婚約破棄の真っ最中に、突然「魔法少女になって」と来られましても……
「アデライード。今日この場で、君との婚約を破棄する。応じてくれるね?」
(えぇ?)
「僕は彼女との間に、真実の愛を見つけたんだ。この気持ちを隠して生きていくなんて、もうできないっ!」
「バルバロ様!あたし、嬉しいですっ!」
(えぇ〜?)
根回しひとつなく告げられた婚約破棄と、ふわっとしたその理由に、アデライードは漏れそうになった声をなんとか飲み込んだ。公爵家に生まれた娘として、どんな時でも毅然としていなければ。自分自身をそう戒めて、王宮のメイド服を着た女性を抱き寄せる婚約者に尋ねる。
「ご自分が、いつ、どこで、どなたの前で、なにを始められたか。本当に、理解していらっしゃいますか?」
「ああ、問題ないよ。さあ、この書類にサインを。僕のサインは、もう済んでいるからね」
いえ、問題しかないんですよ。
気まずそうな面持ちで一人掛けのソファに座る王兄殿下をチラリと見て、アデライードは今度はため息を飲み込んだ。
王宮内の一室に呼び出されたので応じたら、まさかの浮気相手同伴での婚約破棄。だが、それはまだいい。問題は、今が王宮の勤務時間内であること。そして婚約者が、手続きの見届け人として、よりにもよって王兄殿下を連れて来てしまったことだった。
宰相令息バルバロと公爵令嬢アデライードの婚約を破棄する、という内容の他には、なんの取り決めも書かれていない書類に、頭が痛くなってくる。
それでも、アデライードは黙ってサインをした。もうこの愚かな婚約者には、付き合いきれないと思ったからだ。
「――終わった?じゃあ俺、帰っていい?」
「いやいや。せっかくですし、アデライードとともに、僕の新たな婚約も見届けていってください。いいでしょう?僕たち従兄弟じゃないですか」
「俺たち従兄弟じゃないよ。前にも言ったはずだけど?」
呆れ顔の王兄殿下は、我が国の若き国王陛下と同い年の異母兄。王位継承権はとっくに放棄して、これといった役職もなく、目立たない公務をしながら王宮の片隅で静かに暮らしている。
彼の言う通り、バルバロと従兄弟なのは国王陛下だけ。ただし、歳が近い従兄弟だが、仲は良くない。というか、一方的に嫌われている。今回も、バルバロは文官でありながら、地方視察への同行を許可されなかった。
それなのにバルバロはいつだって、まるで国王陛下の側近のように振る舞う。もしかしたら、なんでも自分に都合良く思い込むことにしているのかもしれない。
こんな厄介な人との婚約が破棄されて、本当に良かった。アデライードは、密かに胸を撫で下ろした。
「まあまあ。それでは、新しい婚約を――なんだっ!?」
「ニーンッ!」
少しだけ開いていた窓から飛び込んで来た小さな物体に、バルバロが驚きの声を上げる。
ローテーブルに降り立ったそれは、なんとも不思議な生き物だった。
二頭身の丸っこい体に、短い手足。大きな目。頭には変な模様のついた額当てを、背中には玩具みたいな剣をくくりつけている。パッと見は犬っぽい気もするけれど、立派に二足歩行しているので、本当に犬かどうかはわからない。
見慣れないデザインの黒い服を着たその奇妙な生物は、えっへんと胸を張って言った。
「拙者は異世界からきた、魔法少女をサポートする忍者の妖精!シノビンだニン!」
「喋った!?」
「俺、帰っていいかい?」
驚くバルバロたちと、隙あらば退室しようとする王兄殿下には目もくれず、シノビンとやらは戸惑うアデライードに向き直った。
「アデライードちゃん!拙者、キミにとーっても大事なお願いがあるニンよ!」
「な、なんでしょうか?」
「魔法少女になって、拙者たちの世界を悪の大魔王から救うために、戦ってほしいニン!」
(えぇ!?)
思わず悲鳴のような声を上げそうになって、アデライードはギリギリのところで堪えた。異世界や悪の大魔王というのは、なんとなく理解できる。でも、ニンジャとは一体?
それに、急に「魔法少女になって」と言われても。魔法というのは、物語によく出てくるあの魔法だろうか。それを使えるようにするから、悪と戦えと?なんの戦闘訓練も受けていない、アデライードが?
「どうして私なのですか?」
「それは、君が今まさに婚約破棄されたからだニン!婚約破棄された少女、特に公爵令嬢は、強い力を得て【ざまぁ】すると、決まっているニンよ!」
「初めて聞きましたけど……」
「とにかく、お願いするニン!」
ぺこりと頭を下げられても、アデライードは断るしかない。なぜなら自分は今、婚約破棄をされたばかり。というか、まだ屋敷に戻って父に報告すらしていないので、婚約破棄の真っ最中といった方が正しいだろう。魔法少女になって悪と戦う前に、いろいろとやることがある。
「申し訳ありませんが、お断りします。私は今まで魔法を使ったことも、戦ったこともないですし」
「みんな最初はそうニンよ!でも変身すれば、すぐできるようになるニン!」
「へ、変身?魔法で変身するんですか?」
「そうニン!この変身アイテムの手裏剣を掲げて、魔法の呪文を唱えたら、マジカルくのいちになれるニンよ!」
尖った金属製の武器のようなものを手渡されそうになって、アデライードは慌てて一歩下がった。得体の知れない異世界のアイテムに触るのは、さすがに怖い。シノビンはそんなアデライードを見て、不思議そうに目をぱちくりさせている。
「どうして逃げるニン?すーっごく素敵な変身バンクがもらえるニンよ?夜風に吹かれながら、東京タワーとか、どこかいい感じの高いところに立って、思わせぶりなセリフも言えるニン。あ、マジカルくのいちのコスチュームはこんな感じニンよ!プリティで、キュートで、ちょっぴりセクシー♪」
「ヒッ!太もも丸出し!?わ、私は淑女教育を受けている身なので、その格好は遠慮しておきます!」
アデライードにとって、見せられた魔法少女の衣装のデザイン画は露出過多で、破廉恥極まりないものだった。肩も、脇も、胸の谷間も全部丸見え。イブニングドレスどころではない。
これを着て戦う?この妖精は、本気で言っているのか?アデライードがシノビンの正気を疑い始めた、その時。突然バルバロが、口を挟んできた。
「ならば、僕が!アデライードが魔法少女にならないというなら、この僕が、魔法少年になろうっ!」
(えぇ〜!?)
言いたいことはいろいろあるが、まずなによりも、バルバロは二十代だ。既に少年と呼べる年齢ではない。しかし、まるで子どものようにキラキラ、いやギラギラした目で、シノビンから変身アイテムを奪い取ろうとしている。そんなに魔法が使ってみたいのだろうか。
「あの、バルバロ様?異世界に行っちゃうんですか?あたしと婚約してくれるはずじゃあ」
「うるさいっ!見てわかるだろう、今それどころじゃないんだ!」
「ひどーい!うう、王兄殿下ぁ」
容赦なく怒鳴りつけられて、バルバロの真実の愛の相手だったはずのメイドは、くすんくすんと泣き真似をしながら色目を使った。しかし王兄殿下もまた、それに取り合うことはなく。
「異世界ねぇ。魔法にはあんまり興味ないけど、行けるなら行ってみたいかな。俺でも行けそう?どうしたらいいんだい?」
「え、えぇ〜っ!?」
シノビンに異世界への行き方を尋ねる彼の姿に、アデライードはついに抑えきれず、驚きを声に出してしまった。対するシノビンは、アデライードが承諾しない一方で、男性二人は妙に乗り気なことに、なんとも困った顔をしている。
「うーん。本当は、これはもっと後で明かす予定だったニン。でも、仕方ないニンね!実は拙者には、普段は隠している本当の姿があるニン。それを見せるニンよ!」
このままでは収拾がつかないと思ったのか、そう言ったシノビンの小さな体が、突然眩しく光る。
そして数秒後。光が収まった時、そこに立っていたのは――
「これが、拙者の本来の姿でござる」
流れるような黒髪を高く結い上げた、美青年だった。その身に纏う黒の衣服は、デザインこそ変わらないものの、受ける印象がまったく違う。すらりとした手足、切れ長の目。そして、端正な顔立ち。あの丸っこくてニンニン言っていた妖精とは、似ても似つかない正体だった。
「キャー!すっごいイケメン♡」
「結局明かすのであれば、最初からその姿で出てきた方が良かったのでは……」
「アデライードちゃん!どんな困難でも、拙者が万事サポートするでござるよ。だからどうか一緒にきて、魔法少女になってほしいでござる!」
「できません。お断りします」
シノビンの整った外見に、大はしゃぎするメイド。それを見てかえって冷静になったアデライードは、自分の意思で、きっぱりと異世界への誘いを断った。
よく考えたら、魔法が使えて、こうして変身できる妖精までいるのに、別の世界の少女に助けを求めるなんておかしいだろう。安心させるためか、まず可愛い見た目で現れて、ダメならすぐ美形に変わったのも、新手の詐欺としか思えない。これは、騙されてはならない。
そう気を引き締めたアデライードとは逆に、メイドは、ハイッと勢いよく挙手をした。
「あたし、やるっ!こんなカッコイイ人がサポートしてくれるなら、あたしが魔法少女、やります!」
「それはちょっと、無理でござるな」
「えー!なんで!?あたしだって少女なのにっ」
「少女ではあっても、処女ではないでござろう?魔法少女になれるのは、純潔の乙女だけでござる」
シノビンがそう言った瞬間、室内から音が消えた。
しんと静まり返った中で、言葉の意味を理解するにつれ、顔が真っ赤に染まって怒りに震えだすバルバロ。その一方で、メイドの顔色は真っ青だ。王兄殿下は、ただ純粋に驚いている。そしてアデライードは――
(き、気持ち悪い!気持ち悪い!!気持ち悪いっ!!見てわかるなんて、処女判定機能つきってこと?妖精なのに!?こんなの、あの可愛らしかった姿でも無理!この大人の男性の姿では、もっと無理!!!)
ゾゾゾと全身に怖気が走って、両手で必死に二の腕をさすりながら、アデライードはシノビンから距離をとった。それに気がついたシノビンが、焦った様子で歩み寄ってくる。やめて、来ないで!近づかないで!
「アデライードちゃん」
「いやっ!名前を呼ばないで、あっち行って!私は魔法少女にはなりません、死んでもなりませんっ!」
「そこをなんとか」
「他を当たってください!というか、自分たちの世界は自分たちで救ってくださいっ!お願いだから、もう異世界に帰って!!」
公爵令嬢という立場も、淑女として受けてきた教育も、すべて吹き飛んでしまって、半泣きで拒否と拒絶を繰り返すアデライード。
「そんな!アデライードちゃん、拙者はっ」
「――さすがに、そこまでにしないかい?これ以上は、ちょっと俺、見ていられないというか」
怯えるアデライードを見るに見かねて、王兄殿下が間に入り、粘るシノビンを止めてくれた。それでもまだ、魔法少女への勧誘をしつこく続けようとしたシノビンだったが。
「帰って帰って帰って帰って帰って帰って帰って帰って」
「……はい、帰ります。大変申し訳ございませんでした……」
アデライードが「帰って」しか言わなくなったので、これはもう無理だと諦めて、とうとう元の世界へと帰還することに決めたようだった。
残念無念、といった様子のシノビンの全身が光に包まれたかと思うと、一瞬で、最初に現れた時の丸っこい二頭身の姿に変化する。
それを見たメイドが不満そうな声を上げ、バルバロも「待て!僕を魔法少年にしろ!」と騒いだが、シノビンはそちらを振り向かなかった。
「では、さらばだニン!あ、ちなみに拙者たちの世界に行けるのは、魔法少女だけニンよ。きったねえ男とか、ハナから論外だニン!それっ、ニーンッ!」
シュッと音を立てて消えたシノビンは、最後まで清らかな乙女にこだわり過ぎていて、とても気持ちが悪かった。
「処女じゃないって、一体どういうことだ!?真実の愛を誓ったくせに、僕を騙したのかっ!」
「し、真実の愛とか変なこと言いだしたのは、バルバロ様の方じゃないですか!あたしは、それに合わせただけですっ!前に彼氏がいたことだって、そもそも聞かれなかったんだから!べつに、騙してないですっ」
「なんだと!?」
アデライードが既に立ち去ったことにも気がつかないで、ギャーギャーと騒ぎ続けるバルバロとその恋人。王兄という立場ゆえに、婚約破棄の見届け人として強引に連れて来られたクロエは、うんざりした気分で窓の外を眺めていた。
まだ、返事はこないのだろうか?やはり帰るふりをして、鳩舎まで行くべきか?
すると、まるでそんなクロエに応えるかのようなタイミングで、軽い羽ばたきの音とともに、白い鳩が窓辺に現れた。このために開けておいた窓から手を伸ばし、鳩を止まらせて、その足に結びつけられた小さな紙を外したクロエは、早速それを開く。
(あぁ、バルバロもついに終わったな。知らせたのは俺だけど)
返信の手紙には、弟の字で大きく「了承!」と書いてあった。これは、婚約破棄に対して。バルバロがあまりにも理不尽なので、いい加減アデライードを解放してやった方が良いのでは?という話は、実は前々から出ていた。だから反応も、ごくあっさりしたものだ。
そして勤務時間内に堂々とサボり、よりにもよって王宮内で私用の婚約破棄をやらかした二人に対しては、「バカどもはクビな♡」という追伸が添えてあった。予想通り、我らが国王陛下は大変ご立腹のご様子だ。
(そのバカな二人はまだ痴話喧嘩中、と。もう俺、出て行っていいよな?このままだと、なんで連絡したって責められそう。これ以上は、俺の仕事でもないしね)
クロエはため息をひとつ残すと、そのまま静かに退室した。
歩きながら考えるのは、あの黒くて犬っぽい自称・妖精のこと。今頃は自分の世界で、魔法少女になってくれそうな子を探しているのだろうか?
「――行ってみたかったなぁ。異世界」
そこだったら、こんな自分でも、何者かになれたかもしれないのに。クロエはひっそりと自嘲した。
正妃の子が生まれる一週間前に、歓迎されずに生まれた側妃腹の王子。後ろ盾が強い正妃に遠慮して、一週間も名づけられなかった赤ん坊。正妃の子も男児とわかったら、立太子は狙わないと示すため、すぐに「クロエ」という女性らしい名前をつけられた。
名づけも、王子としての優先順位も、人生すらも。いつだって弟の方が先、クロエは常に後回し。弟より優秀ではいけない。弟より目立ってもいけない。とにかく余計なことをしないよう育てられた、国王陛下のオマケの王兄。
だからクロエは、何者でもなかった。
「まっ、異世界に行くなんてねぇ。所詮叶わぬ夢だよな。それに、あいつの治世を陰ながら支える生き方だって、そう悪くない。さーて、仕事仕事――ん?」
王宮に複数ある中庭のひとつ。そこを通りかかったクロエは、うろうろと行ったり来たりする少女の姿に、目を瞬かせた。
あれは、先に帰ったはずのアデライード?なぜこんなところに。まさか、道に迷っているのか?
ならば誰かに案内させようと、人を呼ぼうとしたクロエだったが、直前で思いとどまった。先ほど彼女は妖精に怯え、公爵令嬢らしくない振る舞いを見せて、そのことを大いに恥じていた。この上さらに恥ずかしい思いをさせるのは、さすがに可哀想だろう。
それにしても、いくら入り組んだ王宮とはいえ、まったく逆方向のここで迷子とは。まるで幼い子どものようで、クロエは思わず小さく笑ってしまう。
そういえば十年くらい前にも、この中庭に迷い込んで泣いていた、小さな女の子がいた。たまたま見つけたクロエが手を引いて、馬車まで連れて行った覚えがある。あの女の子もちょうどアデライードのような、赤紫色の髪をしていたっけ――ああ、そうか。
(あの子、アデライード嬢だったんだ。懐かしいなぁ。方向音痴は、相変わらずか)
それに気がついたクロエは、少し考えたものの、進路を変えて中庭の奥へと足を踏み入れた。
これだって、べつに自分の仕事ではない。だからこそ、やりたいことをやることにする。アデライードが覚えていても、いなくても。迷子になった彼女を助けるために、クロエが手を貸すのは、もう二度目なんだからいいだろう。
おろおろと周囲を見回す彼女の姿を見て、ふと悪戯心が湧いたクロエは――背後から、あの時と同じように声をかけてみた。
「やあ、ご令嬢。俺、なかなか淑女をエスコートする機会がないんだよ。良かったら俺に、エスコートの練習をさせてくれないかい?」
何度も夢で聞いたその声に、アデライードは弾かれたように振り返った。そこには先ほど辞去の挨拶をした王兄殿下が立っていて、こちらに手を差し伸べている。
よろしくお願いします、と返す声が、少しだけ震えてしまった。まさか、覚えていてくださったとは。
十年以上前。まだアデライードが、カーテシーも上手にできなかった頃。この方は、迷子になったアデライードに同じ言葉をかけて、手を繋いで馬車まで送り届けてくれた。とても優しくて、でも、少しだけ寂しそうなお兄さん。アデライードの初恋だった。
それからバルバロとの婚約が決まって、こっそり泣いて。心の片隅に置いた小箱に、封印したはずの思い出。アデライードの恋心。
その小箱の蓋が、カタカタ音を立てている気がする。
「あ、ちょっと待った。ここを曲がるの、今はよそうか」
前に迷子になった時の話などしながら、王兄殿下の丁寧なエスコートで回廊を進んでいると、曲がり角の先がなんだか騒がしかった。どうやらバルバロとあのメイドが、どこかに連行されていくところらしい。
王兄殿下は苦笑しながら「二人ともクビだよ」と教えてくれた。王宮勤めは貴族にとって、名誉でもある。懲戒免職や解雇されたとなると、もう社交界には出入りできないだろう。
宰相家の今後を思って、アデライードが難しい顔をしていると、騒ぐ声が聞こえなくなったことを確かめてから、王兄殿下は再びゆっくりと歩を進めた。
「今回の件、アデライード嬢は全然悪くないからね。次の婚約者だって、すぐ見つかるさ」
「王兄殿下は――ご結婚などは?」
思わず、王兄殿下はダメでしょうか?などと口走りそうになって、アデライードは慌てて言い直す。が、これはこれで問題発言だった。この方の立場は難しく、婚約や結婚はおろか、恋愛すら自由にできないのだと、誰だって知っているのに。
「し、失礼しました!」
「はは、結婚か。どうなんだろうねぇ。俺の人生は、国王陛下次第だから」
笑って流してくれた王兄殿下は、こんなに良い方なのに。とても素敵な方なのに。公爵令嬢であるアデライード以上に、雁字搦めな生き方しか許されないのだと、ひどく切なくなってしまった。
もしも願いが叶うなら。
アデライードの頭の中に、なるべく早く忘れてしまいたかったはずの、あの妖精の姿が思い浮かぶ。「魔法少女になって」と、散々自分の都合ばかり押しつけてきたシノビンだったが、もしまた目の前に現れて、「魔法少女になってくれたら、どんな願いでも叶える」と言われたら。
今のアデライードなら、きっと応じてしまうだろう。
太もも丸出しで、魔法少女だろうがなんだろうが変身して、戦って。そして、異世界を悪の手から救った暁には、魔法で一生変身させてもらうのだ。どこかの誰かの花嫁から、初恋の人の――お嫁さんに。
(なんてね。そんな都合のいい、それこそ魔法みたいなこと。いくらなんでも起きっこない。ありえない)
それに全部、もう終わった話だから。婚約破棄の真っ最中に、突然「魔法少女になって」と来られて、お断りして。それで、おしまい。それがすべて。
そしてアデライードは、また他人が決めた条件の合う相手と婚約して、いずれ結婚する。
アデライードにできるのは、王兄殿下にエスコートしてもらえる、この奇跡のような時間が、一分一秒でも長く続くよう祈ることだけ。
王兄殿下がほんの少しでも、遠回りしてくれたらいいのに。このエスコートが、ずっとずっと続いたらいいのに。
そんな想いを隠して、せめて一番綺麗に見える笑顔で、彼に微笑むことだけだった――。
アデライードも、クロエも知らない。
二人が回廊を並んで歩いていた、まさにその時。とある地方の領主館で、視察に訪れていた国王陛下の頭の中に、ある妙案が浮かんだことを。
(ったく。バルバロの奴、やらかしてくれちゃってさぁ。アデライード嬢、いい子だろ!なにが気にくわなかったんだよ。彼女の経歴にキズなんかつけて、これで新しい婚約者が訳ありにでもなったら――ん?訳あり?そういえば、クロエも訳ありっちゃ訳ありなんだよな。その相手に、婚約破棄された公爵令嬢ってどう?うん、悪くない。けど、なにかとうるさい連中が。うーん。まぁ、アデライード嬢の婚約は、もう二度目なんだからいいだろう)
「よーし、伝書鳩の追撃しちゃうぜ。誰かー!紙と鳩、持ってきてー!」
魔法少女にならなくても、魔法みたいなことはある。
でも、今はまだ――誰も知らない。
メイドの名前はニチアーサ。いや、その名前で魔法少女なれないんかい!笑




