
「わたくし、スーパーに買い物をしに出かけたのですが、求めている品がありませんでしたので家に帰る途中、この雨に遭遇してしまったのです」
裾の広がるスカートを軒下に入れようと、両手で前を抑える彼女。確かに雨の日にそんな格好してたら大変だ。いい加減、ごく普通の女の子の服も着てほしい。
「ってか、スーパーに何を買いに行ってたんだ?」
「はい。わたくし、賢者の石を買いに行っておりました」
「……は?」
けんじゃのいし? なんだそれ。
「特定の材料を混ぜ合わせると『金』を精製できる唯一無二の素材ですわ。錬金術師が千年前から研究し続けているもので、それがあれば世界を変えることができる物品であるとお母様から聞きました。またそれ以外にも、賢者の石とニワトリの血、エリクサーの抽出液を鉄鋼製の道具とかけあわせることにより、ミスリル――魔力をもった金属を造り上げることができるので、非常に有用であるとお母様がおっしゃっていました。さらにダークマターと合成することにより、時空を移動することができる職業・時魔道師にジョブチェンジすることが可能になると、お母様から教わりましたわ」
お母様、ファンタジー系ゲームのやりすぎだろ。
「わたくし時魔道師に非常に興味がわき、賢者の石をスーパーのレジの方にお尋ねしたところ、店には置かれていないということでしたので、仕方なく自宅へ戻るところでしたの」
「置かれてないって……レジの人はなんて言ってたんだよ」
「『Kenjanoishi? あんた外国の人だね。英語分かんないよ。とりあえず持っていきな』と言われ、なぜかこれを渡されてしまいました」
彼女が手にしていたレジ袋を見ると、ひじきの煮つけが入っていた。
「それともこれが賢者の石なのでしょうか。わたくしの思い描いていたものとかなり違うのですが――この黒く細い奇妙な形のもの一本一本に、そのような力が」
「それはケンジャノイシじゃなくて、レジの人がサービスでくれただけだから、関係ないって」
「サービス? サービスとはどのようなことでしょう? 賢者の石に通じるものでしょうか?」
真剣なミースの目。話がややこしくなってきた……。ここは雨の話に戻さないと。
「と、とにかく、この雨をどうするかを先に考えた方がいいんじゃねえかな」
「――そうですわね。このままでは、わたくし家に帰れませんもの」
スカートの裾をまとめ、やたらと雨粒がかかることを気にするミース。最初からそんな服着てこなけりゃそこまで気にする必要がなくなると思うんだが。
ま、それはともかく。
とりあえずザーザー降りの状況。どうすっかな。
「壬堂さんは、どうなさるおつもりなのです?」
ミースが訊いてくる。俺は両手を組んで頭の上に乗せ、困ったような顔をみせた。
「ん? んー。とりあえず雨がやむまで待つかな」
「やむのはいつごろになるでしょう」
「それはわからねえよ。あんまり長引くようなら、仕方ねえし家まで走っていくけど」
「そうですか……。それはわたくしには難しい対応ですわ」
「ってかミース、タクシーとか拾ったらどうだ? それならぬれる心配もねえし」
俺の目の前には対面通行の車道があり、もうすでに何台かのタクシーが通過していた。ミースは俺みたいに小遣い生活じゃねえし、金持ちだから、タクシーに乗るくらいわけないはずだ。
「傘差してもミースの服じゃ結局ぬれるし、金があるんならタクシーの方がいいんじゃねえか?」
そのセリフをはいた瞬間、ミースの表情が一気に悲しくゆがんだ。
「あれ……ミ、ミース?」
「壬堂さん、イジワルですわ。わたくしが車に乗れないことを知っていて、わざとそんなこと……」
そして彼女は両手で顔を覆ってしまう。「うっ……うっ……」と嗚咽的なものまで発して。
――そういや、そうだ。ミースは普通の車には乗れないんだった。なぜなら、体が重すぎてタイヤがすぐにパンクするから。
アンドロイドである彼女の体重は、正確な値は知らないけど、1トン以上あると聞いたことがある。見た目には普通にふるまっている彼女だが、その足元にはものすごい負担がかかっているはずだ。学校で初めて教室のイスに座ったときも、脚が四本ともいっぺんにへしゃげたので、いまでは彼女のだけカーボンナノチューブ製の特別仕様のイスになってる。
そんなものを載せて車が走ったら、たちまちタイヤが押しつぶされる。彼女の家にある車は特殊な加工を施してあるらしく1トンの重さに耐えられるらしいが、通常の車なら間違いなくパンッ、だ。
「女性であるわたくしに、体重のことでお責めになるなんて……壬堂さんがそんな冷酷非道な人だとは思いませんでしたわ……」
「いや、そういうつもりじゃなかったんだけど……ってか俺のひとことを掘り下げすぎだって」
「では、どういうおつもりだったのですか」
「だから、ミースが無事に家に帰り着ければいいって……ああわかったよ! 俺が悪かったよ! 気配りが行き届かなかったよ! だからその危険なものを俺に向けるのはやめてくれ!!」
謝る俺に、右腕から出ていたマシンガンの銃口をひっこめるミース。彼女は全身に何かしらの兵器を搭載しているから、ご機嫌を損ねるとすぐに俺が命の危険にさらされる。勘弁してほしい。
「なら、いいですわ。壬堂さん、淑女の心はガラスのように、繊細で傷つきやすいものですのよ」
「そうですね。全くその通りです。俺が間違ってました。すみません」
ミースの武力行使に全面降伏する俺。他に選択肢はないもんな。抗えば撃たれる。それがミースだ。
それにしても、と。
結局この雨が止むまで待つしかねえか。さすがに俺一人だけ走って帰るってのも、なんか気まずいし。近くにコンビニでもありゃ、傘を買って、ってことも考えられるけど、あいにく一番近いコンビニでもここから歩いて十分以上かかる。着くころにはずぶぬれだ。
俺が悩んでいると、ミースは雨音でかき消されそうな小さな声でつぶやいた。
「――やはり、ここはワープ機能を使うしかないようですわね」
「ワープ機能?」
俺が尋ねると、ミースは神妙な顔でこくっとうなずく。
「瞬間移動すれば、家まで雨にぬれることなく帰れますわ。ただ、まだ試用段階の機能ですので、うまくいくかどうかが分かりませんが――せっかくの機会ですので、ここで試してみたいと思います」
「瞬間移動、って……簡単に言うけど、本当にそんなことできるのか?」
「はい。100m以内の範囲でしたら確実に転移できます。ですが、自宅までとなると1km以上離れておりますので、そこまでたどり着けない可能性もありますわ」
マジか……失敗したとしても、なんか魔法みたいな話だ。そんなことも現代科学では可能なのか。
「百聞は一見にしかず、ですわ。いまからワープ機能を使います」
そういうと、ミースはおもむろに両手を胸の前に置いた。親指と人差し指を伸ばし、中指を曲げ、薬指と小指は左右で交差させる。複雑な印が彼女の前に形作られた。
そして――
「時間と空間の精霊アルタヌスよ。尊く罪深いその原能により、この身・心・力を我が志向する場に転移させよ。二つの陽と三つの月が事成すこの世界の秩序を変えよ。我、空間の理から忍び、裂け目を望む者なり。ゆえに」
「ちょ、ちょっとミース」
思わず口を挟んでしまう俺。祈るように半目になっていたミースが気づいてこっちに首をめぐらす。
「はい、なんでしょう」
「いまお前が唱えている呪文的なものはなんだ?」
「パスワードですわ。この言葉を発しなければ、わたくしの体に内蔵されたワープ機能が働かないようになっているのです。ワープ機能は自然の理を曲げる危険な能力だから、悪用されないよう長いパスワードが必要なのだとお母様から聞きました」
お母様、やっぱりファンタジー系ゲームのやり過ぎだって。
それから一分ほどパスワード(呪文)を唱えてから、ミースは少し口をつぐんだ。と思ったら、急に目を見開く。
「ミストラル・ゲート、開放!」
言い放ち、ミースが組んだ両手を前方へ開く。
すると――
彼女の体が、ふっと消えた。
「――えっ?」
目をこすってからもう一度前方を確認する。やっぱりいない。
「本当に消えやがった……」
いままでも彼女には信じられないものを色々とみせつけられてきたが、今回のは俺の中でかなり上位にランクインするぞ。これが本当なら、世の中の常識が根底から覆って――
とか考えていたら、俺の知らないところで、ミースはすでに姿を現していた。
空中に放り出されたような格好で出てくると、そこから彼女は自然の理――重力に従い、急速に落下した。
じめじめと降り続ける雨のしずくとともに、ミースの体が落ちていく。何が起きているのかつかみかねた彼女は、体勢を整えることもできず、ただ手と足をわずかにさまよわせることしかできなかった。
ふと彼女の足に何かが当たる。それは商店から出ている軒の生地だった。さきほどまでミースを雨から守ってくれた軒も、彼女の落ちる衝撃に負けその形が曲がり、破れ、壊れていく。
ゴシックドレスに身を包んだ可憐な彼女は雨にぬれそぼり、軒を下敷きにし、その下にいた不幸な男子を押しつぶした。
「ぐっ」
1トンの物体に、普通の高校生である彼の体が耐え切れるはずもなく、そのまま無残に地面と彼女の間に挟まれる。重い衝撃と鈍い音を残し、ようやくミースは地面に降り立った。しかしその下には、つぶれてぴくりとも動かない俺の体があった。
「……あれ」
気がつくと、俺は見たことのない荒野のど真ん中にいた。
辺りは草も何もなく、ただ土と石が転がる風景が広がっているだけ。空気がよどんでいるのか、近くの景色もかすんでみえる。空は一面の曇り。どこか黄色がかって見えるのは、気のせいだろうか。
「なんで俺、こんなところに……」
頭がぼーっとする。俺は頭を振り、もう一度周りを見回してみるが、何も変わらない。かすみがかかったかのような、ふさがれた空間。
一体ここはどこだ。なんか、いままで俺がいた世界とはまるで違うような、不思議な雰囲気。見えるもの、漂う空気、それら全てが異質に感じる。
そう思っていたら、いつの間にか目の前に人が立っていた。
「おわっ」
驚く俺に、その人はやわらかな笑みを投げかけてくる。
「光一。ひさしぶりじゃのう。ようやってきた」
「――じ、じいちゃん!?」
一目見て分かった。俺の祖父だ。
「うれしいのう、また光一の顔をみることができて。元気でやっておったか?」
「あ、ああ。元気でやってるよ。俺も、じいちゃんにまた会えてうれしいよ」
俺が小さいころ、よく家にやってきて俺と遊んでくれた。無口で無愛想な親父と違って、じいちゃんはいつも俺のことを気にかけてくれた。おもちゃやゲームもよく買ってもらったし。そんなじいちゃんが俺は大好きだった。
「光一。元気かえ?」
「ばあちゃんも!? な、なんで?」
祖母がじいちゃんの後ろから出てきた。ばあちゃんも俺にはいつも優しくて、よくお袋に怒られたときなんかは泣きついて、なぐさめてもらったりした。
ただ、二人とも俺が中学生に入ったばかりのときに病気で他界してるんだが。
「光一に会いたくて、早くこっちに来てくれんかのうと思っておったんじゃ」
「これじいさん。あんまりそういうことを……ああ、何も心配しなくていいからね。こうして会えたからには、何も心配せんでいいから」
「で、でもじいちゃんもばあちゃんも、ずっと前に――」
そう言おうとしたとたん、頭が急激にぼーっとなってきた。
「あ、あれ……」
「光一よ。もうそんなことを気にするんじゃないぞ。わしらと一緒にいればなんの問題も無いんじゃから」
「でも俺、さっきまでミースと一緒に軒下に……どうやってこんなところに……」
「それはほれ、あそこを渡ってきたんじゃ」
じいちゃんが指差す方向を振り返る。そこには地平線の先まで広がるゆらめいた水面があった。
「海……?」
「海ではない。川じゃ」じいちゃんが答えた。「光一はあそこを渡ってきたんじゃぞ」
「あれを……? 全然覚えてねえんだけど……」
「さあ、そんなことより早くいこうか、光一。わしらもいつまでもここにはおれまいて」じいちゃんが言うと、ばあちゃんもうなずいた。
「もうこうなったからには仕方ないですから。わたしらはうれしいけどね。光一、それじゃあいきましょうか」
「う、うん。わかったよ、じいちゃん、ばあちゃん」
頭がぼーっとする。なんか、どんどんひどくなってきている。もうあまり物を考えられない。
何か大切なことを忘れているような気がするけど、思い出せない。あの川の向こうにいけばそれが思い出せるような気もするけど、そうする気力も失せてきた。
……川の向こうに行けば? 戻るのではなくて?
俺が元いた場所って……一体どっちだっけか……。
まあ、いいや……。とりあえずじいちゃんとばあちゃんについていこう……。
とぼとぼと歩き出す俺。目の前には、いつのまにか光が広がっている。じいちゃんとばあちゃんが手招きしている。
あそこに行けば――
俺は徐々に光の中にのまれていく。このまま進んで、全てから解放されて――
「壬堂さん」
そのとき――
聞き覚えのある女の声がした。俺が思わず振り返る。
すると。
「う、うわっ!?」
どこからともなく大量の白い糸のようなものが俺に巻きついてきた。
「な、なんだこれっ!? 待ってくれ! じいちゃんとばあちゃんが……」
巻き取られ引っ張られる俺の目に、一瞬、じいちゃんとばあちゃんの悲しい顔が映る。
だがかまわず、糸は俺をものすごい力で川の向こう側へ引っ張っていった。
「う、うわあああぁぁぁぁぁぁ――!!」
「……はっ」
目が覚めると、俺は地面にあおむけで倒れていた。
「壬堂さん」
ミースの紫色の瞳が俺の間近にあった。心配そうに、俺の顔をのぞきこんでいる。
「……ミース?」
「よかったですわ、壬堂さん……。急に気を失われたものですから、わたくし驚きました」
表情が緩むミース。いつもの端整で可憐な笑顔が小さく咲く。
「俺……気を失っていたのか」
「はい。気を失っておりました」
にこりと微笑む彼女。俺は上体を起こして辺りをみる。
さっきと何一つ変わらない風景。軒下で俺とミースは雨宿りをしていて、外は相変わらずしとしと雨が降り続けている。地面をはねる雨粒が倒れた俺の服をぬらしていた。ミースも俺を介抱してくれたときにいくぶん雨にかかったのか、ドレスの裾や肩に雨が染みているようだった。
「なんで急に俺……ごめん、ミース」
「いえ。とにかく壬堂さんのことが心配でしたので……本当に気がつかれてよかったですわ」
心からほっとしたような表情をみせるミース。彼女の優しさがひしひしと伝わってくる。
立ち上がった俺は首を振ってみる。若干ぼーっとするけど、頭痛がするとか、吐き気がするとか、そういうおかしな感じはしない。何で俺、急に気絶したんだろう。
「壬堂さん、どうかされましたか? そんな神妙な顔をされて」
ミースがニコニコしたまま問いかける。俺は訊いてみた。
「ミース。俺、気絶する前はどうしてた?」
「いたって普通の状態ですわ。急に倒れられたので、わたくしびっくりいたしました」
急に倒れた。
俺はそのことに、少しだけ恐怖を感じた。
「それが本当なら、発作的に気を失うってことになるから、俺、何かの病気かかってる可能性大だよな……」
「いえ、そんなことはないと思いますわ。大丈夫です。壬堂さんの体は健康そのものですわ」
ミースがニコニコしたまま答える。
「健康、と思いたいけど……でも急に気絶するって明らかに異常だろ」
「いえ、大丈夫です。壬堂さんは全くの正常ですわ。病気のかけらもございません」
ミースがニコニコしたまま言い切る。
「でも気絶だぜ? もしこれから学校とかで同じことが起きたら」
「大丈夫ですわ。そんなことが起きるはずがありません。壬堂さんの体はこれまでで一番健康ですもの。わたくしが保証いたします」
ミースがニコニコしたまま断言する。
ニコニコニコニコ。ミースはいままでにないくらい白く明るい笑顔を向けてくる。
――なんか怪しい。
「ミース。本当に、俺は気絶しただけなんだな?」
「はい。大丈夫です。壬堂さんは気絶なさっただけですわ」
ミースはやっぱりニコニコして応答する。
何を訊いても「大丈夫」。ミースの決まりきった笑顔が、俺の目に映る。
――なんか隠してないか? 俺の直感がそう告げている。
俺は自分の体を確かめてみた。本当に「大丈夫」なのかどうか。
顔から、首、肩、胸、腹、腰、足――そこからまた腰、腹へ。軒下でお世話になっている商店のガラスで自分の姿を確かめてみる。そして周辺、上、下、360度身の回りを確かめてみる。そうしているうち、気絶する直前の記憶もだんだん戻ってきた。
そこで生じた疑問を、俺はミースにひとつずつ、気持ちを落ち着かせて丁寧にぶつけてみた。
「ミース」
「はい」
「まず最初に訊くんだけど」
「はい」
「俺の左わき腹あたりの皮膚が白くなってるんだけど、何か心当たりある?」
「わき腹、ですか? それはさきほど壬堂さんが気絶なされた際に、わき腹を少々痛められたので、リペアコマンド――人体修復機能を使って修復した痕ですわ。この機能を使えば、ついたばかりの傷であれば簡単に治すことが可能なのです」
「そんな便利機能があるのもびっくりだけど、気絶しただけでなんで俺、わき腹を痛めたのかな」
「地面に落ちていた石がたまたまわき腹を傷つけたのだと思いますわ」
「じゃあ別の質問だけど、俺のろっ骨、右の一番下の骨だけちょっと太いっつーか、出っ張ってる気がするんだけど」
「それもさきほど壬堂さんが気絶なされた際に、ろっ骨を少々痛められたので、リペアコマンドにより修復した痕ですわ。この機能を使えば、ついたばかりの傷であれば簡単に治すことが可能なのです」
「気絶しただけでなんでろっ骨を痛めたのかな」
「地面に落ちていた石がたまたまろっ骨を傷つけたのだと思いますわ」
「右のひじを曲げるとパキパキ音が鳴るのはなんでだろう」
「それもさきほど壬堂さんが気絶なされた際に、ひじを少々痛められたので、リペアコマンドにより修復した痕ですわ。この機能を使えば、ついたばかりの傷であれば簡単に治すことが可能なのです」
「気絶しただけでなんでひじを痛めたのかな」
「地面に落ちていた石がたまたまひじを傷つけたのだと思いますわ」
「……地面にはいっぱい石が落ちていたんだな」
「そうですわね」
「…………」
「…………」
「……じゃあ、違う質問なんだけど」
「はい」
「俺のいまの服、家を出たとき着ていたTシャツとは全然違ってるんだけど」
「そうでしょうか? わたくし、そのTシャツしか見ておりませんわ」
「俺、胸に『ぽっぴっぽー♪』とか書いてある初祢ミクのキャラクターTシャツなんか好んで着ないんだけど、本当に俺が着てきたのかな」
「はい、きっとそうですわ。わたくし、服装には疎いもので、壬堂さんのTシャツが何かなど、あまり意識しませんでしたわ」
「俺が気絶したときに、服が泥とか……特に血とかで汚れたからミースが替えてくれたとか、そういうんじゃ」
「あら。そんなことありませんわ。確かに少々汚れましたが、替えるほどではありませんでした」
「…………」
「…………」
「俺たちのいる軒、来たときは水色だったと思うんだけど、いま茶色になってるのはどうしてだろう」
「気のせいですわ。はじめから茶色でしたもの。水色の方が気分が晴れていいかと思いますが、記憶違いではなくて?」
「俺、なんとなくだれかが上から落ちてきて、押しつぶされたような記憶があるんだけど」
「まさか。そんなことがあれば、いまごろ大変な状況になっていますわ」
「で、俺、つぶされた後、こことは全く違う世界で三途の川的なものも渡ったような記憶があるんだけど」
「サンズノカワ? サン-ツノカワのことでしょうか? ライトノベルをメディアミックスさせることに定評のある角川書房の創始者・サン-ツノカワ氏をご存知とは、さすが壬堂さん、造詣が深いですわね。きっとその方と勘違いされているのでは」
「……じゃあ最後に訊くけど」
「はい」
「俺、ひょっとしてワープを失敗したミースに押しつぶされて死ん――」
そこまできて、ミースは急に真剣な面持ちになると、俺の口元に人差し指を当ててきた。
「――壬堂さん。そのような不吉なことを口に出してはいけませんわ。いま壬堂さんは確かに生きておりますのに、どうしてそんなことをおっしゃるの?」
ミースが悲しそうな表情をつくる。俺はそれを見てはっとした。
「そ、そうだよな。俺いま、息を吸ってるし、目も開いてるし、心臓も鳴っているんだから、生きてるよな。は、はは。ごめん、ミース。俺、変なこと言ってたよ。一瞬、俺が死んでたかもなんてバカなこと思ってた。それで三途の川を渡ったとかって、んなわけないよな。ははははは」
「壬堂さんったら、今日はやけに思考がネガティブなのですね。わたくし、不安になってしまいました。壬堂さんが死んでいたわけがないですもの。ウフフフ」
「いや、本当にごめん。そうだよな。俺が死んでいたなんて、そんなわけないよな。なに俺バカなこと考えてたんだろ。ははははは――」
とそこに、いまだ降り続ける雨の向こうから、ガタイのデカい男が全力で駆けてきた。
「――み、壬堂!?」
「お、なんだ環田か。どうしたんだ、そんなにあわてて」
環田は俺の同級生。元柔道部で、いまは俺と同じ帰宅部だ。仲がいいとは言わないが、学校では会えば声をかけ合うくらいの仲ではある、そんなやつ。
その環田が、全力で走ってきたためか激しく息切れしたまま、信じられないといった目で俺の方を見つめてくる。
「おぬし、なんで平気な顔をしておるんじゃ!? 一体、何がどうなっておるんじゃ!?」
「平気な顔って……そりゃまあ別に何ともないし……あ、もしかしてさっき俺が気絶していたときのことか?」
「気絶、じゃと……?」環田が絶句する。そして首を振って、俺をにらみすえる。
「気絶どころの話じゃなかったじゃろう! 壬堂、おぬしはワシがたまたま通りすがったとき、ミースさんの下敷きになって、地面に血まみれになって倒れごふぅっっ!?」
まくしたてていた環田の腹部に、一瞬で間をつめたミースの強烈なボディブローがえぐるようにヒットした。
「な、なぜじゃ……わしは壬堂を助けようと……した……だけ……」
崩れ去る環田。彼の持っていた大きい紺色の傘が、地面に投げ出され転がっていく。ミースはそれを拾ってたたむと、雨にぬれる環田を静かに軒下へ運んだ。
「ミース……」
「はい、なんでしょう」
一呼吸おいて、俺は訊いてみた。
「いま、環田が『血まみれになって倒れ』って言ったような気がしたんだけど」
青ざめる俺とは対照的に、ミースは不自然なくらいニコニコした顔になっていた。
「ご冗談を。それが本当なら、いまごろ壬堂さんは大変なことになっておりますわ」
「じゃあ、なんで環田をボディブローで一発KOしたんだ。もしかして、何か余計なことを環田が言おうとしてたから、口をふさごうとして――」
「壬堂さん」
その瞬間、彼女のアメジスト色の瞳から光がすうっと消える。
「――何度も当てて徐々に苦しめるパンチと、一撃で気を失わせるパンチ。受ける側にとっては、どちらが幸せなのでしょうか」
「……は?」
「何度も当てて徐々に苦しめるパンチと、一撃で気を失わせるパンチ、です。わたくし、急に検証したくなって環田さんにパンチをあびせたのです。壬堂さんもいまからその被験者になって頂けますでしょうか。できれば『何度も当てて徐々に苦しめるパンチ』の方で」
「検証しなくていい!! ミースの言う通り、俺は確かに生きている! なんともない! なんともないよな! 息を吸って吐いて、しゃべることもできるし、歩くこともできる、それで十分幸せだ!!」
「ええ。『生きてるだけで丸もうけ』という名言もあることですし。人間、突きつめればそこに行き着くのです。何も疑問に思うことなどございませんわ」
ミースの瞳に光が戻る。ああ、よかった……。何かものすごく大事なことをごまかされたような気がするけど、俺にとってはいまの危機を回避する方が大事だ。
「ところで壬堂さん。わたくし、折り畳み傘を携帯していることについさきほど気がつきましたの」
そう唐突に言うと、ミースのひじから先の左腕がパカッと開き、中から黒い折り畳み傘が現れた。
「少々狭いのですが、この傘に入って二人で帰宅するという案はいかがでしょう」
彼女は傘をバッと広げ、俺に同意を求める。まあ、断ったらまたミースの瞳からまた光が消えるに違いないから、すでに強制命令だ。
うずまくいくつもの疑問をとりあえず全てかき集めて胸に押し込み、俺はミースと一緒に歩き始めた。
ミースが左手に持った傘に入っている俺。彼女の傘は折り畳みといってもかなり大きく、二人が雨をよけるには十分だった。俺は帰途につきながら、軒下に置き去りにされた男を振り返る。
「……環田は大丈夫かな」
「あの方は体をきたえておられますから、大丈夫ですわ。生命反応も正常でしたし、あと二分ほどで再起動されるはずです」
環田はパソコンか。
まあ、あいつのことだから何とでもなるだろうと思いつつ、俺はミースの持っている傘を右手でつかんだ。
「――壬堂さん?」
「俺が持つよ」
そう言った俺に、ミースは少し戸惑った表情をみせる。
「あ、ありがとうございます。でも、よろしいのですか……?」
「いいよ。女の子に傘をさしてもらってる男ってかっこ悪いだろ」
「かっこ悪い……。そういうものなのでしょうか。ではとりあえずわたくし、手を離します」
「ああ、そういうもんだよ。だから俺に傘を――って重っ!?」
ミースが手を離したとたん、ものすごい重量が俺の右手にのしかかった。
「くおおおおおおおおおおおおおおおお……ミース…………なんでこの傘、こんなに重いんだよ……!」
「あら。その傘はいざというときのために、防弾性の重厚な革と鋼鉄製の骨組みでできておりますのよ。さらに芯にはいざというときに備えてペンシル型のミサイルが三発仕込まれていますわ。さらに握り部にはいざというときのためにサイレンサー――無音拳銃が入っております」
いざというときってどんなときだよ……。
だがいまさらミースに傘を持たせるわけにもいかず、俺は右腕の全筋力をふりしぼって傘を持ち上げた。
「うおおおおおおおおおおっっ……!!」
「まあ壬堂さん、男らしいのね。常人でしたらすぐに参ってしまうくらいの重量ですのに、わたくし、壬堂さんの魅力をまたひとつ発見した思いですわ」
「それはよかったなああああああっっ……!!」
「梅雨はじめじめして好きではありませんが、今日は少し感謝しております。だって、壬堂さんの知られざる一面をまた見つけることができましたもの」
「俺はそんなつもりじゃなかったんだけどなあああああああああっっ……!」
「壬堂さん」
そこで、ミースが俺の右にぴたっと寄り添ってきた。
「……ミース?」
「わたくし、壬堂さんとずっとこうしていたいです。せめて、傘の下だけでも」
ミースがはにかんだ顔で、俺の顔を上目づかいで見上げる。
「普段は、何か理由が無いとここまで触れられませんもの。わたくし、壬堂さんの体温を感じることができる距離にいられて、幸せです」
「ミース……」
「雨というカーテンの内側で、いつもより少しだけ壬堂さんに近づくことができて、うれしいく思います……」
「ミース……」
「こうした季節もいいですわね。雨の降ることをマイナスととらえるのではなく、プラスととらえれば、いつも知る人と仲を深めることだって可能ですもの。わたくしもまだまだ勉強不足で――」
「なあミース……」
「はい、なんでしょう?」
「さっきから言おう言おうと思ってたんだけど」
「はい」
「……なんか、俺にものすごく重要なことを隠してないか?」
俺が訊くと、ミースはさきほどと同じニコニコした顔をみせた。
「まさか壬堂さん。わたくし、本心からそう申し上げているのですわ。決して『男性は女性と相合傘をすれば、それまで胸に抱いていた疑問を全て忘れてくれる』などという某恋愛のカルテ系書籍に書かれていた俗っぽい風習を採用しようとしているなどとは、思っておりませんもの」
採用してるってことだな。
「それより壬堂さん」ミースは何もかもごまかすようにとびきりの笑顔で言った。「歩きましょう。わたくしの家まで。わたくし、壬堂さんのためなら何でもいたしますから。壬堂さんの願い事なら、わたくし身を粉にする覚悟ですわ。何なりとお申し付け下さい」
「ミース、いつもと違って妙にへりくだってるけど、ひょっとして俺に対して何か引け目があるからそんなことを」
「壬堂さんったら、今日は妙に疑り深いですのね。そんなことはありませんわ。常日頃から思っていたことです。わたくし、壬堂さんから多くのことを学び、深く感謝しておりますもの。ここで亡くなられでもしたらわたくし、今後どうすればいいか分かりません。ですからわたくしにできることがあれば、何でもおっしゃってくださいね」
ならこの傘を持ってくれ、とは言えない自分のプライドに俺は心の中で泣いた。
ただミースが肩の触れるくらい近くにいることだけが、梅雨における俺の慰めだった。
何か俺の体にとんでもないことが起きたような気がするが、とりあえずそれは心の隅に追いやろう。俺はたしかに生きている。息をして、傘を持ち、歩いている。それだけで十分だ。生きているだけで幸せを感じることができるなんて素晴らしいことじゃないか。そう思うと、何か雨で沈滞していた気持ちが急に晴れやかになった。
家の庭に植えてあるらしい紫陽花が、俺のわき目で咲き誇っている。ミースの明るく無慈悲な瞳は紫がかった紫陽花に似ているなと、俺はなんとなく感じた。
家に帰って何となく体重計にのってみたら、体重が20kg増えていた。
食いすぎ、とかいうレベルじゃねえよな。腹のあたりを押さえていたら、一部だけ白くなっているわき腹の皮膚が見えた。
――俺の体、一体どうなったんだろう。マジで。
「メカプリンセスっ! ~プリンセス様、雨宿りくらい穏便になさって下さい~」
をお読みいただき、ありがとうございました。
梅雨だから書いた、とあらすじに載せていますが、
本当に急に書きたくなって、ほぼ二日で書いてしまいました。
なのでかなり勢い重視な文章になっているかもですが、
いかがでしたでしょうか。
梅雨、というテーマで着想したはずだったのですが、
これを書いているときは気象庁が梅雨入り宣言したにもかかわらず
雨が全く降らない、という状況が続いていました。
「やば。このまま今年雨が降らなかったら、 この話完全に空振りじゃん」
とか思っていましたが、
これを掲載する日に合わせて梅雨前線ががんばってくれたので、
何とか時期相応に投稿することができました。
たぶん私のために前線が一肌脱いでくれたのだと思います。
ありがとう、前線。もうタメ口でもいいよね。
この話は拙作
「メカプリンセスッ!~プリンセス様、もう勘弁してください~」
から派生したショートストーリーです。
いちおう、初めての方でも読めるよう配慮したつもりですが、
分かりにくかったらごめんなさい。
でも、少しでも楽しい、おもしろいと思って頂けたらうれしいです。
こういうちょっとしたコメディ話は、
今後も思いついたら放り込んでいきたいと思います。
次は……シルバーウィークあたりかな?
(思いついたら、じゃないのか? というツッコミはもっともなので
ありがたく受け止めます。全身で!)
……これにこりず今後ともよろしくお願い致します。